シニアライダーの日常・R1200Rと共に

シニアライダーの日常と記憶、愛車R1200Rと行くツーリングの記録と四方山話。

熊本二泊三日の旅:三日目

 

熊本の旅三日目は天草下田温泉の望洋閣で迎えました。
部屋の窓から見下ろすと駐車場に沢山の猫がいます。どうもホテルでご飯を貰っている感じでしたので降りて行ってみると、やはり駐車場の隅で朝ご飯の最中でした。係の人によると、元々野良だったのがご飯を貰うようになり、その後避妊手術も受けて地域猫となっているそうなのですが、実質ホテルの飼い猫が外猫として自由に暮らしている、という感じでした。

 

 

最終日は新幹線で帰る4人を熊本駅で降ろし、その後夜の飛行機まで時間がある私と従妹は熊本市周辺で観光しようと話していました。ただ熊本に来ること自体が数十年振りという従妹は殆ど私にお任せという感じでしたから、どこに行くかは私が考えなくてはなりません。

 

まずはホテルを9時過ぎにゆっくり出発して、前日時間が無かったので通り過ぎて来た大江天主堂に立ち寄ります。丘の上に建つゴシック様式の真っ白くてとても美しい教会です。
その後は三角まで前日来た道を引き返しその後は前日とは逆の北岸を有明海に沿って東に進んで熊本駅を目指しました。途中見つけた海鮮料理の店の海鮮丼も美味しかったですし、流石は海辺の街です。

 

 

その後は淡々と国道57号線を走って熊本駅を目指しましたが、天草地域は思ったよりも広くて、結構走り続けの旅となってしまいました。私よりずっと高齢の叔父・叔母にはきつかったと思いますので、次回はもっとゆったりした行程を考えなくてはなりません。もう既に国内外のあちこちを尋ね歩いているリッチな叔父上・叔母上は旅慣れた人たちですから、今更あれもこれもと観光する必要もないでしょうし。

 


叔母が予約していた新幹線の30分前に何とか4人を熊本駅まで送り届けて、そこから夜までは従妹との二人旅です。従妹は私とは違ってとても優秀で、65歳まで某有名国立大学で教授を務め、今年からは関東圏の私立大学で非常勤の客員教授となりましたので、ようやくゆっくり旅をする時間が取れるようになったということなのです。ですから親しく話すのは本当に久しぶりなのですが、話してみると幼い頃のままという部分もあり、すぐに打ち解けました。

 


そして私がこの後のショート旅として企画したのは熊本県内に点在する古い石橋巡りです。
まずは益城郡御船町にある「八勢眼鏡橋(やせめがねばし)」に行ったのですが、交通量の少ない生活道路で訪れる人もおらず、山中にひっそり佇んでいました。この橋は二連橋で、写真の手前には八勢小橋という小さなアーチ橋があったらしいのですが、残念ながら見落としました。橋を渡った正面には肥後国(熊本県)と日向国(宮崎県)を結んだ旧日向往還の石畳も味のある姿で残っています。往時の九州横断道路ですね。

 

 

次に行ったのは同じ御船町の「下鶴眼鏡橋(しもつるめがねばし)」です。こちらは八勢眼鏡橋と比べると格段に交通量の多い主要道路の橋として、最近(といっても平成期ですが)まで現役だったようです。ちょうど近くの小学生が校外学習で訪れていて賑やかでした。

 


八勢眼鏡橋から段々メジャーになりますが、次は益城郡美里町の「霊台橋(れいだいきょう)」です。ここには以前のバイクツーリングでも立ち寄っていると思うのですが、字面に覚えはあっても、その時の記憶は残っていません。明治以前の石橋としては日本最大のアーチ径なんだそうです。

 


霊台橋の近くには、他にも馬門橋(まかどばし)や二俣橋(ふたまたばし)という石橋があり、中でも二俣橋は、二俣福良渡(ふたまたふくらわたし)という橋と、川の合流点で直角に交わっている全国でも珍しい兄弟橋です。ここは二俣五橋と呼ばれて石橋が密集していることでも有名なのですが、時間も残り少なかったので、この日はここまでとして空港に向かうことにしました。

 

そして国道445号線を空港に向かって走っていると、途中に山都町があり、そこには更にメジャーな「通潤橋(つうじゅんきょう)」があります。従妹はここも来たことが無いと言いますし、通潤橋だけなら時間的にも問題ありませんので寄って行く事にしました。ここも熊本地震で一部損傷を受けたのですが、現在は復旧しています。

 

 

そして空港ではJALで羽田に向かう従妹と搭乗ラウンジでしばし歓談して別れ、私はジェットスターで成田です。この日は定刻よりも早く着陸したのですがそこからの電車の乗り継ぎが悪く、帰宅したのは23時過ぎとなってしまいました。羽田並みとまでは言いませんが、成田のアクセスはもう少し何とかして欲しいものです。

 

 

 

 

 



 

 

熊本二泊三日の旅:二日目

 

阿蘇への墓参り旅の二日目です。墓参り自体は前日済ませましたので、この日からは周辺観光で、今回は天草方面に向かいます。
墓参りといっても墓前で手を合わせたのはほんの数秒に過ぎず、お墓での滞在時間も今回は強い雨とあって10分に満たない程度でしたから、祖父・祖母は完全にダシに使われていると苦笑しているかも知れません。

 

これまで阿蘇周辺の観光から、宮崎の高千穂峡、五木の子守歌で有名な球磨郡の五木村にまで範囲を広げて来ましたが、今回は山から一転海に向かいます。
一番の目的はキリシタン遺跡の見物で、天草の西端にある「崎津教会」へは是非行きたいところですので、通常のんびり出発の我ら高齢者旅には珍しく8時出発です。
天草は熊本県、雲仙・島原は長崎県ですが、地理的には島原半島が有明海を挟んで熊本市のほぼ真西にあり、フェリーでも30分で行き来できる近さです。一方の天草は熊本市の南西方向に半島状に長く延びた島々の集まり(天草諸島)で、最西端の牛深まで行くなら熊本市からクルマでも3時間近くかかります。

 

ということで8時に阿蘇白雲山荘を出発し、まずは天草の中心部、天草市の市街地を目指します。道中は天草五橋を経由して天草の景観を楽しみながら、市内の天草キリシタン館という博物館を見学した後昼食、そこから妻と娘は別れて空港バスで帰る、という段取りです。
阿蘇から熊本市に出て、九州自動車道を宇城市の松崎ICまで南下し、そこからは八代海に面した国道266号線で上天草に渡ります。その後は有明海側を走って天草市の中心部に着いたのは11時前、いいペースで走れたと思いますし、この日は天候も回復していましたので天草の絶景を楽しめました。

 

天草キリシタン館での見学を終え、せっかく海辺の街に来たのだからと海鮮料理の店を検索して「瓢六」という寿司屋に行くことにしました。地元で知られる老舗の鮨屋との事で、とても感じの良い若夫婦(二代目?)が営む路地裏のお店なのですが、改装したてらしくまだ真新しいきれいな店舗で、ネタも新鮮で美味しかったです。

 

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妻と娘はここでお別れ、産交バスの天草ターミナルまで送って、そこから二人は空港直行バスで阿蘇くまもと空港に向かいます。
我々は再び西にクルマを走らせて崎津教会に向かいます。途中沢山の案山子が展示された、廃校利用の道の駅などに立ち寄りながら、崎津教会へは14時過ぎに到着しました。
明治維新となってキリスト教の布教が解禁となり、その際この教会を建てた神父が選んだのが、江戸時代に過酷な切支丹狩りの踏み絵が行われた庄屋屋敷跡であるこの場所なのだそうです。

 

ここへはバイクツーリングでも来た事があるのですが、それが2016年の熊本地震の時でしたからもう9年前なんですね。その時は地震当日の朝阿蘇を出発して、昼間震源地の益城町で観光し、その夜上天草のホテルで宿泊している時に揺れに遭遇したのですが、本当に紙一重のところでした。

 

 

