今月で70歳、古希となった私ですが、今もせっせと働いています。
若い頃は一刻も早く仕事を卒業したいと思っていて、今でいうFIREが憧れだったはずなのに、何故今も働いているんだろう?ということを改めて考えてみました。
まず初めに、せっせと働いているとは言っても、フルタイムで働いている訳ではありませんので、現役の皆さんからしたら遊んでいるように見えるかも知れません。大体月の出勤日が6~7日、拘束時間は40時間程度といったところでしょうか。
それでも在宅でこなしている業務もかなりあって、例えば課題への対策を自宅で立案しそれを出社時に討議する、という感じで出社時間の半分からほぼ同程度位は自宅で仕事していますから、実質10日から14日は働いている実感です。
65歳になった時点で、大学卒業後フルに掛け続けた年金の受給資格は得ていますし、裕福とは言えないまでもそれなりに資産形成もしてきています。
我が家では、不動産は別として、預貯金・証券などの動産は一切残す積りは無いから、その積りで人生設計するように、若い頃から子供たちには伝えてありますので、極端な話全てを使い切り、無一文でこの世を去ってもいい訳です。
これについては妻とも話し合って決めたことで、周囲からは冷たいとか変わっているとか言われますが、自力で人生を切り開いて欲しいという考えは変わりません。
ただ最近になって妻には若干の心境の変化があるようで、勿論何が何でも全財産使い切ろうと意固地に思っている訳ではありません。以前は残ったら全額寄付と遺言しようとまで考えていましたが、既に大人となった子供たちは親の思いを十分理解してくれたようですから、あとは成り行きで、残れば相続してもいいんじゃないですかね。
更に妻も自分の小遣い程度は十分稼いでいますし、子供たちにももう金は掛からない状態で、働かなくても暮らして行ける条件は整っているはずなのに、多くの時間を費やして働いている理由は?という事です。
多少なりとも贅沢がしたいから?それもあります。また贅沢とまではいかなくても、好きなことをするにはお金が必要ですし、大型バイクに加えて、中古とは言え遊び専用のハイエースを買って一人旅に出ることを許してもらえたのは、働いて副収入を得ていればこそと思います。
それに加えて大きな要素は、自分が永年携わってきた業務についての経験や知識を必要としてくれている人が居て、それに貢献できているという実感、社会とつながっているという実感でしょう。65歳になって、それまで所属していた組織から完全に切り離された時、やはり社会の一線から退いたという寂しさは感じましたし、無職と肩書に書くことにも抵抗がありました。
結果的に、自営という形で組織の指揮命令系統に入らずパートタイムで働く今のスタイルは、若い頃は早く引退したいと思っていた私の根っ子の部分の欲求をある程度満たし、適度な社会参画意識も持て、自分の知見を役立ててもらえるという自己実現の欲求までも満たしてくれる、わたしにぴったりのライフスタイルだったのかも知れません。ただ、労働は贖罪と考える欧米人からすれば、高齢でも働いている私はやはり可哀そうと見えるのでしょうね。
そして老後を支える大きな柱である年金は、別途収入もありますので全額受給とはせず、これまで一部を繰り下げていました。
俗に年金の一階部分と言われる基礎年金は、収入があると控除されますので繰り下げ、二階部分である厚生年金と三階部分である企業年金だけを受給しています。
厚生年金には加給年金という扶養手当に相当するものがあって、妻が65歳になるまでは受給できます。私が65歳時点で妻はまだ54歳でしたから11年間受給できる訳で、年金事務所のアドバイスで厚生年金は繰り下げずに受給することにしたのです。ただ昨今この加給年金を廃止する動きがあるようで、そうなるとまだ6年以上残っているこの恩恵も無くなってしまうかも知れません。
また三階部分には確定拠出年金もあったのですが退職時に一時金として受け取り、NISAで運用しています。
丁度節目の歳でもありますから、現時点でこれらの年金を試算し直してもらうために年金事務所を予約しようとしたところ、1カ月以上先まで予約で埋まっていました。対面でないと相談できませんから窓口は常に混雑しているみたいです。