吉田修一第二弾です。
「横道世之介」は主人公の名前なのですが、「世之介」といえば歴史上一番有名なのは、井原西鶴「好色一代男」の主人公でしょう。この世之介は7歳で恋を知り、11歳から遊里に出入り、19歳で勘当されて放浪生活の中で色道の達人と呼ばれるようになりました。そして生涯で三千人以上の女性、七百人以上の男性と関係を持ったとされ、町人文化の享楽的な面での理想像、当時の庶民男性からは憧れの存在とされた、のだそうです。
ただ本作の世之介は、特別な才能も劇的な運命も持たない、素朴さや人懐っこさのある青年で、初対面ではまず大きく誤解されたり、笑いの対象となるところにまず最初のエピソードがあります。ドラマチックな展開はありませんが、平凡な日常の中で世之介が周囲の人々に小さな変化をもたらす場面を描き、何気ない日々こそが人生の核であるというメッセージを伝えているように思いました。
この物語は、世之介の大学時代と、彼を思い出す人々の現在が交錯する構成となっているのですが、彼の死後も彼の存在が人々の記憶に温かく残っている様子が描かれ、関わった人がふと彼を思い出して、その後の人生で笑顔になっているというのが何かとてもいい感じです。
またこれには他者の記憶の中で生き続けるという視点も込められているようですが、これは少し前に観た「葬送のフリーレン」とも共通したテーマです。
彼の死後と書きましたが、この作品は「新大久保駅乗客転落事故」に着想を得て書かれた作品で、とすれば平凡だった彼の死はかなりドラマチックで感動的なものです。しかしこの作品はあくまで完全なフィクションであり、その場面も過去の記憶として淡々と語られるのみです。
世之介が出会う人々との関係は、偶然の積み重ねながらも大切な要素となっていて、バブル期(1987~1988年)の東京を舞台に、浮かれた時代の空気の中で世之介のような「横道にそれた」人物が、時代に流されず(乗れず?)に自分らしく生きる姿を描いています。
「横道」というのは、作者の故郷であり主人公の故郷でもある長崎では「横着者」を意味する方言で、「本道から逸れた道」というニュアンスも含んでいるのだそうです。世之介はまさに、効率や成功を追わず(追えず)、寄り道や偶然を楽しむ人物で、その点が西鶴の世之介に通じるのかも知れません。
この作品も「国宝」と同じく映画化されており、2013年に、監督:沖田修一、主演:高良健吾、吉高由里子で公開されています。観てみたいと思ったのですが、NetflixにもAmazon PrimeVideoにもありませんでした。残念ですが、DVDを買ってまで観る気は無いかな?
そして小説の方は、続編として「おかえり横道世之介」「永遠と横道世之介」が発行されているようですから、これも時機を見て読んでみようと思っています。


![横道世之介 [DVD] 横道世之介 [DVD]](https://m.media-amazon.com/images/I/51deNDDGaWL._SL500_.jpg)