「国宝」という映画を観たことがきっかけとなった、原作者吉田修一の小説漁りも今回の「悪人」でひとまず打ち止めです。
この作品も、妻夫木聡・深津絵里の主演で、「フラガール」の李相日(リ・サンイル)監督が映画化していますが、2010年公開で15年も前ですから、妻夫木聡も深津絵里も若いですね。レビューを読んでみると、主演の二人だけでなく柄本明、樹木希林という脇を固めるベテラン陣の演技が絶賛されていて、Amazonプライムビデオでも無料視聴できるようですから、時間を作って(忙しい訳でも無いのですが)観てみようと思っています。
これは、ある殺人事件をきっかけに、登場人物たちの心の奥にある孤独や葛藤が浮かび上がってくるという作品で、本当の「悪人」は誰なのかというのがテーマです。単純な善悪ではなく、人間関係や社会の中で悪人にもなり善人にもなり、加害者にもなり被害者にもなり、という風に描かれています。読んでいくうちに登場人物の行動だけでなく、その背景や心情に触れることで、判断の難しさを感じてきますが、この「悪とは何か」というテーマは、同じ吉田修一の作品で少し前に読んだ「平成猿蟹合戦図」にも通じています。こちらは都市の喧騒の中で、権力や情報、欲望が複雑に絡み合う群像劇ですが、猿蟹合戦という昔話をモチーフにしながらも、現代社会の歪みや不条理を描いています。どちらの作品も、登場人物の誰か一人を「悪」と断じることができない構造になっており、その曖昧さの中で考えさせられる部分は多いです。
誰かの行動が「悪」に見えるのは、視点や状況、その人の立ち位置によるという事なのですが、これは「進撃の巨人」などのテーマでもあります。進撃の巨人では戦争の当事者同士の視点の違いですから、善悪が正反対となって当然とも言えますが、同じ日本という価値観を同じくする社会の中でもこんなに判断が揺れるんだ、ということは驚きです。吉田修一の作品では、その揺らぎが丁寧に描かれていて、読者に「人をどう見るか」という問いを投げかけてきます。「悪人」でも、誰かを理解することの難しさと、それでも理解しようとすることの大事さが伝わってきました。
吉田修一の作品は、映画から入った「国宝」、続いて「平成猿蟹合戦図」「横道世之介」「パーク・ライフ」「悪人」と読んで来ました。このほかに「おかえり横道世之介」という横道世之介の続編も読んだのですが、感想をブログに上げるのはひとまずこれまでとします。また完結編ともいうべき「永遠と横道世之介」上下二巻も出版されていますので、文庫化されるのを待って読んでみようと思っています。他にも吉田修一に読みたい作品は複数ありますので、時間が経てばまたブログに感想を書くかも知れませんが、「悪人」の映画版感想の方が先でしょうかね。
