シニアライダーの日常・R1200Rと共に

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高村光太郎「ぼろぼろな駝鳥」と動物園

 

先日妻と十和田湖・八甲田山・奥入瀬渓流のツアーに行ってきたのですが、十和田湖畔には高村光太郎作の「乙女の像」がありました。
彼は戦時中に多くの戦争協力詩を作ったことを深く反省し、終戦直後から岩手県の花巻郊外に粗末な小屋を建てて蟄居していたのですが、その時青森県からの依頼を受けてこの像の製作を始めたのだそうです。

 

高村光太郎は詩人・歌人・彫刻家・画家として紹介されていますが、現東京芸大の彫刻科に入学していて、元々は彫刻家・画家として知られていたようです。私は「道程」や「智恵子抄」の印象から詩人として認識していたのですが、多才な芸術家だったんですね。

 

そしてツアーから帰って数日して、妻とTVでニュースを観ていた時に動物園の話題が取り上げられていて、これだけネットで動画や画像を観られる時代に、動物園ってこんなに必要か?という話になりました。
暑い国で生まれた動物も、寒い国で生まれた動物も、同じ気候で暮らさざるを得ず、狭いスペースに押し込まれるストレスも大きいだろうに、ということで私たち夫婦の思いは一致していたのですが、ここで数日前に観た乙女の像と高村光太郎が連想で出て来たのは、少し前に知った、詩人としての高村光太郎の「ぼろぼろな駝鳥」という作品からです。

 

何が面白くて駝鳥を飼ふのだ。
動物園の四坪半のぬかるみの中では、
脚が大股過ぎるぢゃないか。
顎があんまり長過ぎるぢゃないか。
雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢゃないか。
腹がへるから堅パンも食ふだらうが、
駝鳥の眼は遠くばかりみてゐるぢゃないか。
身も世もない様に燃えてゐるぢゃないか。
瑠璃色の風が今にも吹いて来るのを待ちかまへてゐるぢゃないか。
あの小さな素朴な頭が無辺大の夢で逆まいてゐるぢゃないか。
これはもう駝鳥ぢゃないぢゃないか。
人間よ、
もう止せ、こんな事は。

 

まさに私たちの思いを代弁してくれているような詩で、これを知った時には我が意を得たりという気持ちになったものですが、一方で動物園には成程と思わせるような存在理由があるのも事実です。
それは動物保護という視点であり、動物園は、教育、研究、レクリエーションを行う場であるのに加えて「絶滅の危機に晒されている野生生物を保護し、種を保存する」という重要な役割を担う場でもあるんですね。
種の保存活動としては「トキ」「コウノトリ」が日本での代表例として挙げられていましたが、絶滅の恐れのある世界の野生動物の中から、日本の動物園・水族館が主体になって守るべき動物、約150種を選び、種の保存対象種としているのだそうです。

そして動物園は子供たちの好奇心を刺激する場であることも確かで、我が家の子供たちも大好きでしたし、勿論一概に無くしてしまえとも言えないですが、こんなに沢山は要らないでしょう?ということと、飼育環境をもっと改善してあげましょうよ、とは言いたいですね。高村光太郎の駝鳥と同じく、ゾウやライオン、トラなどはもっと広いところがふさわしいと思います。

 

日本最初の動物園である上野動物園が開園したのは1882年、開園当初はツルやニホンザルといった日本産動物が主に展示されていましたが、その後すぐゾウやキリンなどの海外から輸入された動物が中心的に展示されるようになり、高度経済成長期に入ると日本各地に多くの動物園が設置されました。
しかし、TVの普及により野生動物に関する情報を容易に得られるようになったこと、ディズニーランドなどの遊園地が立て続けに開園し娯楽が多様化したことなどによって動物園の人気は低迷期に陥り、この頃の動物園は動物に曲芸をさせるなど娯楽面ばかりを重要視して、生き物を扱う教育・研究機関としての役割が二の次になっていました。そんな中、北海道旭川市の旭山動物園が展示スタイルの改善に取り組み、動物の姿をそのまま見せるだけの「形態展示」から、動物の自然なままの行動や能力を見せる「行動展示」に移行しました。これ以降、全国各地で「行動展示型動物園」が増えていったのです。

=日本の動物園による「種の保存」のための取り組み=から、日本の動物園の歴史

 

ということで日本の動物園も単なる見世物からの改善は進めているようですが、上にも書いた通り、もっと集約して規模を拡大し、設備を充実させていく必要はあるのではないかと思います。

 

 

 

 

 

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