その後はこの日予約していた、天草下田温泉の「望洋閣」に向かいます。天草下島の西岸に建ち東シナ海が目の前ですから、夕日と海鮮料理が売りのホテルで、この日は天候も回復していましたので期待大でしたし、ホテルに向かう途中の展望台からの眺めもなかなかだったのですが、残念ながら日没時にはかすかに陽光がのぞく程度でした。
ホテル自体は古くて、設備の使い勝手もイマイチでしたが、温泉の泉質は良く、料理も美味しかったです。

 

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熊本二泊三日の旅:一日目

 

青森・秋田の旅から戻って三日後、今度は九州熊本へ二泊三日の旅に行って来ました。15年前に101歳で亡くなった祖母の命日に合わせた墓参が目的なのですが、徐々にそれを名目とした阿蘇への里帰り旅といった趣きとなってきています。
私の親戚たちは昔からこの阿蘇にある本家に集まることが度々あって、実家ではありませんから本来の意味での里帰りでは無いのですが、少し前にヒットした「サマーウォーズ」というアニメ映画のような雰囲気で夏休みに親戚が勢揃いすることも多かったのです。

 

阿蘇の本家は祖父にとっての実家で、祖父・祖母までの代々の墓がありますが、私の父の代となってからは兄弟それぞれ各自が暮らした街で墓を作っており、以降この墓をどうするのかは、長男だった父のそのまた長男の私が決めなくてはならなくなりそうです。

阿蘇には飛行機での往復でしたが、熊本空港まで成田からLCCのジェットスターが就航していますので、最近ではいつもこれを使っています。我が家からは羽田より成田の方が圧倒的に近いですし、成田からの国内線はほぼ全てLCCですから安くもあります。ただ便数は少なく、その日の内に現地で活動を始めようとすると熊本行は7時15分発の便しかありませんので、遠い第3ターミナルに出発30分前到着とすれば5時半には家を出ねばならず、大変なのは確かです。
雨の中、タラップを使っての乗機も今となっては珍しいですが、雨が降っても濡れないだけの設備は整っていました。この日は航路全般に悪天候でかなり揺れが続きましたので、飛行機が苦手な私は緊張の連続で疲れました。

 

 

今回息子は仕事の関係で参加できず、私たち夫婦と娘の3人旅です。現地で親戚5人と合流して総勢8名の旅となりますが、妻と娘は仕事などの為に1泊だけして先に帰ります。
まずは熊本空港で羽田からJALで熊本入りする私の従妹と待ち合わせ、予約していたレンタカーを借り出しに行きます。熊本空港の正式名称は「阿蘇くまもと空港」なのですが、今期間限定で「阿蘇くまモン空港」と改称されているようで、通常でもくまモン推しなのが更にパワーアップしていました。

 

 

スカイレンタカーというレンタカー会社で借りたのは日産セレナ8人乗りです。8人乗りとはいえ、大人8人はきついかなとも思ったのですが、妻と娘は二日目の昼までで帰りますから、その間は我慢してもらうことにしました。
結果はそう大きな不満も出ませんでしたので、セレナの広さには感心なのですが、まあ8人中5人がご婦人で、小柄な人が多かったのも理由ではあります。

 

空港で従妹が合流して4人となり、次は熊本駅に新幹線で熊本入りする4人を迎えに行きます。その後8人フル乗車で阿蘇入りし、お墓参りの前に阿蘇の郷土料理の店で遅い昼食を取ることにしました。
阿蘇の郷土料理と言って私が思い浮かべるのは高菜とだご汁で、この二つははずせませんので、どちらもが入った「たかなめし定食」を選択。高菜は混ぜご飯にした「たかな飯」がポピュラーで、「だご汁」の「だご」は「だんご」ですから要は「団子汁」です。練った小麦粉を適当にちぎり入れたような不揃いの団子が入った「すいとん」的なものです。

 

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遅い昼食を終えて、旅の目的である祖父・祖母の墓参りに行きます。叔父・叔母は当然祖父(彼らにとっては父)のことを知っていますが、私たち従兄妹世代は早世した祖父の事は知りません。
墓参りの時が今回の旅で一番雨足が強かった時で、線香に火をつけるのも一苦労、ようやく着火してお備えした瞬間に雨で消えてしまうという有様でした。
という状況でしたからゆっくりお参りする間もなく退散したのですが、まあわざわざ来てくれたんだな位には感じてもらえたと思います。

 

こんな天候でしたから阿蘇山に登っても眺望は期待できませんでしたが、少し雨も小降りになって来ましたし、阿蘇まで来たならやはり山上へは行きたいですので、このまま登山道路を登ることにしました。
ちなみに「阿蘇山」という山はなく、根子岳・高岳・中岳・烏帽子岳・杵島岳の「阿蘇五岳」の総称です。現在も噴煙を上げている活火山の中岳までは登山道路が整備されて火口見物もできますから、阿蘇の人が山に登ると言えばここのことを指すことが多いです。

 


中岳の火口駐車場まで登った時にはまた雨風が強まっていて、傘も役に立たない程でしたから我々は車中や観光案内所で待機していたのですが、数十年ぶりに阿蘇に来たという従妹は、火口を見下ろせるところまで小走りに行って来て満足したようでした。
その後は山を下りて赤水というところにある「阿蘇白雲山荘」にチェックインしました。数十年前からこの地で営業している温泉宿ですが、豪雨災害や震災被害の後、数年前に補修ではなく一回りコンパクトにして新築したのだそうで、小振りですがとても居心地の良い宿でした。

 

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青森・秋田二泊三日の旅三日目:八戸の舘鼻岸壁朝市

 

青森・秋田の旅三日目は日曜日、今回の本番である舘鼻岸壁朝市の日です。早朝5時半にはホテル前に迎えのタクシーが来てくれました。

 

最初はレンタカーをこの日の昼過ぎまで予約していて、朝市にもレンタカーで向かう積りだったのですが、旅行の少し前にレイトチェックアウトの問い合わせをした際にホテルの人から、駐車場はかなり混み合うので、タクシーや周回バスを利用する人も多いですよとアドバイスしてもらいました。ホテルは八戸の駅前ですし、朝市まで送迎してもらうのならレンタカーは必要ありませんので、前日八戸に到着した時点で返却しました。
多くの観光客が駐車場で車中泊しているらしいと聞いていましたので、単純にクルマで行くことしか想定していなかったのですが、確かに会場が近付くと混雑は激しくなり、駐車場待ちのクルマで渋滞が始まりました。タクシーは専用の乗降場所で降ろしてくれて駐車場待ちの渋滞とも無縁でしたから、レンタカーで行かなくて正解でした。

 

年配の、といっても私よりは若そうでしたが、運転手さんはとても陽気で、早朝にもかかわらず明るく対応してくれました。まあ往復1万円近くが朝一の30~40分で確保できた訳ですから、これで不愛想な対応をされたらこっちこそ陰気になりますけど、、、。

 

 

我々が着いた時にはもうかなりの人で混雑しており、人気の店が集まるエリアでは歩くこともままならない程でした。さすがの規模です。
この日の朝食はここで済ませる積りでしたので、「たこ汁」や「ほたて串」などを適当に食べながらブラブラして、1時間半ほどで引き上げることにしました。
海産物が多いのは当然ですが農産品も多く、妻は青森名産のニンニクを実家へのお土産にしていました。ホタテとかカキなどもとても美味しそうでしたが、生ものはさすがに買って帰る訳にもいかず、、、。

 

 

タクシーの乗降場まで迎えに来てくれた、来る時と同じ運転手さんにホテルまで送ってもらい、港の朝市でかなり体が冷えましたので、ホテルのレストランで提供されていた無料朝食ビュッフェで暖かいスープとコーヒーを飲んで一服したのですが、それでもまだ8時にもなっていません。
この日はレイトチェックアウトで12時までは部屋を押さえてありましたから、このあともう一度部屋に戻って、軽く仮眠したりしてのんびり過ごしました。

 

