京都旅の二日目は、8時半頃ゆっくりホテルのレストランで朝食を食べて、9時過ぎに平安神宮へ向けて出発しました。
この日は、最初に平安神宮参拝、その後哲学の道から銀閣寺、金閣寺、日中はそこまでとして一旦ホテルへ帰り、夜は東寺の夜間拝観、という予定です。
まずは平安神宮ですが、地下鉄烏丸線の京都駅から烏丸御池まで行って東西線に乗り換えて東山下車です。前日夜の二条城も同様なルートで烏丸御池から逆方向の太秦方面行き東西線に乗れば二条城前まで楽に行けた訳です。
ナビによれば東山駅から平安神宮までは徒歩13分となっていましたが、駅から地上に出てみると雨が降っています。雨予報は無かったので二人とも傘を持参しておらず、仕方ありませんから最寄りのローソンで小さな折り畳み傘を購入しました。夏の花脊松上げの時も同様に傘を購入しており、学習能力がありません。また傘が増えました。
平安神宮に着いた頃には雨は上がり、平日とあって参拝者も少なかったですからゆっくりお参りが出来ました。竜宮城を思わせるような白と朱・緑の社殿で、他の多くの寺社が経年で古色蒼然とした姿なのとは対照的です。私は侘び寂びを感じさせる古びた社殿の方が好きですが、平安神宮は建立が明治時代と比較的新しく、平安京の大内裏を復元する意図で建てられたために、当初から鮮やかな朱や緑を施しその後も定期的に塗り替え修復を行っているから、つまり古色蒼然となる前に文化財保護と意匠再現のために彩色を維持している、ということのようです。他にも八坂神社や清水寺なども塗り替えられているようですが、こちらも漆や顔料が木材を防腐・防虫・防風雨から守るので文化財保存のため不可欠ということと、創建当初の姿を再現するということが目的とされていました。




ここから銀閣寺までは徒歩なら40分程、これまで行く機会のなかった哲学の道が途中にありますので歩いていくことにしました。元々琵琶湖疏水分線の管理用道路でしたが、京都大学の哲学者・西田幾多郎らがこの疏水沿いを散策しながら思索にふけったことから後に「哲学の道」と呼ばれるようになったのだそうです。
外国人にもよく知られているようで、多くの外国人が行き交っていました。確かに思索しながら歩くにはいい雰囲気ですが、疎水沿いには手摺もありませんし、先程までの雨で濡れた踏み石は滑りやすく、物思いに気を取られると危なそうでもありました。



哲学の道が銀閣寺橋という疎水に架かる橋まで来たところからはもう銀閣寺の参道で、更に観光客が増えます。ここには幾組かの修学旅行生たちもいましたので更に賑やかでした。
銀閣寺には、妻も私も子供時代に来て以来だと思う、という状態でしたからかなり新鮮でした。記憶にある銀閣寺は、「銀沙灘(ぎんしゃだん)」や「向月台(こうげつだい)」といった砂盛りが有名だからか、平坦な印象だったのですが、実際には東山の斜面を利用した起伏に富む回遊式の庭園も広大で、高台から見下ろす京都市街はなかなかの絶景でした。









銀閣寺参拝を終えて丁度お昼時となりましたので近くで昼食をとることにしました。参道の観光客向け店舗は敬遠して探し出したのが、「そば処甚兵衛」という蕎麦屋です。表通りに看板は出ていますが、少し入ったところにありますので観光客より地元の人が多い感じの気取らない蕎麦屋でした。
私が注文したのは大好きな「にしん蕎麦」、本場は京都という説と北海道の江差という説があるようで、確かにバイクやクルマで北海道旅をした時、江差でもにしん蕎麦を食べました。「料理としての本場」は京都で、「漁と素材の本場」は江差と整理されるのが一般的らしく、江戸から明治期にかけてニシン漁で栄えた江差は「身欠きニシン」の一大産地であり、それが北前船で本州へ運ばれて保存食として広く流通しましたから、にしん蕎麦の素材供給地として「元祖」だ、というのも納得できます。
ただ、北前船で運ばれた身欠きニシンを使って明治15年頃に京都の蕎麦屋「松葉」が考案したのが現在の「にしん蕎麦」で、以降甘露煮にしたニシンを蕎麦にのせるスタイルが定着し観光名物として広く知られるようになった、というのが定説ですから、やはり現在「にしん蕎麦」と聞けば多くの人が京都を思い浮かべるようです。
特に奇をてらうことも無い普通のにしん蕎麦でしたが、やはり出汁の味は京風で極細の手打ち麵と相まって、とても美味しかったです。


