シニアライダーの日常・R1200Rと共に

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父の一周忌で岡山へ

 

昨年末に他界した父の一周忌で岡山に行ってきました。
一周忌とは言っても父は合同葬での永代供養を実家近くのお寺にお願いしており、法要をする訳でもありませんから、納骨堂の前で手を合わせて来るだけです。

 

父は12月25日というキリストの生誕を祝う日(誕生日は明らかではないのだそうで、私はてっきり12月25日が誕生日なんだと思っていました。)に亡くなったのですが、今年は日曜日でしたので、息子と娘も同行しました。彼女・彼氏と過ごしたい日だと思うのですが、お祖父ちゃん思いの優しい孫たちです。本来なら妻も同行するところですが、今は我が家の老猫「ロク」が目を離せない状態になってきており、彼女は留守番となりました。無類の猫好きだった父の事ですからきっと許してくれると思います。

 

ということで今回は私と息子・娘の3人で、羽田からJAL便で岡山往復です。当日の朝、東京都民から千葉県民に戻り一人暮らししている息子とJR船橋駅で待ち合わせて、総武線快速で品川まで、そこから京急で羽田空港に向かいました。

 

父の入院から葬儀・納骨等、この一年あまりは岡山に帰ることが多かったのですが、殆どは新幹線での往復でした。今回のように飛行機という選択もあるのですが、岡山空港にはLCC国内線は就航しておらず、急な帰省でJAL,ANAを使うと高くついてしまうのです。今回は事前にわかっていることでしたので、JALの格安便を予約し、更に溜まっていたポイントを使いましたので新幹線での往復よりかなり安くなりました。
私は現役時代はJAL派で、出張には殆どJALを使いJGC(JAL GLOBAL CLUB)にも加入していましたから、ポイントはかなり溜まりました。引退後すぐにコロナが蔓延し使うタイミングもなかったのですが、その時のポイントがコロナ対応のおかげで消滅もせず残っていたのです。しかしJALで海外に行くのもいつのことやらわかりませんし、JGCの資格取得のために加入したCLUB-Aというカードを高い年会費払って維持する意味は無いです。そろそろ解約ですかね。

 

 

 

当日はとても良い天気で、羽田空港からも富士山がとてもきれいに見えました。
ここまでは万事順調だったのですが、定刻に滑走路に向かって動き始めたところで飛行機が止まり、何だかCAさんたちが緊迫した雰囲気で動き回り始めました。何事かと思っていると、間もなく機内アナウンスで、体調不良のお客様がいらっしゃるので、一旦駐機場に引き返すと。そういう事ならばやむを得ませんし、飛行機の後はレンタカーの我々は多少延着しても問題ありません。小さなお子さん連れの若いご夫婦でしたが、大丈夫だったんでしょうか?結局定刻から50分程度遅れて羽田を飛び立ち、岡山空港に無事到着しました。

 

 

岡山空港からはレンタカーで実家に向かい、母をピックアップしてからお寺に向かうのですが、その前に空港近くで見つけた蕎麦屋さんで腹ごしらえです。予定より到着が1時間程度遅れましたので、ネットで調べて近場で手軽にと考えたのですが、予想以上と言えば失礼ながら、とてもおいしい蕎麦と天ぷらでした。梅干しの天ぷらというのは珍しかったですし、胡桃のたれも良かったですが、たっぷりつゆをつけたい私にはちょっと量が少なめ、、。

 

 

合同葬はお寺の年中行事(このお寺ではお彼岸、お盆)の際の合同慰霊が基本ですから、冒頭書いたようにこの日は法要もありません。ですから父の弟妹である叔父・叔母にも声は掛けなかったのですが、やはりちょっと寂しいですね。来年の三回忌には法要を別途お願いして、せめて叔父・叔母には来てもらおうかと思案しています。

 

お参り後、飛行機の時間までちょっと余裕がありましたから、空港近くにある「鬼ノ城(きのじょう)」という遺跡に寄ってみることにしました。
鬼ノ城は吉備高原の南端の鬼城山に築かれた巨大な朝鮮式城郭構造をもつ山城で、日本書紀などにも記載がない謎の城ですが、百済の救援に向かった大和朝廷が白村江の戦いで唐・新羅の連合軍に惨敗し、本土に攻め込まれる危機に瀕したため、九州や四国に対外防衛上築いた城のうちの一つという説が有力なのだそうです。

 

岡山県一帯には、桃太郎伝説の元となった温羅(うら)伝説という伝承があって、「異国の鬼が吉備国にやって来た。彼は百済の王子で名を温羅(うら)という。彼は物資や婦女子を略奪したので、民衆は恐れ、彼の居城を「鬼ノ城」と呼んだ。そして温羅は、その暴挙を聞いて討伐に来た吉備津彦(きびつひこ)に敗れる。」というものですが、一方では温羅が英雄とされる伝承もあります。それは「白村江の戦いで敗れて、吉備の国に落ち延びた百済の王子は、その風貌から初めこそ恐れられていたものの、稲作や製鉄・造船などの技術を持ち込み、吉備の英雄となった。」というものです、どちらにしても古代のロマンを感じます。

 

本格的な発掘調査は1990年代からと新しく、四国で育ち、岡山には実家もあって勤務経験もある私も当時は全く知りませんでした。角楼跡や城門跡を訪れることができ、復元された西門や石垣は有名ですが、この日は時間がなくビジターセンターまでしか行けませんでしたので、後日ゆっくり時間をとって見に行きたいです。

 


寄り道している内に飛行機の時間が迫って来ましたので、急いで空港に向かいます。この空港には「岡山桃太郎空港」という愛称がついていて桃太郎像もあるのですが、夜になると何だかおどろおどろしい照明に照らされます。この桃太郎に征伐されたとすれば温羅が悪者とは思えなくなりますね。

 

 

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