シニアライダーの日常・R1200Rと共に

シニアライダーの日常と記憶、愛車R1200Rと行くツーリングの記録と四方山話。

冬枯れの神宮外苑、いちょう並木を散歩した後は、新橋で讃岐うどん。

 

前回のコロナ罹患の記事より前の事で、日付は前後するのですが、三が日も明けて社会が通常運転を始めた1月5日、3か月に1回の定期検査の為に都内の病院に行き、いつものように国立競技場から神宮外苑を散歩して帰ることにしました。
(投稿予約してあったのですが、コロナ記事と急遽差し替えて加筆しました。)

 

11時前には医師からの所見説明も終わりましたが、年末年始の不摂生で若干数値は悪化しているものの、今後も同様に経過観察でいいだろうとの事でした。
病院を出て、まずは代々木周辺の高層ビルを遠くに眺めながら国立競技場に向かいます。いつもならここで国立競技場前にあるホープ軒のラーメン、となるのですが、この日はラーメン気分ではなく、そのまま神宮球場の裏手に回り、いちょう並木を歩いて帰ることにしました。

 

 

神宮球場のバックスクリーン側から、絵画館の前を過ぎていちょう並木を歩きましたが、すっかり葉も落ちた冬枯れの風景が、物寂しい雰囲気です。人通りも少なく、普段なら物思いに耽りながら歩くのには絶好なのですが、この日の私にはまだロクの思い出が強烈過ぎて、ちょっと厳しかったです。

 

 

この周辺では外国人の姿は全く珍しくもありませんが、そんな中で、おっと思うようなお洒落な外人に出会うことがあります。この日いちょう並木ですれ違った人もそうだったのですが、それはコート姿の西洋系の年配男性(私と同じくらい?)で、背が高いのでウール系のボリュームがあるロングコートも実に様になりますし、マフラーを小粋に巻いて襟を立てて、と一つ一つがカッコ良かったです。近所に住んでいて散歩中なのか、何も荷物を持たず両手をポケットに突っ込んでうつむき加減で歩く姿は、冬枯れのいちょう並木ととても合っていましたし、私がいくら真似しようとしてもできません。

 

いちょう並木で、「御観兵榎(ごかんぺいえのき)」という案内板があるのに気づき、ちょっと寄り道してみる事にしました。案内文によれば、神宮外苑が造営される前ここは青山練兵場であり、明治22年には憲法発布観兵式、明治39年には日露戦役凱旋観兵式が行われて、その際明治天皇の御座所が常にこの榎の大木の西側に設けられていたので、この木を「御観兵榎」と名付けて保存することとなり、現在に至っているのだとか。ただし初代は失われ現在の榎は二代目なんだそうです。

 

 

そろそろお腹も空いてきましたが、この周辺のお洒落な店に一人で入る気分でもありませんでしたから、御観兵榎から外苑東通りに出て青山一丁目の交差点まで歩き、地下鉄銀座線で新橋まで行って、新橋駅銀座口の近くにある、香川愛媛のアンテナショップ「せとうち旬菜館」2階のうどん屋「かおりひめ」でうどんを食べることにしました。香川の香と愛媛の媛で「香媛(かおりひめ)」ですね。

 

 

郷土のアンテナショップという事でここには何度か来ていますが、2階のかおりひめは十数人の行列が出来ていました。かつてなかったことです。この日はお正月メニューとして、讃岐(香川県)名物である餡入り餅の雑煮もラインアップされていました。我が家は香川と熊本にルーツがあるのですが、祖父母の代からは北九州であり、この風習はありませんでしたので、子供の頃初めて食べた時にはずいぶんビックリしました。しかし白味噌との相性はとても良く、意外とおいしいんです。
その他にも、年明けうどんというメニューもあり、これは良く知らなかったのですが、さぬきうどん振興協議会という団体が定義している、元旦から1月15日まで、純白のうどんに1点、新春を祝う「紅(梅干しや金時にんじんの天ぷら、赤いかまぼこ等)」を用いるうどんのことを指すのだそうです。
この店では金時人参だったと思うのですが、私は「ひやあつ(冷たい麺に熱い出汁)うどん」にワカメトッピングです。



ここからはJR横須賀線/総武線快速で帰りましたが、計1万歩程の適度な運動になりました。
数値はさほど悪化してはいませんでしたが、やはり医師からは節制を指示され、少し真面目にやろうかと思っていたのですが、その矢先にコロナ罹患してしまい、当面節制よりも栄養摂取を優先する生活となってしまいました。


 

 

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