シニアライダーの日常・R1200Rと共に

シニアライダーの日常と記憶、愛車R1200Rと行くツーリングの記録と四方山話。

筑波山ドライブ:「そば心 ゐ田(いだ)」で鴨汁そば

今日は家族そろってクルマで筑波山に出かけました。

天気が悪そう、というのもありましたが、先日の筑波山ショートツーリングは昼から出かけたので、「ゐ田」に寄るタイミングがなく、ここの鴨汁そばに未練が残っていたのです。ちょうど家族全員そろってましたので、みんなにも食べさせたいと出かけた訳です。

案の定小雨混じりのはっきりしない天気ですが、それもあってか途中の道はとても空いていて、11時の開店前には着きたいと思って出発したのですが、20分以上前に駐車場でスタンバイできました。先客が1台いらっしゃいましたが、この店にしては空いているほうだと思います。
11時ちょうどに開店し、お目当ての鴨汁そば4人前注文です。私以外は初めてですので、ここは鴨汁そば一択で、とほぼ強制。

 

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古民家風の建物です。

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注文を終えると、まず抹茶とお菓子が出てきます。そばの器もそうですが、このお茶碗も各自違ったもので提供され、なかなかのあじわいです。

まったりと待っていると、鴨汁そばが運ばれてきます。
何回か来てはいるものの、間隔があくと食べ方を忘れ、御主人にどうでしたっけ?と尋ねると、覚えてないのかい?しょうがねえなあ~と笑いながら、手取り足取り教えてもらいました。鴨の焼き方、蕎麦を食べるタイミング等に名物御主人の半端ないこだわりがあって、時間があって興が乗った時は、つきっきりで講談師みたいにしゃべりながら教えてもらえます。女性陣には特に熱が入るようで、今日は家内・娘が居ましたので、野郎ばかりのツーリングの時よりはテンション高めでした。

 

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ぼやぼやしてると指導が入るのでなかなか写真もとれません。
まずはとても太くコシのあるそばを、何もつけずに30回よく噛んで食べる。その次はわさびだけ、そしてつゆに付けて、最後に薬味も入れて、となる訳ですが、その間に順に焼けた鴨肉をそばつゆにたっぷりつけて食べることで、どんどんこの店の鴨汁そばが完成していく、という手順です。最後は少し残しておいたそばを鉄板で焼き、七味を振りかけてそばつゆでいただきます。これも絶品!

家族は最初、ご主人のスーパーハイテンションに引き気味でしたが、そばが想像以上においしかったこともあって、どんどんご主人のテンションにシンクロしていってました。

そのあと筑波山神社からケーブルカーで男体山側に登ります。標高は900m弱ですが、日本百名山のひとつで、古来「西の富士、東の筑波」と言われていて、万葉集には富士山より多く載っているそうです。
この日も悪天候にも関わらず多くの登山姿の方で賑わっていました。

 

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我々はケーブルカーでサクッと8分で山上ですが、濃い霧と強い風でとても寒く、視界も全く利きません。ある程度の寒さは予想していましたが、体感温度は想像以上に低く、茶店で温かいものを飲んで早々に下山しました。登りはガラガラだったケーブルカーが下りは登山姿の人達で満員です。予想外の荒天で皆さん心が折れたのかな?

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本来は山に登る前に筑波山神社で安全祈願して、というのが順序で、逆になってしまいましたが、下山後、無事を感謝ということでお参りして筑波山を後にしました。

 

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山を下りれば天気は回復していて、朝「ゐ田」に向かう途中で見かけた「平沢官衙(かんが)遺跡」に寄ってみました。

奈良時代この一帯を治めていた役所跡だそうで、復元ですが奇麗に整備されていて、当時相当大きな施設だったことが感じられました。近付いてみると結構大きな建物で、奈良時代当時の庶民の家からすれば、今の都庁にも相当するようなものだったんだろうなと思います。

 

平沢官衙は、奈良時代から平安時代にかけて造営された常陸国筑波郡の郡衙(役所)の一部で、その重要性から国の史跡となっている。

郡衙には、郡衙政庁(役人が執務する場所)、正倉(租税として集められた稲などの保管倉庫)、館(宿泊・饗応の役割)、厨(食事を作る場所)などの建物があり、平沢官衙跡はこの中の正倉部分と云われている。この遺跡には、掘立柱建物跡が55棟、礎石建物基壇跡4基、大溝跡や柵列跡、竪穴住居跡25軒が発掘されている[1]

この遺跡にあった建物は、コの字やLの字などの平面配置になっており、それぞれのまとまりごとに順番に増築されていったと考えられている。建物跡には、側柱式建物と総柱式建物があるが、この遺跡の3分の2が総柱式建物になっていた。

Wikipediaより引用

 

 

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