桜旅21日目の朝は、まず苫小牧港で人気の「マルトマ食堂」で朝食です。この店は5時から14時までの営業で、この旅の最初に苫小牧に着いた時にはもう閉店時刻を過ぎていましたし、バイク旅の時もあまりの行列で早々に退散してしまいましたので、この日は多少の行列でも並ぶ覚悟で出掛けました。
ところが7時前に到着してみると全く行列がありません。もしかしたら休み?と思ったのですがちゃんと営業中で、何だかエアポケットのようにこの時だけ客が途切れていたようです。それでも店内はほぼ満席でしたし、私が食べ終わって店を出た時には既に10人以上の行列になっていました。5時の開店を待って入店した人たちが丁度一回転したタイミングだったのかも知れません。
メニューにはホッキ料理がバラエティ豊かに並んでいますので、迷った末に看板メニューでもあるホッキカレーを選びました。朝っぱらからこんな重いものを食べられるのか?とも思ったのですが、ホッキ貝がゴロゴロ入ったカレーは意外とスルスル胃に納まってくれました。
永年の思いをかなえて満足しましたので、ここからは北海道最後の目的地である平取(びらとり)に向かいます。
平取は沙流(さる)川の中流域にあって、日高アイヌの故郷と言われており、上流の二風谷(にぶたに)には二風谷コタンやアイヌ文化資料館などがあります。私はイザベラ・バードの「日本奥地紀行」という本でポロトコタン(白老のウポポイがあるところ)やここ二風谷コタンのことを知り、北海道に行ったら寄ろうと思うようになったのです。
下の写真は二風谷コタンの少し下流にある「義経神社」にあったイザベラ・バードの紹介看板で、何故こんなところに義経神社が?と前回バイクで来た時にも思ったのですが、その時は素通りしてしまいましたので、今回二部谷に行く前に寄ってみました。
源義経は岩手県平泉で自害したというのが歴史上の通説ですが、日本史中でも屈指の人気者義経には各地に伝説があり、その義経伝説の一つがこの義経神社の由来です。実は平泉で生き延びた義経は平取に辿りつき、アイヌと互いの文化を共有したとするもので、江戸時代の末期北方調査で訪れた幕府の役人が、平取のアイヌが崇敬していた英雄オキクルミを源義経と同一視して、ここに小さな祠を建て、仏師に彫らせた源義経の木像を安置したという説が有力なようです。
その後訪れた二風谷コタンには、規模こそ小さいですがウポポイにも負けない程充実した資料館があり、ここ平取の出身であるアイヌ文化研究者・政治家、萱野茂さん(自身が設立した資料館も別にあります。)の尽力によるところが大きいようです。
その後は沙流川沿いを下って苫小牧方面に進み、むかわ町で昼食を取りました。ここはシシャモが有名で、秋のシーズンには生シシャモも食べられるそうですが、この時はシーズン外で、つまみとしての焼シシャモ等はメニューにあったのですが、簡単にご飯だけで済ませたかったので、ホッキフライ定食としました。
この時点で今回の北海道旅はほぼ終了だったのですが、帰宅後の予定は4日後まで空けてあり、まだしばらく余裕はあります。
そこで思い付いたのが北海道四端制覇で、南端の白神岬、北端の宗谷岬、東端の納沙布岬は行きましたが、西端の尾花岬には行けていません。この旅の序盤に訪問した親子熊岩からは30kmも離れていないところなのですが、中々行き難い岬らしく、バイクで来た時にも立ち寄らず通過していました。
まだ昼過ぎでしたし、急げばこの日の日没までに尾花岬まで行けるかもと考えて西へ向けて走り始めたのですが、苫小牧まであたりまで来た時、ふと何でこんなに急いで西へ向かっているんだろうと疑問が浮かびました。全く急ぐ旅ではないし、予定を決めない気ままな旅だったはずが、何かを決めたらその目的に縛られてしまい、それが義務であるかのように行動する自分が何だか不可解に思えてきたのです。
丁度苫小牧に差し掛かるところでしたから、急遽予定を変更して、ひとまずこの日出発した苫小牧の道の駅に戻り、明日以降のことをゆっくり考えることにしました。
そして出した結論が、もうこの日苫小牧からフェリーに乗って帰ってしまおうということだったのです。
桜が終わってしまったことでモチベーションが維持できなくなったとも言えそうで、北海道西端制覇と利尻島訪問は次の旅の目的として取っておくこととします。
まだ14時過ぎでしたので電話で照会してみたところ、当日の夕方便には空きがあり、個室も1つだけ残っているとの事でしたので、旅を短縮した分の費用をそこに充ててゆっくり帰る事にしました。往路と同じ「さんふらわあさっぽろ」ですが、今度はバストイレ付きの個室でしたから、大洗まで船室から一歩も外に出ることなく、買い込んできた食料を船室で食べ、持参していたBluーrayをPCで見たり、Kindleで本を読んだりゴロゴロして過ごしました。Wi-Fiがつながらず、auも殆ど圏外でしたのでこれくらいしかやることがありません。夕食は苫小牧の道の駅で買った「ホッキ寿司」で、最終日は朝昼晩すべてホッキとなりました。
翌22日目の17時頃無事帰宅、22日間、5,400kmの長旅でしたが、総括はまた改めて。