シニアライダーの日常・R1200Rと共に

シニアライダーの日常と記憶、愛車R1200Rと行くツーリングの記録と四方山話。

四万温泉に一泊旅行、「四万やまぐち館」<前編>

我が家では最近クラブツーリズムのパックで夫婦旅行することが多いのですが、その親会社は近畿日本ツーリストです。その関係か、最近近畿日本ツーリストからもツアーの案内が来るようになり、新規会員登録で割引!というのに惹かれて申し込んだのが今回の四万温泉への一泊旅行というパックなのです。

 

パックとは言っても、上野から四万温泉への最寄り駅である中之条までの往復特急券と、宿泊先である「四万やまぐち館」というホテルの宿泊だけが用意され、出発日程もかなり自由に設定できる、殆ど個人旅行に近いものです。
私たちは空いていることを期待して日月の日程を選択、行きは上野10:00発の特急草津・四万1号で、上野駅の地上ホーム14番線からの出発です。
その前に少し時間がありましたので、上野駅構内のPenstaCafe(ペンスタカフェ)で一休みしたのですが、このSuicaのシンボルであるペンギンも今回変わってしまうんだそうですね。愛嬌があって好きだったんですが。

 

 

現在の地上ホーム13〜17番線は、上野駅が東京の北の玄関口であった最初期から続くホームで、線路が終着駅で行き止まりとなり、列車が正面から出入りする頭端式(とうたんしき)と呼ばれるホームです。東京のJRでは上野にしか残っていないそうで、何だか旅情を誘いますね。

 

 

特急草津・四万1号は10時に上野を出発して高崎までが高崎線、そこから渋川までが上越線、そこから中之条までが吾妻線となるのですが、その都度面白い位車内の騒音・揺れが変わっていきました。高崎線が東名クラスの高速道路とすれば、上越線は地方幹線クラス、吾妻線は市町村道の未舗装区間、といったイメージでした。
上野から列車がスタートした時、在来線特急に乗るのも久しぶりでしたから、その静粛性と揺れの少なさで車両性能の向上に感心したのですが、それ以上に線路の規格が本線・支線でかなり違うんだなという事を実感しました。渋川からの吾妻線ではまず走行スピードが格段に遅くなり、更に従来のゴトンゴトンという走行音が復活して、上下左右の揺れもかなりのものとなりました。決してこれが嫌なのではなく、新幹線にはない在来特急の味があって旅気分が湧き、とても面白かったです。

 

中之条駅には12時少し前に到着、そこからは定期路線バスで四万温泉まで約30分です。通勤バス並みの満員状態で、始発から終点まで殆ど乗降客は居ませんでしたから、完全な観光需要ですね。
ホテルが空いていることを見越して日月の設定にしたのですが、この日は日曜日ですから観光地が混んでいるのは止むを得ません。
今回は殆ど湯治気分で、特にどこにも行かず宿でのんびりする積りでしたから、終点の三つ手前で降りればそこが四万やまぐち館の前なのですが、2時半のチェックインにはまだ時間がありますし、せっかくならここ四万温泉で、あの「千と千尋の神隠し」の油屋のモデルとなったと言われている「積善館」くらいは見ておきたかったですから、終点の四万温泉まで行って、昼食を食べた後またバスで引き返すことにしました。
ちなみに積善館は門前の赤い橋や木造建築が油屋の外観に似ていると言われていてTVの特番でも紹介されたのだそうで、確かに一見して油屋を連想します。他にはホテル雅叙園の百段階段や銀山温泉、渋温泉などもあげられているそうですが、宮崎駿が参考にしたことを明言しているのは松山の道後温泉本館だけです。
また油屋周辺の歓楽街的な雰囲気は、台湾の九份がモデルではないかとも言われていますが、似ているから観客がそう感じるというだけで、宮崎駿は明確に否定しているのだとか。宮崎駿が描いた油屋周辺の世界観は、昭和の温泉街、遊郭建築、大正〜昭和の歓楽街をミックスしたもので、その結果、日本統治時代の歓楽街の雰囲気を残している九份が「似てしまった」 ということのようです。九份の赤提灯、狭い階段、木造建築、密集した商店街、これらは日本の昭和初期の歓楽街の名残なんだそうです。九份、行ってみたいですね。

 

積善館本館を外から見学し、昔の温泉街の風情が残る町並みを少し散策した後はバス停前にあったとんかつ屋さんで昼食を食べて、四万やまぐち館に向かいました。
以降は後編で。

 

 

 

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