池袋にある「東京芸術劇場」で開催された文楽鑑賞教室に行って来ました。
文楽は2024年の2月に、先日病院帰りに前を通った日本青年館ホールでの公演を見て以来ですから、二年近くのご無沙汰です。
東京芸術劇場には私は初めて行ったのですが、池袋駅西口から徒歩5分程の便利なところにあり、古くはなっていますが、ガラス張りのエントランスが特徴的な目立つホールです。
パンフレットには「国立劇場」と記載されていて、確かに文楽の本拠地は、千代田区隼町にあった国立劇場なのですが、その国立劇場が2023年に老朽化で建て替えが決まって閉館となり、下のブログを書いた時点では2029年の新施設完成までは各地のホールを借りて公演を続けるとなっていました。
ですから今回の会場も東京芸術劇場なのですが、その後建設費の高騰などで入札不成立が続き、計画は大幅に遅延しています。最新の方針では、2036年3月頃の引き渡し期限を事業者に委ねる形となり、再開はさらに遅れる可能性があるようです。今後2026年3月頃に再度入札公告、2027年9月頃に事業者選定予定となっていました。
「鑑賞教室」と銘打たれていますが実質は公演で、二つの演目の間に若者や外国人などこれまで文楽に触れて来なかった人のための解説が組み込まれていて、学生料金の設定などもあります。パンフレットには「国立劇場キャンパスメンバーズ会員校」として都内有名大学の日本文学科などが名を連ねていました。




演目は「万才(まんざい)」と「国姓爺合戦(こくせんやかっせん)」の二つで、万才は、古代中国由来の祝言芸能であり、日本では正月に家々を回り長寿や繁栄を祈る祝福芸として広まっていました。二人組が掛け合いで祝詞や滑稽なやり取りを演じる形式を持ち、室町期から江戸期にかけて庶民芸能として定着。これが近代に入り笑いを中心とする演芸へと変化して、大正期に「漫才」と改称されます。祝福芸から滑稽芸へと転じたことで、現代の漫才はお笑いを主眼とする大衆芸能へ発展したのです。
もう一つの演目、国姓爺合戦の「国姓爺(こくせんや)」とは、中国明末の武将 鄭成功(ていせいこう)の呼称で、明の皇帝から「国姓」を賜った人物を意味します。鄭成功は、中国人の父と日本人の母を持ち、台湾を拠点に清朝に抵抗して明朝復興を目指した人物で、明の皇帝から国姓を与えられたために、「国姓爺」と呼ばれるようになりました。「爺」は尊称で、年長者や偉人に対する敬称ですから、「国姓爺」は「国姓を賜った尊敬すべき人物」という意味になります。
国性爺合戦は近松門左衛門の人形浄瑠璃作品で、後に歌舞伎化もされています。主人公は鄭成功をモデルにした和藤内(わとうない)で、劇中で「国姓爺」と称されます。「和藤」という姓は「父は中国=唐(藤)、母は日本=和」という設定で、日本と中国の架け橋となる英雄像として描かれています。
鑑賞教室としての解説の担当は、浄瑠璃の語り手である大夫でした。
せっかく解説してもらいましたので、以下で彼の解説に資料からの情報を加えて文楽について紹介してみます。
文楽は人形劇であり、そもそもの名称は人形浄瑠璃なのですが、江戸時代にできた人形芝居の「文楽座」が最終的に唯一生き残ったことから、「文楽」が一般名詞化したものです。
本来のジャンル名である人形浄瑠璃は、「人形遣い+浄瑠璃(義太夫節+三味線)」による人形劇で、江戸時代には竹本座や豊竹座など複数の座が存在しました。
浄瑠璃は歌うのではなく「語る」ことが中心、登場人物のセリフ、情景描写、心情表現をすべて太夫が声で表現します。そして伴奏楽器である三味線で、語りの抑揚や場面転換を音で支えます。初期は琵琶や扇拍子を伴奏にしていたそうです。
浄瑠璃の流派には江戸時代以降、義太夫節・常磐津節・清元節など複数の流派が成立していて、義太夫節は「浄瑠璃」の一流派として江戸時代前期、大坂の竹本義太夫によって創始されたものです。
文楽では舞台上手の「床(ゆか)」と呼ばれる場所で演奏され、芝居全体を進行させる役割です。
文楽のもう一方の柱である「人形遣い」は舞台上の人形を操り、登場人物の動きや感情を表現する役割で、三人遣いという一体の人形を三人で分担して操る独特の方式です。主遣い(おもづかい)は右手と頭を担当し、人形の表情や主要な動きを決定します。左遣い(ひだりづかい)は左手を担当、細やかな仕草を表現します。そして足遣い(あしづかい)が両足を担当して歩行や座る動作を表現しています。主遣いだけは紋付き袴で顔をさらしていますが、他の二人は黒衣姿です。


この日はこれまでと違って若い女性の姿が非常に多かったので、上記の「国立劇場キャンパスメンバーズ会員校」の女子大生たちなのかなと思いました。隣の二人組も近松門左衛門について普通に語り合っていましたから、日本文学専攻の学生なんでしょう。