先日、娘の結婚先との2回目の会食を記事にしましたが、その当日は息子が名古屋まで結婚の申し込みに行く日とも重なっていました。
彼も娘と同じく結婚を前提とした同棲中でしたから、先方の御両親とも既に何度となく会っているのですが、正式に申し込むとなるとやはりそれなりに緊張していたようです。そして無事先方の御両親にも納得いただき、来月は名古屋でまた両家顔合わせとなりました。
息子も娘も同棲生活を経ての結婚ですが、彼らの仲間内でもそういうパターンは多く、なんだか就職におけるインターンシップ的に定着しているようです。
同棲という言葉は、私がまだ大学生の頃に大ヒットした、上村一夫(作画)・梶原一騎(原作)の「同棲時代」という漫画作品で一般化した言葉です。若い男女の同棲生活をリアルに描いた作品で、当時の「結婚こそ正しい」という社会の価値観と、結婚を前提としない自由な愛を求める若者の価値観との葛藤が話題になりました。ですからその頃の同棲には、いわば社会への抵抗とか反抗と言うニュアンスもあったのです。
息子は今32歳で、今年の半ばには33歳ですから、恐らく結婚は33歳になってからになるでしょう。厚生労働省「人口動態統計」などの2024~2025年データでは、男性の平均初婚年齢は31.1歳ですから、2年近く遅いとはいえまあ平均的と言っていいと思います。
私が結婚したのは38歳の時で、それまで結婚願望も殆ど無かったので、このまま独身かなあと漠然と思っていたのですが、職場の同僚だった妻にいつとはなく惹かれ始めてやがて結婚することになりました。それが1992年のことで、当時の平均初婚年齢は28.4歳でしたから、私の場合は完全に「行き遅れ」ですが、実はこの言葉は男性には殆ど使われませんでした。女性の場合は「行き遅れ」とか「売れ残り」とかあんまりな言い方がまかり通っていましたが、男性の場合は「晩婚」とか「結婚が遅い」「婚期が遅い」などごく一般的な言い方であり、「独身主義」「独身貴族」など、経済的に余裕がある、自由を楽しむ、などむしろポジティブな言い方もありました。まあひどい話ですね。
一方、娘は今月28歳で結婚することになりますが、女性の平均初婚年齢は29.7~29.8歳ですから、これも少し早めではあるものの平均的です。そして妻は27歳で私と結婚したのですが、当時の女性平均は26.0歳で、私だけが飛び抜けて遅かった訳です。
結婚適齢期などというものは既に無いに等しいでしょうし、子供たちにも好きにすればいいよと言ってはいましたが、やはり親として重い肩の荷が下りた気がするのも確かです。
そこでまた私の話に戻りますが、今の私でさえそうなんであれば、結婚が正義とされた時代に私の両親が一向に結婚しようとしない息子にやきもきしたであろうことは容易に想像がつきます。
現に私が30歳前後の頃、親がやたらと焦り出して、しきりに見合いを勧められたことがありました。長男である親父のそのまた長男である私は曲がりなりにも跡取りと呼ばれる立場でしたから、親たちは28.4歳と言う当時の平均初婚年齢を知らないまでも肌で感じていたんでしょう。
結婚願望が殆ど無かったとは言っても別に独身を貫く決意だった訳でもありませんので、3~4回は実際に見合いもしました。見合いとはどんなものか経験したいと思ったのも事実で、今から考えるとお相手には失礼な話ですが、勿論お会いする以上は真剣に考える積りでしたし、現に私は乗り気だったのが相手から断られたこともあります。
形通り田舎の料亭に仲人と両家の親、当事者が勢揃いして一通りの挨拶が終わった後は、「じゃあ後は若い二人に任せて」などという映画にでも出て来そうなセリフが本当に交わされて、二人きりで残されます。その後の記憶が曖昧なのですが、ずっとその場で居たのでは無く、場所を変えてお茶を飲みに行ったりドライブしたりしたような、それは後日のデートの時だったような、、、。まあとにかく「見合い」という言葉で連想される典型的なパターンでした。やっぱりこんな風に物事が進んで行くんだと妙に感心した覚えはあります。
結果数回の見合いはどれも成立せず、その後7~8年経つ中で両親は私の結婚は諦めたようでした。ですから結婚するよと伝えた時両親はとても喜んでくれましたし、それにも増して私の育ての親でもある祖母の喜びは大きかったです。
ただ今回の息子・娘の結婚で、私と妻に喜びと安堵の気持ちがあるのは当然ですが、それと共に一種の喪失感も確かにあります。それを当時の祖母・両親の気持ちになって考えると、ああそうだったんだなと何だかしんみりしますね。