太平洋戦争前、日本統治時代の台湾嘉義市にあった嘉義農林学校(嘉農=KANO、現国立嘉義大学)野球部の甲子園での活躍を描いた映画で、私が読者登録している方のブログを見て興味を持ち、Amazonのプライムビデオで視聴しました。
今回の記事はストーリーを明かす内容になってしまいますが、この映画は史実に基づいたもので、1931年このチームが実際に甲子園初出場で準優勝と言う快挙を達成していることは知られていますので、ネタバレとはならないかと。
この映画は2014年に製作された台湾映画で、主演は永瀬正敏ですが出演者の多くは台湾人です。しかし当時の台湾では日本語が使われていたこともあり、ほとんどのセリフは日本語で、現地語には字幕が入りますので、感覚としては日本映画を見ている気分です。台湾人俳優の日本語はぎこちないのですが、日本統治時代の現地の人の日本語もこうだったのかなと思わされます。
演技経験や日本語ではなく、野球経験者で体格に恵まれていることを条件に選抜したのだそうで、みんなとてもうまいので練習や試合のシーンに迫真性があります。
夕食後、軽い気持ちで部屋のPCで見始めたのですが、3時間超の長編にも関わらず、すっかり見入ってしまいました。
永瀬正敏演じる日本人監督、近藤兵太郎は、今の日本では到底受け入れられそうにないスパルタ式の指導と、何より寡黙なことで、ともすれば誤解されやすい人物です。ちゃんと相手のことも考えているし、きつい練習もただの根性論ではなく合理的な理由があってやらせているのですが、それを説明しようとせず、すぐ「うるさい」と怒鳴って議論を打ち切ってしまう、というか議論をしようともしない、、。
こんなオッサンや爺さんが私の子供の頃には、学校にも社会にもたくさんいました。子供ながらになんて理不尽な、と思っていましたが、今なら彼らの気持ちが多少は解ります。
当時の日本人は、外国人は野球が下手だと決めつけており、台湾でも強豪校は日本人だけで編成された台北一中や台北商業でした。そんな中、日本人と漢人、高砂族といった現地人の混成チームである「嘉農=KANO」は、実際負け続けでもあり、見下げられる存在だったのです。
ただ近藤監督は日本人のみを贔屓することなく、それぞれの長所を生かしたチーム作りを行い、漢人も高砂族も伸び伸びと野球に取り組むようになります。ただ石頭の偏屈親父には出来ない指導だと思います。
そしていよいよ台湾代表の座を勝ち取り、嘉義農林チームは1931年の甲子園、全国中等学校野球大会に臨むのですが、開会式には朝鮮からの京城商、中国からの大連商といった学校も参加していて、当時の日本人はどこからどこまでが日本だという意識だったのか、ちょっと考えてしまいます。
甲子園でも、スポーツ記者から、現地人に野球ができるのか?といった心無い言葉を浴びせられたりもしますが、彼らは実力でそれを見返し、何と準優勝までしてしまいます。
ストーリーとしては、オーソドックスな青春・スポーツ映画と言っていいのでしょうが、日本統治の時代を決して否定的にはとらえていないことで、日本人の私にとっては心地いい作風でも、外省人(終戦後に台湾に渡ってきた人々)からは評判が悪いのだそうです。
嘉義農林学校は、当時の台湾において農業の改革と治水は最重要課題だったでしょうから、優秀な人材が集まる学校だったのだろうと思います。
他国を武力で統治したことを正当化はできませんが、映画に描かれた通り日本人と現地台湾の人がそういった優秀な学校で机を並べて差別なく学べ、同じ野球チームで共に競い合えていたのだとしたら、ちょっとほっとする気分です。