シニアライダーの日常・R1200Rと共に

シニアライダーの日常と記憶、愛車R1200Rと行くツーリングの記録と四方山話。

相鉄線が都内直通運転、で思い出した当時のこと

相鉄線がJRに乗り入れ、都内まで直通運転するということがニュースになっていて、以前相鉄線の沿線に住んでいた時のことを思い出しました。

私が住んでいたのは、相鉄本線から二俣川で別れて湘南台で小田急につながる、相鉄いずみ野線の南万騎が原で、二十数年前のことですから、まだ湘南台まで延伸されておらず、いずみ中央で行き止まりとなっていました。
 東京までの通勤は、乗換駅の二俣川まで一駅行き、そこから横浜行急行に乗り換えて終点横浜まではノンストップです。結構横浜までの乗車時間が長いことがストレスになるのか、車内での言い合い、喧嘩等のトラブルが多かった印象があります。
そして横浜駅でのJRへの乗り換えがまた一苦労で、皆前方の乗り換え口に急ぎますから、ここでも小競り合いが頻発していました。この乗り換えがなくなったことは都内に勤めるサラリーマンには大きいですね。

私のここでの生活は、結果として高々9カ月程度の短い期間でしたが、転勤による十数年ぶりの首都圏暮らしで、実質的に子育てのスタート点ともなった場所だけにとても思い出に残っています。

 

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参照:https://www.atpress.ne.jp/news/113163

 

南万騎が原駅の画像です。リニューアルはされているものの当時もおしゃれなイメージで、「南万騎が原」では長いので「みなまき」と皆呼んでました。
当時の(今も?)相鉄線は首都圏私鉄の中でもローカル色が強く、ハイソなイメージはありませんでしたが、その中でもいずみ野線は、沿線の宅地開発を連動して高級イメージを作ろうとしていた印象があります。特に隣駅の緑園都市は、東急の田園都市をライバル視していたとも言われていて、確かに80年代に田園都市線の新興住宅地を舞台にして大ヒットした「金曜日の妻たちへ」のイメージの街でした。その隣町である南万騎が原もそこそこおしゃれ感の漂ういい街でしたし、徒歩圏に広大な「こども自然公園」もあって子育てにはいい環境でした。

 

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参照:

 https://www.city.yokohama.lg.jp/asahi/shokai/koen/ka/kodomoshizen/kodomoshizen.html

 

訳あって今の千葉に9か月余りで引っ越してしまいましたが、当時の転居候補の中には、同じ南万騎が原のすぐ近くのマンションもありましたので、もしそこで暮らすことになっていたなら今回の件は大歓迎な出来事ですね。でももう毎日都内に通うわけではないからあまり関係ないか。

当時私の会社は本社が関西から東京に移転してきた時期でもあり、関西人が大挙して首都圏に転勤してきていました。彼らの多くは何故か千葉埼玉は選ばず、東京の西部から神奈川にかけて新居を探していた印象があります。少しでも関西に近く、という意識が働くんですかね?私は本社移転当時は地方の支社勤務で少し後になっての転勤でしたが、自身関西人ではないものの西日本出身ではありますので、やはり第一候補は神奈川でした。通勤の便利さ等考えると東京都内が一番いいのはその通りですが、まだ当時はバブルの影響が残っており、都内の家賃はとても高かったのです。
結果、上記の通り都内までさほど便利とは言えない南万騎が原という地で新生活を始めた訳ですが、今の千葉に越して来て、周囲は東北はじめ東日本出身の人がとても多いことを実感しました。やはり西日本の人間が神奈川方面を選ぶのと同じ心理ではないかと思います。住めば都で、私も今や完全な千葉っ子ですが。

 

 

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