今回泊まった「コンフォートホテル八戸」は、チョイスホテルズジャパンが展開する宿泊特化型のビジネスホテルチェーンで、アメリカの「チョイスホテルズインターナショナル」と日本の「グリーンズ」が提携して設立されたものです。全国に50店舗以上を展開中で、八戸は2025年3月にリニューアルした上で同じグループの「ホテルエコノ八戸駅前」からブランド転換されたのだそうです。
リニューアル直後で施設は新しく、価格も安いですから、かなりお得感のあるホテルでした。

 

帰りの新幹線は14時過ぎ八戸発だったのですが、予想より早く朝市から戻りましたので、予約を取り直して早い便で帰ることにしました。しかしこの日も新幹線はかなり混み合っていて、夫婦隣り合っての席は取れませんでしたので、バラバラの席で帰ることとなりました。
八戸駅で旨そうな駅弁を購入して車中で食べ、また少し寝たと思ったらもう大宮駅、東京着は15時過ぎで、夕方早く帰宅出来ましたので体も楽でした。

 

今回の旅は最終日の舘鼻岸壁朝市が主目的だったのですが、正直朝市よりも三内丸山遺跡や秋田犬、小坂町の産業遺産的施設の観光の方が印象的な旅となりました。

 

 

 

青森・秋田二泊三日の旅二日目:十和田湖・小坂町・八戸

 

十和田プリンスホテルで迎えた二日目は生憎の雨予報で、午後になると降水確率も100%でしたから、十和田湖・奥入瀬観光はクルマで走りながら眺めるだけにして、その代わり小坂町の市街地見物に行くことにしました。

 

 

朝の内はまだ晴れ間もありましたので、ホテルを出たらまず十和田湖の周りを時計回りに走って、北岸にある展望台から十和田湖を眺めたあと小坂町の中心部に向かうことにしました。
湖の周囲ではまだ殆ど紅葉は見られませんでしたが、標高約千mの御鼻部山(おはなべやま)展望台付近まで来るとかなり紅葉も進んでいて、思わぬ紅葉見物もできました。

 


プリンスホテルの所在地も同じ小坂町内なのですが、小坂は銅の鉱山として大変栄えた街で、三大銅山と言えば足尾銅山、別子銅山、日立鉱山というのが一般的であるものの、日立鉱山の代わりにここ小坂鉱山をその一つとすることもある程の規模だったんだそうです。

 

ここには昨年夏の奥入瀬・十和田・八甲田ツアーで昼食に立ち寄っていて、その時鉱山でとても栄えた街だという説明を受けたのですが、それまでは全く知らない街でした。
ただその時に、絶頂期には東京にも負けない先進都市・理想都市と言われ、従業員の娯楽施設として「康楽館」という演芸場まであったという事を聞いていて、今回ここまで来たのならこの康楽館にでも行ってみるかということになったのです。

 

十和田湖から前日来た道を逆戻りして、40分程で小坂町中心部に到着しました。康楽館に行く前にまず目についた「小坂鉄道レールパーク」というところに立ち寄ったのですが、想像以上に立派な鉄道遺産が展示されていて楽しむことが出来ました。
以下は小坂鉄道の説明ですが、

小坂鉄道は小坂鉱山で産出される鉱石や木材を輸送するために20世紀初頭に開業した大館までの約20kmの私鉄路線で、開業の翌年には旅客営業も開始されて地域の重要な交通手段となりました。昭和中期にはディーゼル化と軌間の改軌で輸送力を強化しましたが、1994年に旅客営業を終了し、2009年には全線廃止されました。現在は「小坂鉄道レールパーク」として保存され、歴史的遺産として親しまれています。

という施設で、ここに保存されているJRのブルートレイン「あけぼの」のB寝台・A寝台は列車ホテルとして週末には宿泊もできるようです。

 


小坂鉄道レールパークを出る頃から本格的に雨が降り始めましたので、前回ツアーの昼食会場でもあった「青銅館」で先に食事としました。いわゆる洋食屋さんですが、しっかりした味付けでとても美味しかったです。
小坂鉱山は「黒鉱」という海底火山の熱水活動によって形成された、銅・鉛・亜鉛などを含む黒色の硫化鉱石が多く産出されたのだそうで、イカ墨を使って黒く仕上げた「黒鉱カレー」などの黒メニューもいくつかありました。

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その後は康楽館のとなりにあった「小坂鉱山事務所」にも立ち寄ったのですが、往時の繁栄を偲ばせるとても豪勢な社屋でしたし、展示物も充実していました。
康楽館の方も鉱山と同じく、香川県琴平町の「金丸座」や愛媛県内子町の「内子座」と並び称されて「日本三大芝居小屋」や「現存三大劇場」の一つと言われているのだそうです。芝居興業が行われている最中でしたから劇場内の写真は撮れませんでしたが、ハイカラな外観とは違って場内は純和風で、奈落の雰囲気や人力で回す回り舞台なども江戸時代に建てられた金丸座とよく似ていました。

 

 

小坂鉱山は三大鉱山の一角でもあり、往時の豊かな財政をバックにして作られた各種の施設は、産業遺産としてとても高いポテンシャルを持つ観光資源だと思います。単に私が知らなかっただけなのかも知れませんが、その割には小坂町自体の知名度は低く、持てる力を生かし切れていないのはもったいないと思いました。

ここから八戸まで向かうのにナビが指定してきたのは高速を使うルートでした。
当初は十和田湖まで戻って奥入瀬渓流を見物しながらと思っていて、八戸まではそれが最短距離でもあると思うのですが、かなりの雨足でしたし十和田湖も朝イチで眺めて来ましたので、ここはナビに従うことにしました。道中も強い雨が降り続き、観光どころではない状況でしたから、結果オーライだったかも知れません。

 

 

 

青森・秋田二泊三日の旅初日ー2:大館で秋田犬・十和田湖

 

三内丸山遺跡で広い域内をゆっくり見て回り、思いの外遅くなってしまいましたので、大館への移動は高速道路を使うことにしました。
私は基本的には高速より下道が好きなのですが、念のためにPOLOからETCカードを抜いて持参していたのが早速役立ちました。

 

今回借りたレンタカーはトヨタのアクアで、これには自動運転支援機能が装備されていました。全車速追従機能付のクルーズコントロール、カメラとセンサーで車線を検知して高速道路などでの走行時に車線の中央を維持するようステアリング操作を支援する「レーントレーシングアシスト(LTA)」などの付いた、「Toyota Safety Sense3」というもので、とても楽チンではあったものの、車線維持支援に完全に任せる気にはならず、カーブの途中でグッグッとハンドルを切り増ししたりされると、背中がゾワゾワしました。まああくまでも「支援」ですから、完全に任せることはそもそも間違いなのかも知れません。

 

大館には15時前に到着、目的地は「秋田犬カフェ」で、秋田犬の陸奥くん・源太くんと触れ合えるというのが売りのカフェです。秋田には意外と秋田犬と触れ合えるところが無いことに気付いた陸奥くんのご主人夫妻が今年から始めたのだそうで、私たちが入店した時店内には誰もお客さんはおらず、陸奥くん・源太くんはのんびり昼寝中で、その後滞店中にも他の訪問者はなく、ずっと二頭を独占できたのはラッキーでした。

 


頼んだコーヒーはそっちのけで二頭と触れ合った30分でした。大型犬だけあって本気になったら到底かなわないだろうなという迫力はあるのですが、とても穏やかで触っていても怖いという感覚は全くありません。今はまだ夏毛でこれから換毛期を経て冬毛に換わると、もっとモコモコして来るそうです。体毛は思ったより剛毛でしたが、まあ自然の中で生きていくには当然これくらいの強さは必要なんだろうなと思いました。

