シニアライダーの日常・R1200Rと共に

シニアライダーの日常と記憶、愛車R1200Rと行くツーリングの記録と四方山話。

キリスト教の葬儀式

 

題材としてはどうかと思いましたが、先日参列した身内の葬儀がキリスト教式でしたので、そのことを少し。

 

奈良に住んでいた、父のすぐ下の妹である叔母には、私が幼いころから可愛がってもらいました。88歳という年齢の割にはとても元気で、昨年末にも普通に電話で話したのですが、その後転んで腰を怪我して施設に入りました。そこからまだ間もないのに今度また施設内で倒れたとの連絡があり、もう身内の人を呼んでくださいと言われるまであっという間の出来事で、そのまま亡くなってしまいました。脳内出血だったらしいです。
身内を呼べと言われたと聞いた時は、翌日福島まで行く予定になっていましたので、用件を終えて東京まで帰ったら、その足で東海道新幹線に乗り換えて関西に向かうつもりで準備を始めました。ところが追いかけるように電話が来て、たった今亡くなったと。
生前の叔母にもう一度会うことはかないませんでしたが、葬儀には家内と共に参列しました。
叔母は19歳で洗礼を受け、大阪府下でプロテスタント教会の牧師となった叔父と結婚してからは、教会の敷地内にある住居に住み、教会の運営や、併設幼稚園の運営にあたってきた人です。


ちなみにキリスト教会の葬式は宗教儀礼として行われることから「葬儀式」と言うのだそうで、キリスト教には、もともと通夜の習慣はありませんが、日本独自の風習を取り入れ、通夜のことをプロテスタントでは「前夜祭」と呼び、カトリックでは「通夜の祈り」と呼んで、式をおこなうのだとか。

また叔父はプロテスタントですから「牧師」ですが、カトリックは「神父」で生涯独身ですよね。先日見た映画「2人のローマ教皇」でもそうでした。

 

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また我々がキリスト教会と言われてイメージする、重厚なゴシック建築でステンドグラスが輝くようなものはカトリック式で、この日葬儀式が行われたプロテスタントの教会は、質素で通常民家とさほど変わらないものでした。確かに叔父叔母が夫婦で運営していた教会も、神聖な雰囲気や静寂さは感じましたが、そんな重厚な造りではなかったですね。

プロテスタントの教会式の葬儀は、故人は神のもとで安らかになるという考えがあるため神にささげる祈りが中心となります。この世の生は終えても、故人は神の元に帰るのであって滅びではない、ということを牧師さんは強調していました。神に感謝し、遺族を慰めることに重きをおいて式が進みます。聖書の朗読、讃美歌、牧師の説教と進みますが、讃美歌の伴奏は、今もピアニストとして活動している故人の長女(私のいとこ)のオルガンで、娘の演奏で送られる叔母は満足かなあと思いました。

 

その後市内のホテルで会食をして、にぎやかに叔母を送りましたが、このあたりは仏式もキリスト教式も同じですね。
表通りに面した窓からは物おじせず道路を闊歩する鹿の姿が見え、奈良らしい風景でした。

 

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この日は、京都まで新幹線で来てそこからJR奈良線乗り換えだったのですが、京都駅も奈良線の車内も欧米系の観光客の姿がとても多く、その点は意外でした。もっとも、日韓関係のもつれで韓国人は昨年夏以降殆ど日本に来ておらず、中国人も今回の新型コロナウイルス騒動で殆ど姿がありませんから、その結果欧米人の姿ばかりが目立ったということなのかも知れません。
道を闊歩しているように見えた鹿たちも、観光客の減少で鹿せんべいにありつけず飢えているそうですから、食べ物を求めてさまよい出ていたということなんでしょうか?

 

 

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