シニアライダーの日常・R1200Rと共に

シニアライダーの日常と記憶、愛車R1200Rと行くツーリングの記録と四方山話。

水天宮裏の小さなイタリアンで会食、人形町のこと

 

昔勤務したことがある懐かしの人形町で会食の機会がありました。過去に部下だったことがある年若い友人たちで、忘れず定期的に誘ってもらえるのはありがたい事です。彼らも転職したり、社内で全く違う部署に異動したりで環境が変わり続けていますから、お互い近況報告という事で誘ってくれるのですが、今回は昔の勤務場所という点も楽しみでした。この周辺をウロウロしていたのももう40年も前のことです。

 

今回の会食場所は人形町よりもっと隅田川寄り、水天宮の裏にある「オステリア チ ヴェディアーモ」という気取らないイタリアンで、住所は日本橋蛎殻町です。外観写真を撮り忘れましたが、雑居ビルが立ち並ぶ裏通りにある、20人程で一杯になるような小さな店です。

 



当時私の事務所はこの店から大門通りという通りを甘酒横丁の方に行ったところにあり、会社が社宅として借りてくれていたマンションは反対方向隅田川側の箱崎町にありましたから、毎日この店の前の通りを徒歩で通勤していました。もっともその頃この店はまだ影も形もありませんでしたが、、。
中央区日本橋と名の付く都心部で徒歩10分圏に職場があったというのも恵まれた話ですが、当時この界隈には日常生活に必要な店舗が殆ど無く、独身だった私は蕎麦屋、ラーメン屋(今で言う町中華)、洋食屋などをヘビーローテーションする外食生活でした。
今回ちょっと早めに着いて周囲を歩いて見たのですが、よく通っていた新大橋通り沿いの「てん作」という天婦羅屋は未だに健在でした。当然代替わりはしているでしょうが、40年以上経過して尚営業を続けているのは大したものです。カウンターだけの小さなお店でしたが、その時代目の前で揚げた天婦羅を順に出してくれる天婦羅屋は高級店以外では珍しく、とても美味しかったのです。

 

 

あとは、当時絶賛急拡大中だったセブンイレブンが、この近辺で最初に出したお店も元気に営業を続けていました。コンビニのフランチャイズ契約は10~15年単位が多いと思いますので、あれから3回か4回は契約更新していることになり、栄枯盛衰が激しいコンビニ業界ではこれまた大変なことだと思います。
上にも書いたとおり私の事務所は大門通りに面して建つ雑居ビルに入っていたのですが、このビルもまだ残っていました。当時でも既に古いビルだったのですが良く維持管理しているものです。

 

大門通りの「大門」は遊郭の大門のことで、初期の吉原は浅草ではなくこの人形町にありました。隅田川河畔の葦(よし)の原が吉原に転じ、大火で焼失後に移転した浅草の新吉原に対して、元吉原と呼ばれたのだそうです。そしてここには芝居小屋も多数あって、人形浄瑠璃の人形師が大勢住んでいる一画もあったことから人形町となりました。昼間は芝居見物を楽しみ夜は遊郭へ繰り出す、という一大歓楽地帯だった訳で、周辺には今でも一見では入れないような高級料亭や鮨屋などが点在しています。

 

長崎の思案橋は昔「思案橋ブルース」という歌で有名になりましたが、実は日本橋から人形町に向かう時に渡る日本橋川にも思案橋という橋が架かっていたのだそうで、ここからは吉原の芝居小屋と遊郭の両方を見渡すことができたので、ここに立って「さて、どっちに遊びに行こうか」と思案したのが由来なんだとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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