せっかくですからすぐ近くの秋田犬会館にも行ってみました。
ここは日本の犬種団体では唯一の博物館で、世界中の秋田犬の登録及び血統書の発行や種の保存のための展覧会等の開催を行っている秋田犬保存会の本部事務局があります。1階には秋田犬に出会うことができるスペースもあり、以前出張の合間を縫ってきた時には居たのですが、この日は残念ながら居ませんでした。2階は忠犬ハチ公に関する資料の展示や犬関連の漫画や書籍を楽しめるスペース、3階は秋田犬の歴史から生態系までを詳しく紹介する資料などの展示です。そして会館の前には大館市で生まれた忠犬ハチ公の銅像「望郷のハチ公像」があり、この像は生まれ故郷の大館市大子内の方向を向いているのだそうです。ハチ公のストーリーを考えると何だか切ないですね。

 

この日の観光はここまでとして、宿泊地である十和田プリンスホテルに向かいました。十和田湖西湖畔温泉という温泉であり、住所もそのものズバリの秋田県鹿角郡小坂町十和田湖西湖畔です。十和田湖といえば青森県というイメージが強い方も居ると思いますし、私もそうだったのですが、実はざっくり半々で、東岸は青森県、西岸が秋田県という感じですから十和田湖西湖畔温泉は秋田県なんです。

 

名前の通りプリンスホテルですが、西武グループの紆余曲折に翻弄されて経営は色々あったようです。施設としては古いのですが、よく手入れされた居心地の良いホテルで、前回来た時にお気に入りとなりましたので、早めにチェックインして翌日もチェックアウトタイムぎりぎりまでゆっくりする積りでした。
16時半頃チェックインしてすぐ温泉で汗を流しましたが、ここの浴槽は露天のみで屋内には洗い場があるだけという変わった作りです。まだ明るいうちに十和田湖に面した露天風呂に浸かるのは格別で、一日の疲れが取れる気分でしたし、その後の夕食も大変美味しかったです。

 

 

 

 

青森・秋田二泊三日の旅初日ー1:三内丸山遺跡

 

妻と二人で二泊三日の青森・秋田の旅に行って来ました。
発端はTVの情報番組で紹介されていた八戸市の朝市で、ここ行ってみたいねということからトントンと話が進んだものです。

 

この朝市は「館鼻(たてはな)岸壁朝市」という名称で、青森県八戸市の八戸漁港で3月から12月の毎週日曜の朝に開催されています。来場者は毎回3万人以上、350店舗が出店する全国最大規模の朝市で、八戸市を代表する観光名所です。しかし開催される時間は日の出から午前9時頃までですから、前日には八戸入りが必要で、そうなればついでに周辺観光も兼ねて二泊三日程度で、と段々話が大きくなってきたのです。
会場そばの駐車場には前泊組も多数いるそうですから、私一人ならハイエースで車中泊なのですが、妻は車中泊が苦手ですし、私のハイエースはそもそもシングルベッド仕様です。

 

ということで今回の旅は
初日:東京⇒新青森(新幹線)⇒三内丸山遺跡(以降レンタカー)⇒大館で秋田犬ふれあい⇒十和田湖(宿泊)
二日目:十和田湖周遊⇒奥入瀬観光⇒八戸(宿泊)

三日目:舘鼻岸壁朝市見物⇒八戸⇒東京(新幹線)
というのんびり旅としました。

 

まずは東京駅を7時半過ぎの新幹線で出発。大人の休日倶楽部の特典でグリーン車に割引乗車です。平日の車内は社用・公用らしき人たちと私たちのような観光客(国内外)で混み合っており、全車満席とのアナウンスが流れていました。
新青森駅には11時前に到着、すぐに駅レンタカーで予約していたクルマを借り出し、新青森駅から三内丸山遺跡まではすぐですから、先に昼食を済ませることにして国道7号バイパス沿いに見つけた「たか久 西バイパス店」というドライブイン的な店に入りました。
見かけは昭和チックだったものの、昼前にもかかわらず地元の方々が続々と来店する繁盛店でメニューも豊富、私が頼んだホタテフライと刺身の定食も大変美味でした。

 

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三内丸山遺跡は、縄文時代の大規模集落跡で、国の特別史跡、「北海道・北東北の縄文遺跡群」として世界文化遺産にも登録されています。これまで何回か立ち寄る機会を逃しており、今回ようやく訪問出来ました。
想像以上に広大な遺跡で、竪穴建物(竪穴式住居)群、高床建物(高床式倉庫)群、大形竪穴建物のほか、有名な3層の掘立柱建物が再現されていて、資料や出土品の展示施設「縄文時遊館」も充実していました。
「北海道・北東北の縄文遺跡群」は北海道、青森県、岩手県、秋田県の1道3県にまたがって点在する17か所の遺跡で、中でも青森県にはこの中の12か所が集中しているんですね。

 


これまで私には温暖な西日本が文化の先進地という漠然とした思い込みがありました。しかし縄文文化について改めて調べてみると、
信州(長野県):約六千か所以上の縄文遺跡が確認されており、国内最多クラス。
北東北(青森・秋田・岩手):三内丸山遺跡や大湯環状列石など、大規模な集落や祭祀施設があり、高度な精神文化や定住生活の発展が見られる。
関東(千葉・茨城など):加曽利貝塚に代表されるように、貝塚文化が発達。関東一帯に広がる土器文化の中心地の一つ。
新潟県(中部高地):馬高遺跡で火焔型土器が発見され、芸術性の高い土器文化が栄えた。
という風に、むしろ寒冷と思われる地域で多く発見されています。
これは、縄文時代は現在よりも温暖な時期が存在したために、北海道や北東北のような寒冷地でも人類が定住できたと考えられていることと、冷温帯のブナ林が広がっていて、動植物の多様性により狩猟・採集・漁労に適した環境が整っていたこと、暖流と寒流が交差する海域であり、サケ・マスなどの回遊魚が豊富に獲れたことも理由なのだそうです。
また弥生文化は稲作との関係で温暖な西日本(特に九州・中国地方)から始まっていますので縄文文化の終焉が早く、よって縄文時代の保存状態も限定的だということが考えられているのだとか。なるほどと納得しました。

 

この日は、この後妻のリクエストにより秋田犬に会うために秋田県の大館市まで行ったのですが、長くなりましたのでそれは次回とします。

 

 

 

 

やっと本格ツーリング実現、広域農道を縫って犬吠埼へ

 

先日昔の同僚から誘われた道志ツーリングにはバッテリー上がりの為に参加できなかったのですが、翌日バッテリー交換してもらった帰り道でバイクの気持ち良さを再認識しましたので、その週の内にソロツーリングに出掛ける事にしました。
ここで行っておかないとまたズルズル乗らなくなる予感もありましたし。

 

 

久し振りですので、最初はホームグラウンドの房総半島内陸部を走ろうと考えていたのですが、徐々に雲が晴れて良い天気になって来ましたので、北総・東総台地を走って犬吠埼で太平洋を見ようという気になりました。
これまでは千葉ニュータウンを抜けて成田空港まで進み、県道44号線から70号線を経由して犬吠埼に向かうことが多かったのですが、この日案内されたのは、成田空港の滑走路をくぐったらすぐK44を右折してK79(横芝下総線)に入り、多古町を過ぎてK106(東総広域農道)、K73(銚子海上線)とつないで、最後は東総台地広域農道という道から銚子ドーバーラインに入るコースでした。
東総台地広域農道が2024年3月に全線開通した新しい道路らしく、今はこのコースがGoogleナビのお勧めとなっていて、確かに多古町を過ぎれば混雑する市街地も殆どパスできて、信号も少ない快適なツーリングルートです。

 

 

犬吠埼ではまず灯台の手前にある銚子電鉄犬吠駅で小休止して写真撮影です。電車はこの一駅先の外川まで通じていますが、灯台へはここが最寄り駅です。
銚子電鉄は経営難を逆手に取った自虐ネタでも知られており、代表例としては、
まずい棒:「経営がまずい」から命名されたスナック菓子で、2018年の8月3日に「破産の日」をもじって発売。お先真っ暗セット:サングラス+キーホルダーのセットで、「未来が見えない」ことを逆手に取った商品。などがあります。

 

