明けましておめでとうございます。
2025年の年始は、家を出ている息子と娘が年内に帰省して来て、これまでどおり家族4人で迎えました。
元日は未明から起き出して初日の出遥拝に九十九里浜に向かい、その足で成田山新勝寺に参拝した後、義父母宅でお雑煮・お節を頂くというのが我が家の恒例行事なのですが、今回も無事に家族全員で年を終えることができ、ありがたいことです。
初日の出遥拝に出掛ける前の時点でこれを書いていますので、実際の記事はまた後日掲載します。今日はこの後ブログを書く時間と元気がなさそうですから。
昨年までは娘がまだ家に居ましたが、9月に家を出てやはり千葉県内で暮らすことになりましたので、彼女にとっては初めての帰省ということになります。とはいっても同じ千葉県内の1時間もかからないところですから、帰省気分は薄いと思います。そして息子に至っては30分もかからない距離です。
四国から東京に出てきていた私にとっては帰省というのは一大イベントで、一日がかりでやっと帰れるものでした。私が大学に入学する数年前に山陽新幹線が岡山まで開通していましたから、岡山までは新幹線、そこから宇野線という在来線に乗り換えて、宇野から高松は宇高連絡船、そして高松から最寄り駅まで帰る訳です。
当時の最速新幹線ひかりが新大阪まで3時間程、更に岡山まで1時間ですから岡山までは4時間程で帰れます。しかし岡山からの宇野線が1時間程、宇野から高松へ渡る宇高連絡船がやはり1時間かかりましたから、これだけでもう6時間。住んでいたところから東京駅までの所要時間、高松駅から四国内在来線の所用時間、最寄駅から自宅までの所要時間、更に各地での乗り換え時間等含めると優に12時間以上はかかっていた記憶があります。そして当時は指定券を買うのももったいないと思う経済状態ですから、朝早くから東京駅ホームで並ぶことも珍しくなく、そうなると朝早く東京のアパートを出て夜遅く実家に着く、というのが実態だったでしょうか。
そして、どうせ朝早くから並ぶのならと、当時航空各社が22歳までの学生対象に用意していた「スカイメイト」という制度を利用する仲間が出始めました。これは、航空運賃が半額となる代わりに事前予約はできず、当日空港で空席が出た場合のみ搭乗できるというもので、朝から並んでも空振りとなることもままありました。特に北海道や九州、四国便などは鉄道と比べて所用時間が格段に短いですからビジネス需要も多く、空席が出る比率も少なかったのです。まあ暇な大学生ですから1日や2日棒に振ってもそう苦では無かったですし、何より当時飛行機で帰るというのは一種の優越感も感じられ、更に運賃も国鉄の学割料金よりも更に安くなりました(と思いますが、ほぼ同等ということだったかも知れません。)。それを教えられてから私もスカイメイトに加入し、何度か利用したのですが、当時はYS11という国産プロペラ機で、ジェット機に比べて飛行高度が低いからか気流の影響を受けてやたらと揺れました。元来高所恐怖症の私でしたが飛行機の揺れを凄く怖がるようになったのはこの時の経験からかも知れません。
年初からまたも昔話となりましたが、このブログはこんな調子で今後も続いていくと思いますので、今年もよろしくお願いします。
我が家は例年近くのスーパーで小さな鏡餅セットを買って形ばかりのお飾りをしているのですが、改めて見てみると紙でできた橙の絵は、何だか「〇年生の学習」とかの切り抜き付録のようです。それを妻に話したところ、彼女が発奮して折り紙で今年の干支のヘビを作りました。中々の出来だと思います。