「ビッグワンカフェ」から「燈籠坂大師の切り通しトンネル」へのツーリング、前回の記事に続く後編です。
大多喜のビッグワンカフェから、全く混んでいない国道465号線、房総スカイライン、国道127号線(内房なぎさライン)を気持ち良く走って到着した富津市竹岡にある燈籠坂大師の切り通しトンネルですが、富津市のHPを要約すると、
燈籠坂大師は弘法大師が行脚中にそこで腰を休めたという、東善寺(富津市竹岡)の飛地境内地。切通しトンネルは、燈籠坂大師堂へと続く参道で、手掘りの切り通しトンネルは城山(造海城=つくろうみじょう)の尾根の関係で上り下りが急であったため、明治から大正と思われる頃に掘られ、その後、昭和初期に地元住民により、鋸山の石切の技法を用いて切下げ工事を行い、現在の形になった。
参照:富津市のHPより要約
とのことです。
名前の通り燈籠が並んだ坂があり、お大師様まではすぐのようですので、バイクを停めてジャケットを脱ぎ、帽子だけを被って気軽に上がってみると、お大師様の横手からは近くにある造海城(つくろうみじょう)への道が通じていました。
地図で山城があるのは見ていましたので、ちょっと行ってみる気になったのですがそれが大間違い、えらい目にあいました。高い山でもないですし距離もおそらく往復2km程度だったと思うのですが、殆ど訪れる人も無いのか藪で道が覆われていたり、倒木が行く手を阻んだり、なかなか大変な道でした。更には、半袖Tシャツには蚊などの虫が寄って来るし、笹で腕を切りそうになるし、ライディングシューズは滑るし、と四重苦、五重苦で、意地だけで行って来ましたが、せめてペットボトルの水とタオルくらいは持って行くべきでした。
途中「未整備ですので危険です。進まれる方は自己責任で」との立て札がありましたが、滑落等の事故よりも、城址を見てのがっかり感に責任は持てませんよという趣旨なのではないかと勘繰ってしまいました。
城址には何の説明書きもありませんし、城址と聞いていなければ木に覆われた山頂近くの平地としか思えません。私は最初、登り始めてすぐのところにあった開けた平地が城址だと思ったのですが、どうもそれは曲輪とか出城にあたるものだったみたいです。しかしそれについても何の説明もありませんから想像にすぎません。
でも帰宅後に造海城の情報をネットで検索してみると、「現在、城址には空堀や石垣、土塁など遺構が良好な状態で保存されています。」となっていました。「現在」がいつの事かは分かりませんが、そう昔の事とは思えませんので、私の眼はよほど節穴だったみたいです。
造海城の正確な築城時期は判っていないようですが、戦国時代の戦いでは城側が寄せ手に対して「この場の風景を百首、和歌に読んだら開城する」という条件を出し、寄せ手があっという間に百首読んだので、城側は速やかに開城し落ちのびた、とされる故事があって、そこから「百首城」とも呼ばれるのだそうです。最初に百首城と見た時には、百人の首をさらし首にした所だったのかとゾッとしたのですが、思わぬ風流な出来事でした。
城址から下りてきてからようやく、肝心の切り通しトンネルで写真を撮ったりしたのですが、ここは期待通りで、手掘りとは思えない大規模な切り通しですからそう陰鬱さも感じず、良い雰囲気でした。近くには鋸山の採石場があるのですが、そこの石材切り出しの技術を応用したのだそうです。
大汗をかいて造海城から下りてきた(山登りし始めた頃から急に晴れてきて気温も30℃を超えてきました。)ばかりでしたから、吹き抜ける風がとても気持ち良かったです。バイクが2~3台、クルマがやはり2~3台来ていましたが、写真を撮るときには人影もなくて遠慮なく撮影できました。
あとは帰るだけですが、午後から晴れるとの予報通りで気温も急上昇でしたから、朝方のスリーシーズンジャケットでは辛抱できず、念の為持ってきていたメッシュジャケットが役に立ちました。
山道で消耗して下道を走るのも億劫でしたから、ここからすぐの富津竹岡ICで館山道に乗り、圏央道経由で16時半には帰着しました。9時前に出発して約300kmの走行でしたが、乗車時間は5時間程度でしたから平均速度は55km/h、帰りは高速でしたしどの道も空いていましたのでかなり平均速度は速かったですね。