犬吠埼灯台には平日にもかかわらず多くの人が訪れていて、灯台に登っている人も沢山いました。駐車場で隣になったカワサキエリミネーターの青年も私が走って来た広域農道を縫うコースでここまで来たらしく、とても気に入ったので帰りもそこを走ると言っていました。
灯台の周りを少し歩いた後は、君ヶ浜まで下りて間近で海を眺めて来ました。犬吠埼灯台にはこれまで何度も来ているのに、この浜は初めてです。灯台側の駐車場は未舗装でバイクの取り回しには緊張しました。砂利や砂は苦手なんですよね。

 

 

それからまた灯台まで戻り、イカとかツブ貝とかの串焼きで小腹を満たしてから帰ることにしました。
そして犬吠駅まで戻ったところに丁度銚子行きの電車が来ましたので、急いでバイクを駅の駐車場に停めて写真を何枚か。この車両はカラーリングからして旧南海電鉄からの払い下げでしょうか?
以前この犬吠駅は自由にホームまで入れた記憶があるのですが、今ではロープで規制されて入れないようになっていました。

 

 

その後は来た道を逆にたどって、帰り着いたのは17時前。行きよりも成田空港周辺の道路が混んでいたので、3時間近くかかりましたが、それでもストレスの少ない良いコースでした。走行距離はほぼ200km、走行時間が5時間ですから平均40km/h、まあこのあたりでのツーリングとしては至極順調な走行だったと思います。
しかし、ライダーの方は久し振りという事もあって楽しかった半面かなり疲れました。信号が少ない農道主体で楽だったはずなのに、やはり体がなまっているのか、単に歳のせいなのか。

 

 

 

昭和の喫茶店軽食と印西・印旛沼のコスモス

 

妻も私も予定のなかったこの日、久しぶりに松戸市八柱にある喫茶店「たかなし」に昼ご飯を食べに行こうかという事になりました。
妻はここのエビピラフが大のご贔屓で、定期的に食べに行きたいと言い出すのですが、私にはピラフ愛はなく、ここではサンドイッチやカツライスなどを頼みます。でも、たかなしという店自体は、昭和の香りがする店内の雰囲気も含めて好きなので、行くことに全く異存はありません。

 

妻は若い頃からピラフが好きだったようで、当時は喫茶店の軽食メニューとしては定番でしたからどこでも食べられたのですが、喫茶店自体が絶滅危惧種となり、ピラフというメニューを見ることも少なくなりました。

 

そこで、そもそもピラフと焼き飯とは何がどう違うのか、チャーハンとの違いは?についてまたまたAI君に調べてもらいました。

ざっくり言うと(AI君、こんないい方します。)
ピラフは洋風の炊き込みご飯で、生米を炒めてからスープで炊く。
チャーハンは中華料理で、炊いたご飯を卵と一緒に強火でパラパラに炒める。
焼き飯は日本の家庭料理で、チャーハンに似ているが、卵の入れ方や味付けが異なり、しっとり系が多い。

との回答でした。
しかし、喫茶店の軽食メニューとして定番だった頃、忙しいキッチンで生米を炒めるところからやっていたとは思えないが?と再度質問してみると、

おっしゃる通りです!
本来のピラフは「生米を炒めてからスープで炊く」洋風炊き込みご飯ですが、昭和の喫茶店で提供されていた“ピラフ”は、実際にはその工程を省略した炒めご飯スタイルが主流でした。多くの喫茶店では、炊いたご飯(冷ご飯含む)を具材と一緒に炒めて味付けするスタイルが一般的で、使用される具材は、ミックスベジタブル、ハムやベーコン、玉ねぎなど。味付けはバター+コンソメが定番で、生米から炊く本格的なピラフは、時間も手間もかかるため、忙しい喫茶店では現実的ではありません。
「ピラフ」という名前は、当時の喫茶店メニューにおいて“チャーハンよりちょっと洋風でおしゃれ”というイメージを持たせるために使われていた節があり、実際にはチャーハンとの違いは曖昧で、「バターで炒める」「コンソメ味」「具材が洋風」などがピラフ風の特徴でした。つまり、昭和の喫茶店で出されていたピラフは、本格ピラフの簡易版=炒めご飯だったんですね。

ということで、やはりそうですよね。
実態としてはバター・コンソメ風味の洋風チャーハン・焼き飯といっていいみたいです。ちなみに関西の喫茶店では焼き飯も存在感ありました。

 

この日も私はカツライス、妻はエビピラフでしたが、写真を撮り忘れて食後のコーヒーだけです。食前とか食後とかの希望に合わせて提供する時間を見計らい、数組分の豆を入り口近くにある大きなミルで豪快に挽いてサイホンで淹れてくれるコーヒーは、あっさり目で私好みの味です。 

 

 

たかなしを出た後は、少し足を延ばして千葉ニュータウンのコスモスを観に行くことにしました。印西牧の原駅そばにある牧の原公園のコスモスです。
台風の余波なのかとても風が強い日で、最初公園には誰も居なかったのですが、私たちがコスモスの周りを歩いていると徐々に人が集まって来ました。コスモスは風に揺れる姿が良いですね。

 

 

もう少しコスモスが観たくて、このあと印旛沼のコスモス畑にも行ってみました。
印旛沼は元の大きな沼が干拓事業で今は北印旛沼、西印旛沼に分かれており、この日行ったのは、西印旛沼の北岸にある印旛沼公園の近くで有志が管理している素朴なコスモス畑です。
写真の通りのまさに畑で、既に盛りは過ぎていて多くの花が散っていました。少し遅かったようですが、今年も旅の途中の長野をはじめとして各地で好きなコスモスを観ることが出来ましたので良しとしましょう。

 

 

 

晩夏の車中泊旅本番5日目:信濃・上野・下野(長野県・群馬県・栃木県)

この日は今回の車中泊旅の最終日です。翌日は宇都宮で仕事ですから、この日の停泊地は宇都宮の「道の駅うつのみやろまんちっく村」と決めていました。

 

出発地は長野県東御市の「道の駅みまき」ですから、長野・群馬・栃木と移動することになりますが、地図を見ていて軽井沢に「白糸の滝」というのがあるのを見つけ、朝一番で行って見ることにしました。
「白糸の滝」という名前の滝は日本全国にあるようですが、特に有名で観光地として人気が高いのはここ軽井沢と静岡県富士宮市の白糸の滝です。特に富士宮市の白糸の滝は私も行ったことがありますが、富士山の伏流水が絶壁から無数に湧き出す壮大な滝でかなりのスケール感でした。

 

道の駅から白糸の滝までは50分程で、6時半には到着しましたのでここもまだ無人でした。熊注意の看板にビビりながらも、150m位なんだから大丈夫だと自分に言い聞かせて、それでもスマホで最大音量にしたサザンの曲を流しつつ、滝まで足早に行って来ました。帰宅後妻からは止めろと怒られましたが。

 

 

スケールこそ富士宮には劣りますが、なかなか優美な美しい滝でしたし、何よりウルサイ(失礼!)観光客がおらずこの景色を独り占めなのに満足しました。
そして今ブログを書くために調べてみると、
「軽井沢町の白糸の滝は、湯川の源流にある人工滝で、岩肌から湧き出る水が白糸のように流れ、高さ約3m、幅約70mと控えめながら繊細で美しい。」
となっており、ここで「人工滝?」と驚いてしまいました。
「昭和初期に湧水(浅間山の伏流水)を利用して、岩肌から水が均等に湧き出すように設計され、湧水が流れ出す地層の境界を人工的に整形して、半円形の滝面を造成した。前面には堰堤(えんてい)による滝壺状の池も設けられているが、地質的には自然の湧水を活かしており、人工と自然のハイブリッドとも言える存在で、周囲の森林や苔むした岩肌と調和して、見た目は非常に自然に近い美しさがある。」
とも書かれており、それに異存はありませんし確かに感動もしたのですが、観光案内や現地看板に一言もそれに触れたものが無いのはいかがなものかと思いました。

 

この日は10時からリモートミーティングの約束がありましたので、このあと適当な場所で車内業務態勢を整えなければなりませんでした。
この日は滝シリーズで、次の目的地は「吹割の滝」としていたのですが、時間的に厳しそうでしたので、長野原町にある「道の駅八ッ場ふるさと館」の駐車場に立ち寄り、そこでリモート開始しました。
この道の駅には民主党政権が建設中止を強行してダム建設工事がストップしていた時にバイクツーリングで来たことがあるのですが、リモート終了後はせっかくなので近くの八ッ場ダム本体まで行って見学することにしました。当時は工事途中のままで近寄ることもできなかったのが、完成後はダムの堰堤の中を貫通するエレベーターで下まで降りられるようにもなっていました。

 

 

その後「吹割の滝」に到着したのが13時半頃、ここはもう群馬県ですから上野国ですね。ここに来たのは確か3度目ですが、この日は水量も多くて迫力がありました。以前来た時はやたらと「東洋のナイヤガラ」という看板が目立って、自らそんなにハードル上げなくてもと思った記憶があるのですが、この日はその看板に気付きませんでした。私が見落としたのか、それとも看板を下ろしたのか?

