20年近く、正確には18年来のつき合いだった、私より一回り以上年下の友人が、58歳と言う若さで旅立ってしまいました。
最初は仕事上の関係でしたが、歳は離れているのに妙にウマが合って、仕事の縁が無くなってからもつき合いは続いていました。
彼はベトナムを拠点として海産物を主体とした食材を日本に輸出する事業を行っていました。私は食品とは無関係の部門、彼は人材系とは無縁の事業でしたが、発展著しいベトナムのような新興国から有為の青年を社員として迎え入れるというプロジェクトが始まった時、彼に現地でのエージェントとして動いてもらったのがつき合いの始まりでした。
いきなり正社員として入国してもらうことはかなりハードルが高かったですから、奨学金制度を作ってまず日本留学の支援をし、その後留学生資格で入社試験を受けてもらう、という青田刈り・囲い込みの活動のサポートもしてもらいました。また技能実習生を農業・食品製造の企業へ斡旋(就労ではなく、文字通りの技能実習です。)するなど、私の守備範囲に合わせてつき合いの幅も広がり、ベトナムへの出張に際しても常に付き添ってもらいました。
歳も離れていますし、仕事も全く関連なし、性格も真反対で、生まれたところも生育環境も全く違う、という仲良くなりそうもない二人だったのですが、最初に書いた通り「妙にウマが合った」としか言いようがありません。年上でしかもクライアントだった私に彼が忖度してくれていたのは間違いないでしょうが、途中からはそれを越えて純粋な交流となっていたと思います。
私は大学生だった長男を連れて彼の案内でベトナム南部を旅行もしましたし、年に何回か帰国する彼の日程に合わせて彼の家族、私の家族全員での会食も恒例となっていました。
お互いの子供たちが成長し社会人となってからは、全員の予定を合わせるのは難しく、会食の頻度も減っていたところにコロナ禍となりました。会うこともままならない時期を経てその後また会食も復活していたのですが、最近音沙汰がないなと思っていたところに、久しぶりに電話があり、体調を崩して入退院を繰り返していたとのこと。肝硬変になってしまったんだそうです。確かに若い時から酒豪で、いくら飲んでも終わらないというタイプでしたから肝臓の負荷は相当だったのかも知れませんが、今は病状も安定して退院してきているとのことでした。
なら一度会おうよとなったのですが、もう酒は飲めないそうですから、彼の自宅近くで夫婦四人での昼食会をすることに決めました。
そしてそれを楽しみにしていたところ、3日前になって体調がすぐれず病院を変わることになったのでリスケして欲しいとのLINEが。その際「非代償性肝硬変」という正式な病名を聞かされ、調べてみるとかなり深刻な状態であることはわかりました。ただ退院を許されるほどまでは回復もしていたのだろうし、大丈夫なのじゃないかと期待して待っていたところ3週間ほどして彼から電話がかかって来ました。おっと思って電話を取ったところ聞こえて来たのは奥さんの声です。一挙に嫌な予感となったのですが、聞こえて来たのは「亡くなっちゃいました、、、。」という奥さんの涙声です。
会食をキャンセルした後、再度入院治療となっていたのですが病状は比較的安定していて、完治は難しいものの今後10年くらいは治療を続けながら、という主治医との話し合いも行われていたのだそうです。前日も見舞いに行っていた娘さんも交えて退院してからの話とかもしていたのに、その日の朝容体が急変してそのまま息を引き取ったと。
家庭的には恵まれず、殆ど裸一貫から事業を起こし、成功も挫折も経験しながらそれを乗り越えて来た彼でした。私生活は豪快で、口調もべらんめえ調でしたが、仕事上では非常に潔癖で几帳面、彼との取引で問題が起きたことはただの一度もありませんでしたし、他のどの人からも同様の評価でした。
身内が少なかった分、私を兄貴のように思ってくれていたのかなあと思いますし、私もそれは同様で、やんちゃな弟という気分でした。自然と私の子供たちも叔父さん気分で接していましたし、今後もそれは続いていくと思っていたのですが、本当に残念です。
彼が亡くなってから一カ月以上が過ぎてやっとこれを書く気になりました。
彼のことを残しておく意味でブログにしましたが、他の方には関係のない話ですみません。