シニアライダーの日常・R1200Rと共に

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1964年の10月10日は東京オリンピック開会式でした。

 

1964年の10月10日、56年前の今日が前回の東京オリンピックの開会式でした。
四国の田舎の小学4年生だった私は、街の電気屋さんが設置した、街頭のカラーテレビでこの開会式の模様を眺めていました。まだ各家庭にカラーテレビは普及しておらず、快晴の空の青や日本選手団の真っ赤なブレザー、緑の芝生等が強く印象に残っています。

 

今日は台風の影響で関東地方は朝から雨でしたが、56年前も前日までは同じく台風の影響で悪天候だったのが、当日は朝から抜けるような青空が広がり、それ自体はとても喜ばしいことなのですが、やはり神国ニッポンなんだというような余計なことを喧伝する輩もいたのだそうです。

 

 

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参照:https://www.nippon.com/ja/column/g00213/

この画像ですね。
このカラーの鮮やかさは衝撃的でしたし、これ以降カラーテレビが一気に家庭に普及しました。カラーテレビ以外にもこのオリンピックを契機に発展・整備されたものは多く、東海道新幹線、東名・名神高速道路、首都高速道路等もそうですね。

 

去年、馬術のチケットが当たったことを記事にしていましたが、延期になってしまい来年はどうなることやらです。両国の「江戸東京博物館」で見た、東京オリンピック展に展示されていたポスターやユニフォーム等でも当時を思い出しました。

 

www.boon-senior.com

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経済白書が「もはや戦後ではない」と高らかにうたい上げたのが1956年で、この頃には1964年のオリンピック東京招致はもう決まっていたでしょうから、オリンピックをテコにして、あと8年という短い期間で、戦後ではないと言いながらも社会のあちこちに残る戦前、戦中、戦後の遺物を一気に片付けようとしたのだと思います。
正に国家の威信をかけた大プロジェクトで、その後1988年のソウルオリンピック、2008年の北京オリンピックでの韓国、中国の国を挙げた取り組みを見て、ああ、あの時の日本と同じなんだなと感じたものでした。ちょうど20年間隔くらいで両国は日本の成長を追っていた、という事になるんでしょうね。

 

実際その頃までは、今は世界から称賛される日本人の公衆道徳も決して褒められたものではなく、路上での立小便、唾吐き、痰吐き等々は街で普通に見られる現象でした。また大人数の集会の後や、列車内のゴミの散乱具合も今の比ではありませんでしたので、大挙して日本を訪れる外国人に恥ずかしくないマナーを身に付けようという一大キャンペーンが行われていました。東京を始めとした大都市で今のようなゴミ収集のシステムが確立したのもこの頃で、それまでは回収されないゴミが溢れ、そんな状況だからまた平気でそこにゴミを捨てるという悪循環で、地域性もあるのでしょうが、街じゅうにゴミが散乱している風景も珍しくなかったそうです。

 

私が生まれ育った田舎では、ごみ回収というシステム自体が存在していませんでしたから、生ごみは庭に穴を掘って埋めたり、庭の果樹の根元に捨てて肥料にしたりしていたと思います。埋めても分解しないビニールなんかは結構平気で燃やしていました。今と比べれば、燃えないゴミそのものが圧倒的に少ない生活だったからできたことだとは思いますが、有毒ガスの発生などという知識もなかったと思います。

 

話がゴミの方にそれてしまいましたが、前回の東京オリンピックは、上記の様にそれを契機として様々な社会インフラが整備され、国民の意識も向上し、日本が先進国に追いつき追い越すことになった良い記憶として、我々より上の世代には残っています。
ですから今回の東京オリンピックにもそれだけでプラスのイメージを持ってしまうのですが、実際にはそんな良い事ばかりではありません。
近年の開催他国の例を見ても、施設への過大な投資等が負の遺産として残っている例の方が多いですから、果たして若い世代の人たちにもオリンピックは歓迎すべきイベントとして響いているのだろうか?ということも疑問ではありますね。

 

 

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