 


その後一気に栃木県=下野国入りして、中禅寺湖の竜頭の滝を見物した後は、クルマで数珠つなぎになったいろは坂を下って、目的地である宇都宮の道の駅には17時前に到着しました。
まずは道の駅併設の入浴施設「天然温泉 湯処あぐり」で汗を流し、途中で調達してきた夕食を食べて今回の車中泊旅は終了です。

 

宇都宮からの帰宅後メーター確認したところ、9月17日から10月1日の15日間の走行距離は約2,500km、友人との飲み会や万博見物の時は殆ど走っていませんのでまあこんなものでしょう。
また今回の車中泊では、殆ど道の駅・スーパー・コンビニで調達した食材での車中食とし、外食は奈良井宿の近くの蕎麦屋の一回だけでした。(飲み会と妻と同行の万博見物時は別)
外食だとどうしても糖質過多になりますので、一人の時は意識して炭水化物を食べないようにしたのですが、車内に電子レンジとIHコンロを備えましたので、全く不自由はありませんでした。ただ、飽きたのは確かです。

 

 

 

 

晩夏の車中泊旅本番4日目:木曽・信濃(長野県)

前日から車中泊していた「道の駅花の里いいじま」では、夜半から雨が降り続き、夜が明けてもまだ止んでいませんでした。

 


前日はきれいに見えていた中央アルプスの山々も全く見えませんし、雨具も無く、ロクな防寒具も無い状態で二千メートルを優に超える高地に登るのは無謀でしょうから、千畳敷カールは前回のブログで書いた通り断念して、代わりに前々日訪問した馬籠宿・妻籠宿と同じ木曽十一宿のひとつ、奈良井宿に行ってみることにしました。

 

馬籠宿・妻籠宿は美濃方面から中山道を来た時の、木曽十一宿1・2番目の宿場ですが、奈良井宿は反対の江戸側から2番目の宿場であり、十一宿の中では一番標高が高いところなんだそうです。現在、木曽十一宿の中でも江戸時代の街並みがよく保存されているとされていて、国の重要伝統的建造物群保存地区でもあり、約1kmにわたって続く日本最長の宿場町です。千本格子や出梁造りの町屋が江戸時代の雰囲気を色濃く残しているのだとか。

 

駒ケ根から塩尻市の奈良井宿までは1時間程、この日も朝早く目覚めたのですが雨模様だったので車中でのんびりしていて出発したのは9時過ぎです。途中で天候は回復し青空が広がって来ました。
奈良井宿の駐車場にクルマを停めて歩き出したのは10時半頃で、既に奈良井宿は大勢の観光客で賑わっていました。晴れて来るのと共に気温もぐんぐん上昇し、歩いていると汗が流れて来ました。久々に思い出す暑さです。

 

 

奈良井宿を出た後は、少し足を延ばしてビーナスラインを登り美ヶ原まで行って見ることにしました。途中までは順調に進んでいたのですが、ナビに言われるままに進んでいたら鷹山ファミリー牧場などという来たことのない所を通過する見知らぬルートを案内されました。どうも通行止めとかの関係でぐるりと迂回させられたみたいなのですが、それでもその内にビーナスラインの見覚えのある所に合流しましたので、そのまま上って行きました。
高度が上がるにつれて気温は下がり続けて最低12℃までなったのですが、この寒い中肩丸出しのウエディングドレスで記念撮影中のカップルがいたのには驚きました。

 


美ヶ原高原の道の駅に着いたのが14時半頃、もうこの日はここで車中泊でも良いかとも思ったのですが、奈良井宿で汗をかいたので風呂には入りたいです。そこでナビで調べて、立科町の方に40~50分下れば「立科温泉権現の湯」というのがあるのを見つけ、まだ時間はありますから行くことにしました。JAF割引で450円と良心的価格でしたし、お湯もとても良い感じでした。
車中泊はそこから更に20分程のところにある「道の駅みまき」としましたが、着いて見るとそこにも「布引温泉 御牧乃湯」という立派な温泉が併設されていました。

 

この日の走行距離は200kmに満たない程度だったのですが、ビーナスラインなどの山岳路が多かったので、前々日の下栗の里・しらびそ高原の時と同様に、走りごたえがありました。
私のハイエースはディーゼルエンジンのターボ付きですからトルクはかなりあって、車体は重い(さらに車中泊仕様で重量はかなり増加している。)ものの坂道でも結構グイグイ登ってくれます。しかしホイールベースが長く、車高も高いですからクネクネ道は苦手で、更に乗り心地改善のために社外品のショックアブソーバーに交換しましたから、カーブでのロールも乗用車的で車体が結構傾きます。これは乗り心地(ノーマルでは殆どトラックですから長距離はしんどかったです。)とのトレードオフですから止むを得ないと思っていますが、やはり山岳路向きのクルマではありませんね。
運転手自身はそういう道大好きなのですが、、、。

 

 

 

晩夏の車中泊旅本番3日目:信濃(長野県)

 

「道の駅とよおかマルシェ」で迎えた車中泊旅の3日目には、名古屋での飲み会で友人に勧められた千畳敷カールに行く積りだったのですが、全く予備知識が無かったもので前日ちょっと調べたところ、なかなか大変な人気スポットのようです。
特に紅葉が始まっている今の時期は年間最大のピーク期みたいで、この日は日曜日でもあり避けた方が良さそうだと判断しました。

 

ということで、午前中は近くのコインランドリーで洗濯しながら車中でブログを書き、昼前からは伊那市の高遠城址公園に行って見ることにしました。
ここは桜の名所であり、恒例となった私の桜旅もあと関西と中部を残すだけですから来年の下見でもあります。
以下AIの説明によれば、

高遠城址公園の桜は、明治時代に旧高遠藩士たちによって植えられました。その背景には、廃藩置県後に城が取り壊され、城跡が荒廃していく様子を憂いた旧藩士たちの思いがあります。彼らは、かつての藩の象徴であった高遠城の記憶を後世に残すため、また地域の誇りを守るために桜を植樹しました。
植えられたのは「タカトオコヒガンザクラ」という品種で、城下の桜の名所「桜ノ馬場」から移されたものです。この桜は、単なる景観の美しさだけでなく、旧藩士たちの郷土への愛着や歴史への敬意を象徴するものとして、今も多くの人々に親しまれています。

ということで、「タカトオコヒガンザクラ」は「高遠小彼岸桜」、彼岸の頃に咲くという品種ですからソメイヨシノより少し早い開花なんですね。

 

途中天竜川に架かる橋の写真など撮りながらのんびり走って着いた高遠城址には、広い駐車場も整備されていましたが、桜の時期にはここもすぐに満車となりそうですので、早朝に訪問する方が良さそうですね。
駐車場の脇には「”伝”大手門」と説明書きのある門が残されていましたが、明治の廃城の際払い下げられた大手門とされるものが、高遠高校がここにあった時、往時よりはかなり切り詰められた姿で移築され、高校の正門として使われていたのだそうです。城郭などは全く残っていませんが、石垣や堀の跡からは立派な城だったことが想像できます。

