「酒よ」というのは、吉幾三の歌ですが、私と酒の関わりについて書いてみたいと思います。関わりといっても私はほぼ下戸ですので、「関わらざるを得なかったこと」ですかね。
開高健は私の好きな作家なのですが、彼は無類の酒好きでもあり、「酒なくして何の人生か」とか「飲めない奴は人生の半分を損している」みたいな台詞をたびたび書いています。下のエッセイは「地球はグラスのふちを回る」というタイトルのおしゃれさに惹かれて、飲めもしないくせにすぐ買って読んだのですが、こんな時は飲める人は良いなあと思ったものです。
先日たまたまNHKのBSで開高健を特集していて、それで久し振りに開高健の記憶がよみがえり、この記事を書こうと思ったのですが、この番組は録画していてまだ観ておらず、内容が楽しみです。
私の家系は残念ながら皆酒には弱い体質のようで、飲めばすぐに顔に出て真っ赤になります。身内の結婚式や法事などで親戚が集まると、我が家系の男たち(当時のご婦人方はそもそもそういう場であまり飲みませんでしたから、、)は顔が赤いのですぐわかります。私もご多分に漏れずビール一杯で真っ赤になり、その上心臓もドキドキしてきます。
とはいえ昔は、酒と煙草は大人の男にとっての嗜みみたいなところがあって、酒が飲めない、では許されず、飲めないところから鍛えて飲めるようになっていくもんだ!と言われたりもしました。
ですから若い頃は飲むのも修行という感じで、学生時代から飲みに誘われれば行きました。行けば行ったでその場の雰囲気は楽しかったですし、綺麗なお姉さんのいる店なら猶更です。また飲めなくても酒の肴と言われるようなものは大抵好きでしたので、飲んで苦しくなってくると肴をつまんだり煙草を吹かしたりでごまかしていました。でも結局強くはなりませんでしたね。
社会人になってからは、歓送迎会、決起大会、残念会、新年会、忘年会、花見等々色んな名目の飲み会がありましたし、接待の宴席も多々あって、つきあうのは正直しんどかったです。またこの頃大学生の間で「一気飲み」というのが流行り出し、それが社会人にも広がって来て、それを強要する上司や取引先のいる宴会は恐怖でしたね。なるべくそういう人からは遠い位置に座り、おとなしくしていました。
ただ社内でもある程度の年齢・立場になってくると、僕は飲めないから、ということが言いやすくなってきて、最初から私にはウーロン茶が用意されるとかいうことも多くなり、その点はありがたかったです。
またその頃には、アルコールは体質によって受け付けない人もいることが科学的に説明されるようになってきましたので、無理強いする人も少なくなってきました。
日本人の4割強は酒に弱いか、全く受け付けない人だそうで、酒の強い5割強は縄文人系、4割弱の弱い方は弥生人系なんだとか。私の顔立ちは典型的な縄文人系だと自分では思っているのですが、アルコール体質に関しては逆みたいです。
一方家内は飲める口で、毎日缶ビール一杯位を楽しんで飲んでいますが、若い時に比べて飲めなくなってきたことを悔しがっています。
我が家の息子と娘はそちらの遺伝子を継いだようで、二人とも飲めるようになりました。ただ、息子の方は酒が好きではないようで、自分から飲もうとはしません。大学のサークルでは飲まざるを得ない環境で、結構飲んでいたみたいですが、一度だけ、酔いつぶれたあと正気に戻った彼から救援コールがあり、終電後のターミナル駅までクルマで迎えに行ったことがありました。彼の大学では、入学時にアルコールパッチテストというアルコールを受け付ける体質かどうかを調べる検査をやってくれていて、それによると彼は飲める体質だったんだそうです。当時の彼はそれをいくら飲んでも酔わない体質と思い込んでいて、結果酔いつぶれたということのようです。それも影響したのか、その後の彼は酒と距離をとるようになっています。
娘の方は飲むのも好きなようで、コロナ前の学生時代は毎晩のように友人と飲み歩いていました。息子より娘の方が酒には強いかも知れません。コロナ後は、社会人になったこともあり、ただでさえ交友関係も生活習慣も変わる時期でしたから、大きく飲酒習慣も変っています。友人、同僚との飲み会はほぼ全てリモートで、その時は結構飲んでいますが、それ以外の日は全く飲まなくても平気みたいです。まあ20代前半の娘なのですから、飲まなくても平気なのは当たり前だと、飲めない親父は思います。