シニアライダーの日常・R1200Rと共に

シニアライダーの日常と記憶、愛車R1200Rと行くツーリングの記録と四方山話。

2026桜旅2:8日目(岩手)

 

「道の駅さんりく」で夜通し降っていた雨は夜明けには上がりました。最初に行く「碁石海岸」は同じ大船渡市ではあるものの、距離的には前日車中泊を断念した「道の駅高田松原」の方が近くて便利です。
前日はもう日が暮れて来ていたので、陸前高田から大船渡まで無料の高速を使ったのですが、やはり走っていてつまらなかったので、この日は峠越えの旧道を走ることにしました。まだ朝早かったこともあってか、無料高速と並行して走るこのクネクネ旧道を走る酔狂な人は殆どおらず、1~2台のクルマとすれ違っただけでした。

 

碁石海岸にもまだ殆ど訪問者はおらず、早出の職員の人が数人作業しているだけでした。土地勘がないので、この日のように朝早くとか日暮れ後などで周囲に人が居ないと、クマの心配はないんだろうかとか、以前なら気にもしなかったようなことを考えるようになりましたね。

 

 

次の目的地は釜石市にある「唐丹町(とうにちょう)本郷の桜」です。三陸大津波で被害を受けた旧唐丹村の復興を願って1934年に約2,800本のソメイヨシノが植樹され、そのうち1番の見どころといわれているのが本郷桜並木なのだそうです。確かにソメイヨシノの並木が作り出す桜のトンネルは、既に桜吹雪を舞わせていて、とても見応えがありました。

 

 

釜石からはまた内陸に戻って花巻を目指したのですが、釜石市街地に入って「鉄の歴史館」というのを見つけましたので行ってみることにしました。釜石と言えばやはり鉄の街です。

 

歴史館で知った事実を書き出してみると、
・日本の近代製鉄はここ釜石が発祥の地で、安政4年に盛岡藩士・大島高任が洋式高炉を建設し、鉄の連続生産に成功したのが日本の近代製鉄の幕開けとされている。
・釜石北西部の橋野鉄鉱山は、高炉跡・採掘場跡・運搬路跡などから成る大規模な鉄鉱山遺跡で、2015年に世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」に登録されている。
・釜石製鉄所(旧・富士製鉄/新日鉄)が街の中心で、昭和期には釜石駅前に大規模な製鉄所が広がり、街の産業・雇用・文化の中心を担っていた。
・新日鉄釜石ラグビー部(日本選手権7連覇)、新日鉄釜石野球部(都市対抗で活躍)はいずれも製鉄所を母体としたチームで、「鉄の街・釜石」の象徴的存在だった。



しかし現在では製鉄業は大幅に縮小し、新日鉄釜石製鉄所は、かつての高炉操業を終了。現在は 線材・棒鋼などの特殊鋼製品の製造が中心で、従業員数もピーク時から大幅に減少しています。「鉄の街」のイメージは歴史的ブランドとして残る形であり、文字通りの鉄の街だったのは過去のことというのが実情のようです。

 

橋野鉄鉱山というのは初めて聞きましたが、遠野を経由して花巻へ向かう途中にあるようですからここにも寄って行く事にしました。
思ったよりも広大な場所に保存状態も良い遺跡が展示されていて、去年行った佐渡島の洗鉱場と似た雰囲気の遺跡でしたが、誰一人として見学者はおらず、寂しい限りでした。
私が帰宅して間もなく発生した大槌町の大規模山林火災はここのすぐ隣町のことです。

 

遠野では「カッパ淵」にも行ってみたのですが、真夏にはいかにもカッパが潜んでいるように感じられた淵が、この季節にはそうも感じられなかったのは不思議です。
ここでは「福泉寺」という寺の桜が有名だそうですから行ってみました。泉水におかれた置物もカッパです。

 

 

 


この日は遠野から更に西に進んで、花巻郊外の「道の駅とうわ」で車中泊です。太平洋沿岸からまた内陸部へと、毎日東西の移動をしていますが、それにしても岩手県はさすがの広さです。
そしてこの日、峠道で下の写真のような標識を目にしました。「アスカーブ」という言葉自体初めてでしたから、何の始まりで、何の終わりの標識なのかもわかりませんでした。
調べてみると、アスカーブとはアスファルトを固めて作る道路脇や駐車場にある縁石のことで、道路脇にあるアスカーブの目的は雨水の誘導や車やバイクなどの落下・はみ出し防止なのだそうです。不用意に路肩に接近すると乗り上げるよ、という警告なんですかね。

 

 

 

 

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