 


千畳敷カールは翌日に回しましたので、この日はその近くまで行って車中泊しようと思い、駒ケ根市にある千畳敷カール観光の起点となるバスターミナルまで行って見ました。混雑時はここの駐車場で車中泊して早朝出発する人も多いとの記事を読んで、場合によっては私もそうしようと考えたのですが、正直この時点では翌日登るかどうかは決めかねていました。
それというのも千畳敷カールは中央アルプス・宝剣岳の下に広がる氷河地形で、標高2,600mに位置する圏谷(けんこく)です。あまり耳慣れない圏谷という単語は「カール」の和訳であり、「昔、氷河が山を削ってできたすり鉢みたいなくぼみ」「山のてっぺん近くにある、丸くて広いくぼんだ場所」のことなんだそうです。ロープウェイで気軽にアクセス可能なのは良いのですが、まだ晩夏と言える気候に合わせた服しか持って来ておらず、少なくとも初冬の服装が必要というガイドを読んで少しビビっていたのです。

 

まあ有り合わせを重ね着すれば何とかなるかと覚悟は決めたのですが、まだ混み合っていた菅の台バスセンターの駐車場は敬遠して、近くの「道の駅花の里いいじま」まで移動して車中泊とすることにしました。
結局この夜から天候が悪化したために、翌日も千畳敷カールには行かなかったのですが、私はそれでもここを甘く見過ぎていたようで、仮に行く気になったとしても山上に向かうロープウェイ乗り場までの専用バスは早朝から大混雑で、軽い気持ちでは近付くこともできない程だったそうです。名古屋で飲んだ友人が偶然にも業務でここ駒ケ根に来ていて、その日の様子をあとで教えてくれました。

 

 

 

晩夏の車中泊旅本番2日目:木曽・信濃(長野県)

 

この日最初に訪れたのは馬籠宿です。馬籠宿は岐阜県中津川市にありますから表題の長野県というのは厳密には間違いなのですが、岐阜県が旧国名では美濃と飛騨、長野県が信濃であるのとは別に木曽という呼び方もあって、馬籠宿は木曽に含まれます。

 

美濃・信濃は明確な旧国名(令制国)ですが、木曽はそれとは違い信濃国に属する一地域名・地名であり、文化的・地理的なまとまりを示す呼称だったものが、江戸時代には「木曽十一宿」として中山道の宿場町群が形成されて、知名度も高くなりました。
岐阜県の馬籠宿は美濃、お隣の妻籠宿は長野県で信濃ですから、本来なら馬籠宿は木曽からも外れるはずが、上記の通り文化的・地理的まとまりとして木曽の一部、玄関口として扱われています。

 

車中泊旅となるととたんに早起きとなり、5時半には起き出して車中で簡単に朝ご飯を済ませたら出発です。道の駅と同じ中津川市内ですから6時過ぎにはもう駐車場に到着、ここは美濃から中山道を歩いて来た時の馬籠宿の登り口にある公営駐車場です。
以前の東北旅で訪れた大内宿と同じく、早朝は殆ど観光客もおらず有名どころを独り占めした気分になれるのが快感です。今では人里離れた自然の中では熊が怖いですが。

 

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馬籠宿は結構な斜面にあって、下から上まで歩くだけでもかなり疲れましたが、帰り際に見かけた猫に癒されました。もっとも彼(彼女?)は少し迷惑そうで、そそくさと去って行きましたが、、、。

 

ここから次の妻籠宿までは旧中山道で9km程、徒歩なら2.5~3時間でハイキングコースとしても人気のようですが、馬籠宿内を上り下りしただけで息切れするようでは厳しいですね。それに昨今では妻籠宿周辺でもツキノワグマの出没が報告されているとの事で、早朝のこの時間帯に単独行は危険な気がします。
クルマですから十数分で妻籠宿に到着、ここにもまだ人影はなく、朝の掃除を始めた地元の皆さんにきさくに声をかけていただきました。馬籠宿、妻籠宿どちらも風情がありますが、私は鄙びた感じの妻籠宿の方が好みですかね。
私がのんびり散策して帰る頃に外国人観光客が団体で到着しました。欧米系の年配の方々で、ハイキングスタイルでしたから中山道を歩いているのかも知れません。

 

 

妻籠宿を出る時まだ8時でしたので、ここからまだまだこの日の観光は続き、次はここからクルマで1時間弱で行ける天竜峡、木曽エリアを出て信州と呼ばれる地域に入ります。
まずは国道256号線を南東に走り、三遠南信自動車道(国道474号)に入ってすぐの所にある天龍峡PAから歩いて天龍峡大橋に行きます。正式地名は「天竜峡」らしいですが、「龍」の字を使う施設も多いです。

 

 

その後天竜峡の中心部まで移動し、龍角峯という奇岩を見物し、つつじ橋という天竜川にかかる吊橋を渡ったりして景観を堪能しましたが、吊橋の手すりが低くて高い所が苦手な私には恐怖でした。
ここには2013年にソロツーリングで来たことがあり、その時は今も営業中の峡泉という旅館に泊まったのですが、当時は純和風の鄙びた宿だったものが、その後リニューアルされて高級ホテルに様変わりしていました。探してみるとその時泊まった部屋の写真が残っていました。

 


この時点でまだ10時半、ここからは2013年のツーリングルートをたどって下栗の里、しらびそ高原に向かいます。
下栗の里は南アルプスから伸びる尾根に拓かれた高原の里で、標高は800~1,100m、「日本のチロル」と表現される絶景地です。天竜峡からは1時間余りで行けるのですが、山あいの秘境だけあってそこまでの道は狭く険しいです。バイクの時は全く苦にならなかったのですが、ハイエース君の図体では取り回し、すれ違いも大変でした。
そこから、南アルプスエコーラインというロマンチックな名前の道を走ってしらびそ高原にたどり着きましたが、名前とは裏腹にたどり着いたというのがぴったり来るような狭く険しい道でした。ここは星空観賞で有名なところで、「天の川の聖地」とも呼ばれるそうです。

 


 

ここからは山を下りたところの、「道の駅遠山郷」で車中泊の予定でした。ところがあてにしていた併設の温泉が改装中で使えず、近隣の入浴施設もうまく見つけられませんでしたので、もうひとっ走りして「阿南温泉かじかの湯」で入浴し、宿泊は「道の駅信濃路下條」としました。下條村は俳優の峰竜太の出身地です。
無事入浴も済ませ、道の駅には5時頃到着したのですが、営業終了と共に続々とお客さんが帰って行き、この山あいの道の駅であまり寂しい車中泊は嫌だなと感じ始めました。ということで再度ハイエースを始動させ、更に30分程北上して「道の駅南信州とよおかマルシェ」に落ち着きました。ここは桜旅の途中でも使った事のある新しくてきれいな道の駅です。

 

この日は走行距離は200km余りでしたが山間部の曲がりくねった狭い道ばかり走りましたし、観光も盛り沢山でかなり歩きましたので、いささか疲れました。おかげで朝まで熟睡出来ましたが。

 

 

 

 

 

晩夏の車中泊旅本番1日目:美濃(岐阜県)

名古屋での旧友との会食が終わり、車中泊旅の再開です。
自宅を出てから既に10日目ですが、車中泊は初日だけで後はすべて友人宅・ホテル泊でしたから。

 

ここからは、名古屋から千葉の自宅までの間を5日間程かけて旅する積りだったのですが、漠然と美濃、飛騨、木曽、信州という地名を想定していただけで、具体的には何も決めていませんでした。
そんな話を前夜の飲み会でしたところ、郡上八幡の食品サンプル館、中央アルプスの千畳敷カールは是非にと勧められました。郡上八幡と言えば郡上踊りや清流の街で有名ですが、食品サンプルが有名だという事は初めて知りました。

 

