タイトルは以前観た「西部戦線異状なし」という古い映画のパクリです。
映画はアメリカでの制作ですが、原作は世界的ベストセラーとなったドイツの小説で、第一次世界大戦でフランス・ベルギー戦線(西部戦線)に送られた若いドイツ軍兵士の話です。ナチの時代には反戦小説として所有が制限されたりもしたそうで、映画の細かなストーリーは覚えていないのですが、戦争の悲惨さや理不尽さはかなり感じました。
本題の左足親指ですが、6月半ばにスーツに革靴という現役時代のスタイルで一日外回りをする機会があり、その際固い革靴が久しぶりだったこともあってか、夕方から左足の親指が徐々に痛み始めたのです。具体的には親指の爪が皮膚に食い込む、巻き爪・深爪の症状で、昔から私の親指はそうなりやすい体質でもあるのです。
また左足の親指は、3年ほど前に何かで強打して爪の下が出血で真っ黒になってしまうということがあり、心配になって整形外科に行ったところ、「ああこの爪はしばらくしたら剥がれますね」と事も無げに宣告され、実際数か月後には剥がれ落ちて次の爪に生え変わりました。当初痛みはなかったのですが、内出血が引いた後になって爪がグラグラしてきて、爪に触れると強い痛みもあり靴を履くことにも難儀するようになってきました。その間は固くテーピングして何とか靴を履けるようにはしていましたが、毎日革靴を強要される環境でなくなっていたのは幸いでした。そして数か月して生え変わったのが今の爪で、以前より固くゴツゴツして厚みも不揃いです。今回もその時によく似た症状でした。
痛み始めたのが週末金曜日のことで、土曜日にプライベートで出かけて歩いている内にどうにも痛くてまともに歩けない程にまでなってきました。夜になってからは目で見てわかるくらいに赤く腫れあがってきて、ちょっと爪を押さえるだけで顔をしかめる位痛かったです。翌週は仕事が立て込んでいて、スーツ着用が必要な日が3日もあります。このままでは到底革靴は履けそうもありませんので、週末に診療してくれる病院を探して、翌日の日曜日、足を引きずりながらその病院に向かいました。
土日とも終日診療しているとあって、この日も多くの患者さんで混み合っていました。最初に整形外科で見てもらったのですが、形成外科の守備範囲だと言われそちらに回りました。朝8時半からの受け付け開始でしたが、8時20分頃到着した私の待合番号は既に50番以上となっており、形成外科で呼ばれるまで3時間かかりました。
形成外科の先生は私の指を見るなり、ああ随分炎症を起こしているねと言って、おもむろに指の痛む部分を押さえ始めます。それだけでも飛び上がるくらい痛かったのですが、指に食い込んでいる爪を切り取るのにニッパーを取り出してきたのにはビビりました。案の定涙がこぼれる程痛かったのですが、もうちょっと頑張って!というばかりでグリグリとニッパーを押し込んで切っていきます。その間ほんの10~20秒程度のことだったとは思うのですがめちゃくちゃ長く感じました。ところが爪が食い込んでいた部分が爪から解放されると嘘のように痛みは引き、とても楽になりました。
爪にえぐられて傷になっていた部分に薬を塗り、包帯を巻いてもらって、抗生剤、痛み止めをもらって帰りましたが、楽になったとは言ってもまだ傷はあり腫れも引いていませんので親指に力がかかるとやはり痛かったです。腫れあがって包帯を巻かれた親指の写真もあるのですが、見苦しいだけですので自粛しておきます。
翌日の仕事はサンダルで勘弁してもらい、水曜日からのスーツ3連荘は固い革靴ではなく、柔らかい黒のデザートブーツでごまかして何とかしのぎました。水曜日になって厚い包帯を薄いものに変え、多少爪や親指に圧がかかっても大丈夫なくらい症状は改善していましたのでこれで何とかなりました。
1週間後、ほぼ治癒はしていたのですが、今後のテーピングの指導をするからと再診を指示されていましたのでやり方を教わってきました。要は爪の周りの肉をテープで押し下げて爪の通り道を確保してやる、というのが基本であり、そう難しいものではありません。ただ「のど元過ぎれば、、」の言葉の通り、痛くなくなった現状でその気持ちを持ち続けられるかが問題です。
老人らしく腰痛や巻き爪といった健康ネタが続きましたが、おかげで梅雨の合間の晴れが続いても全くバイクには乗れませんでした。まあこの時期なぜか仕事が集中してしまったこともバイクに乗れない原因ではあり、そもそもバイクには適さない程の真夏の暑さに見舞われているのも確かですが、、。