男はムラ社会への適応力が女性に比べて低いんじゃないか、と以前の散歩の記事で書きましたが、会社をやめてホッとするところがある反面、繋がりが全くなくなるのもこれまた淋しいもんです。でも今は、ネットを使って社会と繋がれる、便利な世の中になりました。これはとても老人には有難いコミュニケーション手段で、表に出ることが億劫な場合でも、ネットなら指先一本でコミュニケーションが取れますし、何より定期的に発信していれば生存確認にもなります。電話、メールというのは、基本的には1対1のコミュニケーションですが、ネットでは同時に多数との情報交換が出来るようになるのですから、まさにコミュニティへの参加です。
ただブログやフェイスブック、ツィッターなどを見ることで、そのコミュニティに参加すること自体は簡単ですが、なにか書き込むには、越えなければならないハードルがあります。読者になったり、「いいね」といったものを残すことですら、やはり勇気が必要です。現実社会なら相手はほぼ特定できますが、不特定多数に瞬時につながるネットへの警戒心、怖れは間違いなくありますし。
ネット社会でも、散歩の時の、自分と同じように歩いている人を眺めているだけ、ただ目をそらしてすれ違うだけ、という態度となんら変わらない、とも言えます。
考えてみれば、ネットで一歩踏み出せる人は、現実世界でも散歩の途中に「今日は暑いですね」「よくお見掛けしますね」といった一歩が踏み出せる人なのかもしれません。肝心なのはその一歩の勇気なんですかね。
私の場合は、時間の有効活用という事で、日記の延長の積りでこのブログを始めたのですが、この一歩を踏み出すのは結構躊躇しました。フェイスブックのように基本的には知っている人とのコミュニケーションではとどまらなくなる訳で、最初の記事を作って投稿ボタンを押すまで2日くらい悩みました。
話は変わって、私たちの若い頃の話です。
昭和40年代の終わり頃から50年代始めにかけて、当時携帯はおろか貧乏学生の下宿には固定電話すらありませんでしたから、仲間と会うには、仲間内のメンバーの行動パターンの把握と、とても悠長な時間設定、そしていつも集まるたまり場が必要でした。この曜日の今の時間帯なら、「〇〇」か「△△」(多くは喫茶店、夜はスナックなど、雀荘もあったかな)に行けば誰かいそうだな、とあたりを付けて顔を出すわけです。誰もいなければとりあえず腰を落ち着けて、だれか来るのを待つ。喫茶店ならコーヒー一杯で、テレビを見たり、置いてあるスポーツ新聞や週刊誌、漫画(この鮮度が良い店が人気でした)を読んだりしながら、何時間でも粘ったもんです。全く金にならない客ですが、そんな若い奴がどの店にも居ましたね。それで大体誰かに会えましたし、時間がない時はマスターに聞けば、今日は誰も来てないねとか、さっきまで誰々が居たんだけど、次どこへ行くって言ってたよ、なんていう伝言板の役割も果たしてくれてました。出先での待ち合わせも大変で、駅とかには普通に掲示板がありました。何かとても牧歌的なコミュニケーションの時代でしたね。
そういえば 、当時同世代の女性はどこでコミュニケーション取ってたんでしょう?やっぱり茶店(サテンって言ってましたよね)でたむろしてたんでしたかね?全く記憶にありませんが・・。