ということで飲み会の翌朝、団体客でごったがえす東横インのレストランでそそくさと朝食を済ませ、まずは郡上八幡へ向けて出発しました。
ホテル近くのガソリンスタンドで給油し、Googleナビに言われるまま走っていて、美濃市まで来たところで、「うだつの上がる町並み」という看板が目に入りました。「うだつ」とは隣家との境に設けられた防火壁で、江戸期の商家が財力を示すために装飾性を加えた建築物ですが、そこから「うだつが上がらない」は出世できないことの慣用句となりました。徳島県の脇町という所の「うだつ」は小さい頃から知っていましたが、美濃市も有名だったんですね。クルマからですので装飾性があって見ごたえのあるものは撮れませんでしたが、裕福な商家群だったことはわかります。

 

 

そこから30分程で郡上市の中心部、郡上八幡に到着しました。まずは街のシンボルである郡上八幡城に行って見ることにしたのですが、山城の城郭直下までの車道はとても狭い一方通行路で、甘く見ていたら何度かヘアピンカーブで切り返す羽目となりました。この城は再建されたものですが、日本最古の木造再建城なんだそうで、城山から見下ろす城下町や吉田川は絶景でした。

 

 

城山から下りて、友人お勧めの食品サンプル館に。古い街並みは狭い道路が入り組んでいて駐車に難儀しましたが、何とか「さんぷる工房 本館」というところの近くにハイエースを停めて入場してみると、食品サンプルと並んで昭和レトロの展示も充実していて、私はそちらにも興味津々でした。

 

samplekobo.com

 

 

街並み散策もしたいのは山々でしたが、この後飛騨古川から白川郷方面に行く積りでしたし洗濯物も溜まっていましたので、郡上八幡は吉田川の流れを眺めるだけで我慢することにしました。

 

 

郡上八幡から飛騨市へ向かうせせらぎ街道を走り始めてすぐのところにあったコインランドリーで洗濯を済ませ、改めてせせらぎ街道を北上し始めたのですが、この後トイレ休憩で立ち寄った「道の駅 明宝(磨墨の里)」で今後の行程を考えた結果、今回は飛騨方面はやめて木曽・信濃に絞ることにしました。
飛騨古川は、白壁土蔵の町並みや瀬戸川に泳ぐ錦鯉が有名で、映画『君の名は。』の舞台ともなりましたので一度行って見ようかと思ったのですが、飛騨高山や白川郷、更に富山県の五箇山などには何度か行っていますし、ここまで北上するとちょっと今後の行程がきつくなりそうだと考えたのです。

 

となれば翌日はまず馬籠宿となりますので、せせらぎ街道を引き返して郡上八幡に戻り、そこからこの日の停泊地に決めた「道の駅きりら坂下」を目指しました。そして道の駅が近くなってきたところで「付知峡(つけちきょう)倉屋温泉おんぽいの湯」という日帰り温泉を見つけましたので、ここで入浴していくことにしました。「おんぽい」とは、昔付知から付知川、木曽川を経由して下流の八百津まで材木を流していた頃の作業者のかけ声のことだそうです。
調べてみたところこの日帰り湯の名ともなっている付知峡は岐阜県の絶景スポットにも上げられる名所のようで、ちょっと寄っておけば良かったと後になって悔やみました。

 

 

道の駅きりら坂下の「きりら」はこの道の駅が木曽川右岸にあることから「きそ」、「リバー」、「ライトサイド」の頭文字を組み合わせたのだそうで、正直微妙なネーミングですが、絶えず聞こえていた木曽川の流れの音や、時々聞こえる中央本線の列車の音には旅情を誘われました。そして夜中に起き出して見上げた空には満天の星。

 

旧友との会食4

 

今回の万博見物はチケットも3日分確保しており、順当なら今回のブログ表題も「万博3」となるはずだったのですが、前日の昼までで夫婦二人とも「この辺で万博はもういいかな?」というモードになってしまいました。
この日の朝になっても、またあの人混みに突入していく気持ちになりませんでしたので、二人で相談の上、チケット代はもったいないけれど今日の万博はやめにして、チェックアウト時限12時までホテルでゆっくりしようという事になりました。ということで今回のお題は急遽「旧友との会食4」です。

 

唯一予約出来ていた空飛ぶクルマステーションもこの日だったのですが、現物に乗れる訳でもありませんし、妻が執着していたベルギー館もこの日の10時入場では既に大行列でしょうから、ここはすっぱり諦めてホテルでのんびりすることにしました。
妻は当初16時過ぎの新幹線だったのですが、翌日は朝から仕事が入っていましたので、できれば早く帰りたいとのニーズがありましたし、私もその夜は名古屋駅周辺での飲み会でしたから、早めに出発できればそれに越したことはありません。

 

ということで8時過ぎまでのんびり寝て、レストランで食事を済ませた後は11時半過ぎまでコーヒーを飲んだりしながら部屋で過ごし、チェックアウト後妻と別れて地下駐車場に3日間停めていたハイエースで名古屋に向かいました。
3日間お世話になったこのホテルには、9月22日~28日まで西区の靭公園にある「モリタテニスセンターうつぼ」で開催中だった「大阪市長杯2025世界スーパージュニアテニス」の出場選手たちが宿泊しており、いかにも健康的な世界の若きアスリートに囲まれての朝食はなかなか新鮮でした。

 


 

独りになった私は、どこかで昼食を食べてから名古屋へ向かおうと考えて、久しぶりにここからも近い十三(じゅうそう)のねぎ焼の有名店「やまもと」に行って見ることにしました。
私が大阪で居た40年前でも既に行列店でしたからこの時間では無理かも知れませんが、ダメ元で行って見ると、案の定既に10人程の行列でした。駐車場を探すのに手間取って店に着いたのは12時直前で、まだ開店即入店した第一陣が出て来るまでは時間が掛かりそうですので、残念ですがこの日は諦めました。
十三本店は私が知っていた場所からは移転しているみたいで、記憶とは違う所に店があったのもたどり着くのに時間が掛かった理由です。店構えも新しかったような。

 

豊中ICから名神高速に乗り順調に高槻まで来たところで、新名神の標識に迷って岡山方向に逆行する新名神の下り線に入ってしまいました。新名神は現在も工事中で、高槻から京都・名古屋方面はまだ開通していなかったんですね。
仕方がありませんので次の茨木千提寺ICまで走り、料金所でインターホン越しに事情を説明したところ、ゲートを開けるのでその前にETCカードを一旦抜く、ゲートを通過したら再度高速入口まで戻る、インターホンで再度呼び出してくれたらゲートを開ける、本線に進入したらPAなどの安全なところで停車しETCカードを再挿入する、といった一連の手続きをテキパキ親切に教えてくれて、高槻からミスコースしたことが無かったこととなって再び名古屋を目指せるようになりました。
高速での逆走の原因の一つとして今回のようなミスコース、乗り越しもあるのでしょうが、焦らず相談すればちゃんと対応してくれることが良くわかりました。

 

高槻で名神に復帰した後は大山崎ですぐに京滋バイパスに入り、草津でようやく本当の新名神に入って、名古屋西ICで高速を下りたのが15時前でした。ミスコースはあったものの、やまもとのねぎ焼を食べ損ねてPAのファストフードで我慢しましたので、到着は思ったより早かったです。この日の宿は東横イン名古屋名駅南で、名古屋駅前までは徒歩15~20分かかるようですが、無料送迎バスがあるらしいのでそれを使うことにしました。

 

標題とは関係ない話が延々と続きましたが、最後に少しだけ本題の会食話です。
会場は名古屋駅の近くにある「名古屋コーチン一鳳なごや弌鳥」、名古屋コーチンが売りの鳥料理の店で、鶏肉の旨さは勿論、どの料理も手が込んでいて美味しかったです。
この日のメンバーは元の職場の同僚で、定期的に東京で集まっているメンバーの一員なのですが名古屋在住の為に参加できないことが多く、今回は私が千葉への帰路に立ち寄ることにしたのです。
一人は現役バリバリの管理職女子、一人は私より少し若いセカンドキャリア爺さんで、やはり昔話に花が咲き、あっという間の2時間でした。

 

tabelog.com

 

 

 

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