前夜は別海町にある「道の駅おだいとう」での車中泊でした。正直言って寂しい道の駅で、下手したら車中泊は私だけになるかも?といった気もしましたので、最初はその前日に泊まった根室の道の駅まで戻ろうかとも考えていました。根室を出発して時計回りにほぼ一周していましたから、根室まで50km余りのところまで戻って来ていたのです。ただその「道の駅スワン44ねむろ」も数台しか車中泊はいませんでしたので、わざわざ戻ることも無いなと思い直してここで泊まったのですが、結果朝まで数台の車中泊組がいましたので心配は無用でした。「おだいとう」は「尾岱沼」で、アイヌ語で「砂の岬」を表す言葉だそうです。向かい側にある野付半島のことでしょうか?
この日の最初の目的地は、尾岱沼の向かい側に野付湾を隔てて長く延びるその野付半島です。「ナラワラ」・「トドワラ」という、立ち枯れた木々が荒涼とした風景を作り上げている場所で有名で、トドワラはトドマツ、ナラワラはミズナラですが、特にトドワラは風化によって本数がかなり少なくなっているそうです。ナラワラの方はトドワラに比べて枯木が原形をとどめた姿を残していますが、立入禁止エリアなので対岸の展望スペースから眺めることになります。トドワラはバイクで来た時に歩きましたし、今ではかなり奥まで歩かないと見られなくなっていると聞きましたので、今回は断念してナラワラを眺めるだけにしました。
この日の最終目的地は知床半島なのですが、その前に同じ別海町を少し根室方向に戻って「旧奥行臼(おくゆきうす)駅逓所」という所の見学に行きます。
駅逓所とは、交通が不便な場所に駅舎を作り人・馬などを待機させて、そこでの乗り換えと宿泊ができるようにした施設で、明治になって廃止された宿駅制度が北海道では独自の駅逓制度として存続し、北海道の開拓と連動して発展を遂げたのだそうです。当時延べ600を超える駅逓所が存在しましたが、制度廃止後に駅舎や馬小屋などの付属施設、放牧地はほとんど姿を消し、現存する駅舎も少なくなっています。
ここも以前のバイクツーリングで立ち寄ったのですが、開館時間ではなく外から眺めただけでしたので、開館時間に合わせてもう一度行って見たかったのです。
次は知床半島方面に進んで、標津町という所にある「ポー川史跡自然公園」です。
ここもバイクで来た時に寄った所で、その時には無料で自由に見学出来たような気がするのですが、今は見学料が必要となっていました。もしかしたら奥行臼駅逓所と同じで時間外だったのだけれども、ここは自由に見られたということなのかも知れません。
ここまで来ると知床連山の雪を頂いた姿が前方に美しく見えて来ましたし、右手の海の向こうには国後島が間近に見えました。
知床では、羅臼岳を間近に望める知床峠には是非行きたかったので、まずは羅臼を目指しました。そしてその時点ではまだ時間に余裕がありましたので、知床半島の南側を行けるところまで行って、日本最北東突端地という所に立ってみることにしました。知床峠に登る知床横断道路はこの時期16時で閉鎖になってしまいますから、それに間に合うように帰って来なくてはならないのですが、羅臼から20km余りという事なので14時過ぎのこの時刻なら大丈夫そうです。
最北東突端とは聞きなれない言葉で、最北の宗谷岬と最東の納沙布岬を直線で結んだところより北東に最も突き出ている場所、という意味だと思うのですが合ってますかね?知名度も今一つのようで、訪れる人もおらず、漁港で働く人と道路工事に従事している人だけでした。
ただ途中にあった「セセキ温泉」は秘湯感たっぷり(今はシーズン外)でしたし、いくつかある滝も迫力満点でした。
羅臼まで戻り、まだ雪が多く残る知床横断道路を登って知床峠の展望台から羅臼岳も拝むことができました。バイクの時は確か霧で殆ど眺望が無かったはずですから、羅臼岳の雄姿に感動です。
ここから斜里町のウトロ方面へ知床横断道路を下り、ウトロの「道の駅うとろシリエトク」で車中泊することにしました。シリエトクとは知床の語源となったアイヌ語ですね。
ここの駐車場には人を恐れないキタキツネが悠々と歩いていて、人の気配に気づくと物欲しそうなそぶりを見せます。人にエサを貰う事を覚えてしまっているのなら、この先危うい目に遭いそうで心配です。
可愛いのは確かですので、子供の言いなりで親がエサやりを黙認したりしないようにしないといけません。大人がやるのは論外ですが、、。