シニアライダーの日常・R1200Rと共に

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吉田拓郎が音楽活動を終了するそうです。

 

私世代の青春のシンボルともいえる存在の吉田拓郎が年内で音楽活動を終えることを発表し、私と同じく彼に影響を受けた世代の人たちがザワザワしています。

 

私が吉田拓郎(最初はひらがなで「よしだたくろう」でした。)を知ったのは1970年高校1年生の時で、一足先にまだブレイク前だった彼のファンとなっていた同級生から教えてもらいました。
初期の頃の拓郎は「イメージの詩」「人間なんて」といったメッセージ性の強い歌も歌っていたのですが、一気に世に出たのは「結婚しようよ」「旅の宿」「今日までそして明日から」という、自身の生き方や恋愛体験などをテーマにした、当時としては斬新な歌がヒットしてからでした。
そしてそれは従来のフォークファンから「大衆に迎合した軟弱な歌」とか「商業主義」とか、更には「裏切り者」「堕落した者」などのひどい言葉を投げつけられることにもなったのです。フォークグループが複数参加するジョイントコンサートの会場などでは激しい「帰れコール」を浴びせられ、石を投げられることもありましたし、「アングラこそがフォーク」と信じて疑わない人たちはレコードが売れるとそれだけで商業的だとその歌手を敵視したのだそうです。
私は学生運動と同じくこれらの現象にもちょっと遅れた世代ですから、後付けで得た知識も多いですが、宗教にしても音楽にしても政治思想にしても、ガチガチの原理主義者にはちょっと付いて行けない思いがその頃から芽生えたみたいです。

 

このように当時から色々言われていましたが、文学の世界なら私小説に相当する音楽の世界を切り開いた人なんじゃないかなと思っています。それまでのフォークソングは「私たち」が主語で、当時フォークの神様と言われた岡林信康の「友よ」や「私たちの望むものは」はその代表でした。それを「私」が主語の世界に変えた功績はとても大きいと思います。
「私たち」は熱い世界、「私」は冷めた世界だと感じていて、たとえば韓国語では「ウリナラ(私たちの国)」に代表されるように「私たち」が主語となることが多いのですが、ご存じの通り韓国はとても熱い社会です。私が韓国に駐在した数十年前は今のように社会を挙げた反日運動というのはありませんでしたが、抑圧された思いというのは何かの拍子に顔を出しました。そしてそれはほぼ決まって我々韓国人は、君たち日本人は、という集団を語る議論となった時で、ウリ(私たち)とナム(君たちorお前ら)という対立図式がきれいに出来上がり、だんだんヒートアップしてきたものでした。それが私とあなた、俺とお前という一対一の場面ではそうならないのが不思議でしたが、それはやはり「私たち」は熱い世界で「私」は冷めた世界だからなんじゃないかと思います。

 

私に吉田拓郎を教えてくれた友人は、お姉さんの影響でギターを始めていて拓郎を知ったそうですが、高2の夏休みには伝説の第3回全日本フォークジャンボリー(中津川フォークジャンボリー)に行って来て、その様子も熱く語ってくれました。彼の影響でギターにも興味を持ったのですが、当時私は中学時代に手に入れたガットギターしか持っておらず、それにスチール弦を張ってフォークギター風にしてみたところ、張力が強すぎてネックが曲がってきて、弦とフレットとの間が1cm程も開くようになってしまい、使い物にならなくなりました。
ガットギターは60~70年当時大人気だった「ナルシーソ・イエペス」というスペイン出身のクラシックギター奏者の「禁じられた遊び」に影響を受けて始めたものですが、全くモノにならないままに眠っていました。フォークギターの方も、ギター自体は友人に借りたりして練習したのですが、生来の不器用さ、音感の無さも重なってやはり挫折し今に至ります。

 

 

 

そして今回、拓郎が最後に発表した「ah-面白かった」というアルバムを数十年ぶりに新譜で購入しました。といいながら実は彼のアルバムを新譜を買うのは初めてかも知れません。ネットでダウンロードできる時代になって、デジタル音源となった過去のアルバムは複数購入していますが、新譜のレコードは当時仲間の内の誰かが必ず買っていましたから、自分では買わずにカセットテープに落としていたんだと思います。例えば、俺が陽水(井上陽水)のこれ、お前が泉谷(しげる)のあれ、といった具合に示し合わせて買うのですが、拓郎のは自分で買いたいという奴が多くて、私は買わずに済んだのでしょう。当時から人気ナンバーワンの拓郎よりも陽水や泉谷のファンのふり(もちろん彼らも大好きでしたが)をする天邪鬼だったのかも知れません。

 

今回のアルバムはまだそんなに聞いていませんが、すぐに良いなあと思ったものとそうでもないものに分かれています。中には昔の曲へのアンサーソング的なものもいくつかあってとても懐かしい思いがしましたし、一つの時代が終わったなあとしみじみしました。

 

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