6月も下旬となってようやく冬服から夏服への衣替えを終えました。衣替えとは言ってもさほど衣装持ちではない私の場合はそう大ごとではなく、1~2時間もあれば終わるのですが、今年は暑い日もあったものの、急にまた涼しくなったりしてタイミングを失したということもあります。
公的な衣替えの時期は一般的に6月1日と10月1日とされていて、学校や企業の制服もこのスケジュールに従うことが多いですが、気温の変化に応じて前後2週間程度の移行期間が設けられることもあり、北海道や沖縄などでは衣替えのタイミングが当然ずれます。また気温を目安にする場合には、最高気温が15℃を下回ると冬服へ、25℃以上になると夏服へ移行するのが一般的だそうです。
衣替えの習慣は平安時代から始まっていて、当時の貴族は季節ごとに衣装を変えて、春には淡い色合いの着物を、秋には深みのある色を取り入れることで、装いを通して自然を感じることが大切にされており、十二単などの宮廷衣装は単なる美しさを追求するものではなく、季節感を表現する役割も担っていたのだとか。
その後、武士の時代になると、衣替えは実用性の面でも重要視されるようになり、戦いや日々の活動に適した服装を選ぶために、夏は涼しさを重視した麻の着物、冬は防寒に適した綿入りの着物が好まれるようになりました。そして江戸時代になって、この衣替えの慣習が庶民にも広がり、公的な衣替えの時期も定められたのですが、この「公的」とは、江戸幕府が武士階級に対して制度として定めたもの、という意味です。
江戸時代の衣替えは、年に2回だけでなく下記の通り4回行われていたそうです。
4月1日:袷(あわせ)に切り替え、冬物の綿を抜く「綿抜き」の日。
5月5日:単衣(ひとえ)や帷子(かたびら)など、裏地のない夏用の着物に。
9月1日:再び袷に戻る。
9月9日:綿入れ(わたいれ)に切り替え、冬支度の始まり。
日付は全て旧暦で、このように、春と秋に「袷」の時期があるため、実質的には3種類の着物(袷・単衣・綿入れ)を使い分けていたことになります。
江戸時代の「秋の袷」の期間は9月1日から9月8日までのわずか8日間で、しかも早すぎるような気がしますが、これを新暦に読み替えると10月上旬となり、まだ残暑はあるものの、当時は「重陽の節句」(9月9日=新暦の10月10日前後)を境に「秋が深まる」と見なされていたため、そこから冬支度に入るという考え方だったようです。秋の袷は「ほんのつかの間の季節の装い」として位置づけられており、今の感覚からするとそれでも早すぎると思いますが、当時は空調システムなどはありませんから自然の移ろいにはとても敏感で、衣服でその変化に繊細に対応していたんでしょうね。
江戸時代以前の衣替えは、単に衣服を交換するだけではなく、季節の移り変わりを感じるための文化的な行事とも感じられます。衣替えを通じて、「もうすぐ夏が来る」とか「冬の訪れを感じる」といった小さな気付きを得ることもできますので、こうした感覚は今後も残って欲しいと思いますが、自分を振り返って見ると、寒い時期は長袖Tシャツへの重ね着、暑い時期は半袖Tシャツ1枚、それも全部紺・グレー・白の無地で、下はジーンズかチノパン。これでは四季の楽しみ方としてはかなり寂しいですから、衣替えの意欲も湧かない訳です。
現役の頃もスーツは紺かグレーのほぼ無地、シャツもほぼ無地のボタンダウン、終盤にはノーネクタイが普通でしたから、やはり代わり映えしない衣替えでした。半袖ワイシャツは着ませんでしたから、スーツをスリーシーズンから夏用に変えるだけでしたし、今も仕事では襟付きシャツですが、全て長袖なので衣替えの必要無しです。