シニアライダーの日常・R1200Rと共に

シニアライダーの日常と記憶、愛車R1200Rと行くツーリングの記録と四方山話。

POLOで今年初めてのコスモス見物、ギリギリ間に合いました。

 

花が好きと言えるほど詳しくもありませんが、秋のコスモスと春の桜は大好きです。コスモスは秋桜とも書きますから桜の系統かと思っていたら、実はキク科なんですね。

 

コスモスは外来種ですから和名が付いていて、それが「秋桜」なんですが、文字の通りの「あきざくら」が読みで、それを「コスモス」とは読みません。一方、日本に古くからある「女郎花(おみなえし)」や「百日紅(さるすべり)」などは、当て字の漢字があり、古くは万葉集や古今集などでも詠まれているのだとか。 では、なぜ「秋桜」と書いて「コスモス」と読むようになったのでしょうか。それは、あの山口百恵が歌って大ヒットした「秋桜」という歌謡曲からなのだそうで、仕掛け人は作詞作曲のさだまさしでした。当時の歌謡曲は、「本気」と書いて「マジ」、「恋敵」と書いて「ライバル」、「運命」と書いて「さだめ」など、違う読みを当てはめるのが流行っていて、どれも憶えがあります。

 

毎年この時期は近所のコスモスを見に行く事を楽しみにしているのですが、今年は何やかやが重なってこの日まで行きそびれていました。
10月の初めに長野にキャンプツーリングに行った時、長野の高地では既にコスモスが見頃でしたが、ソロツーリングではありませんから、気ままに停まってコスモス見物ともいかず、後ろ髪(実際にはないのですが、、)をひかれながら帰ってきました。

 

朝から天気は悪いですが、この日を逃すとまたしばらく行けそうにありませんでしたから、午後出かける妻に合わせて、午前中ちょっと愛車POLO君で行って来ることにしました。
千葉ニュータウンの東側、印西牧の原駅の北側にある牧の原公園のコスモスの丘です。

 

 

既に散ったものも多く、本当に最後のチャンスだったみたいです。それでもまだ数多く咲き残っていて、傘を差しながらの見物だったものの、天気が悪かったので人も少なくてゆっくり見物できました。私はコスモスは全部好きですが、中でも最後の写真の濃いピンクが一番好きですかね。よく見ると花びらが雨に濡れています。

 

昼過ぎには帰る約束でしたが、まだ時間がありましたので、西印旛沼の北岸、印旛沼公園の近くにあるコスモス畑も見に行ってみることにしました。クルマなら15分もあれば行けます。
コスモス畑とは書きましたが、コスモスが観賞用以外に何か用途があるのかは知りません。ここは見るからに畑なのですが実は畑と呼ぶのはふさわしくないのかも知れません。

 

 

こちらは牧の原公園よりももっと散りが早く、ほぼ終わっていました。散り残った花の間に黒い丸いものが沢山見えますが、これが枯れた花です。やはりせめてあと一週間早く来るべきでしたね。残念。

 

ひとまず今年最後のコスモスも見ることができましたし、昼ご飯を食べて帰ることにします。
下の写真は、途中千葉ニュータウンまで帰って来て、竜腹寺という交差点で撮ったものですが、北総線を跨ぐ橋の欄干が、地名ともなっている竜腹寺にちなんで竜になっています。左右互い違いに頭から尾まであって腹の部分の欄干は鱗になっています。

 

 

地名は竜腹寺ですが、元になった寺は龍腹寺と書きます。昔旱魃に苦しむ下総の村人を救うため、許しを得ずに雨を降らせた小龍が、竜王の怒りに触れ、3つに裂かれて地上に落ち、当時の龍福寺地蔵堂の裏には腹部が落ちたので、村人は丁寧に葬って寺号を龍腹寺と改め、冥福を祈りました。それ以来、降雨祈願の聖地として崇められていたのだそうですが、現在では訪れる人も少ないのか、私が行った時にはかなり寂れた感じでした。
ちなみに、栄町の龍閣寺には角のついた龍の頭が落ちたので龍角寺に、匝瑳市の寺には尾が落ちたので龍尾寺と寺号を改めたといわれているのだとか。たしかにこの周辺には竜にまつわる地名や言い伝えが多いようで、竜のオブジェもあちこちで見ます。

 

昼食は以前よく来た、白井市の「蕎麦やまもと」というお店にしました。最近余り来ていなかったのには理由があって、元々「鴨」が一押しの店だったのですが、最近それに拍車がかかり、鴨以外のメニューがぐっと絞られたのでちょっと足が遠のいていたのです。この日は他にあてもありませんでしたので寄ってみることにしました。
やはり鴨押しは変わらず、鴨以外では、シンブルなざると、辛味大根、舞茸天そばだけです。私は舞茸せいろにしましたが、揚げたての舞茸天も蕎麦もおいしゅうございました。

 

tabelog.com

プライバシーポリシー お問い合わせ