前夜、満車状態の道の駅で嫌な予感がしましたので、この日は4時半に起きて5時前には道の駅を出発する事にしました。
さすがに車中泊組の中でも一番二番の早立ちだったのですが、朝5時半に弘前城に着いて見ると、既に追手門前の駐車場は軒並み満車です。恐るべし弘前城!!嫌な予感に従っておいて良かったです。
それでも何とか少し離れたところにハイエースを停めて歩き出すと、歴史を感じる建造物に出会いました。これは青森銀行記念館で、第五十九国立銀行本店本館として1904年に建設された国の重要文化財です。第五十九銀行は青森みちのく銀行の前身の一つで、とても風格のある洋風建築でした。 離れたところに停めたのが幸いしましたね。



弘前城の周辺には既に多くの人が集まっていて、カメラを構えた人が一杯です。桜吹雪が舞い始めて、お堀には名物の花筏も出現していましたので、一番いいタイミングだったようです。










城内からお堀の周りをゆっくり歩いている内にも続々と人が詰めかけて来ましたので、早々に引き上げることにして、次は黒石市へ向かいました。以前妻と参加した桜ツアーで「こみせ」を見に行ったところです。「こみせ」とは越後(新潟)の「雁木(がんぎ)」の津軽版で、家々が通りに向けてひさしを張り出し、雪や日差しから人を守るために連ねた半屋外の通路です。雁木が雪に耐えるための実用性重視なのに対して、黒石のこみせは柱や梁に細かな意匠が見られて、商家の格式を示す役割も担ってきた点に特徴があります。
しかしこの旅はあくまで桜旅ですから、まずは桜の名所とされていた「東公園さくら山」へ。






その次の目的地は五所川原市金木にある太宰治ゆかりの「芦野公園」だったのですが、弘前・黒石と回って来てもまだ9時にもなっていませんでしたから、その途中にある鶴田町の「富士見湖パーク」も桜名所だということで立ち寄ってみることにしました。行ってみるとそこは「鶴の舞橋」という美しい橋で有名なところで、以前も来たことがあるところだったのですが、名前を聞いても全くピンと来ていませんでした。





そして「芦野公園」に着いてみるとここも既に大混雑でしたから、この日の桜はもう終わりにして、「太宰治記念館 斜陽館」を再訪することにしました。
この後の予定もありませんでしたからゆっくり見物できましたし、近くにある「太宰治疎開の家 旧津島家新座敷」というところにも行くことができました。ここのキャッチコピーは「太宰の書斎 23作品が生まれた部屋に座る。太宰治と過ごす時間がここにあります。」で、1945年の夏、太宰が空襲を逃れて故郷・津軽の生家へ疎開したことは、著作を通して知られていますが、終戦直後に彼が数々の作品を書き上げた「新座敷(旧津島家離れ)」は、その後60年公開されることがありませんでした。移築された後公開されたこの家の書斎では、「パンドラの匣」や「トカトントン」をはじめ、23の作品が生まれた机の前に座ることもできます。









今回宮沢賢治と太宰治という青春期御用達とでも言うべき作家の記念館を訪ねました。あんなの麻疹(はしか)みたいなもんだとバカにする人もいますが、やはり麻疹には若いうちに罹っておく方が良いと思います。間違いなくその後の私の人生を豊かにしてくれました。
ここでまだ時刻は13時過ぎ、もう予定もありませんから、この日の宿泊先とした十三湖の道の駅に行ってのんびりする積りで十三湖まで来たところで、名物のしじみ料理の昼食です。
ただ入浴後に行った道の駅は、夕方になると続々とクルマが帰っていってしまい、またもボッチ車中泊のような不穏な雰囲気となりました。急遽地図で検索してみると、芦野公園に隣接してオートキャンプ場があるみたいで、しかも無料です。
ならばホームセンターで焚き火用の薪でも買って行って、久しぶりにキャンプをと考えたのですが、もうそんなにゆっくり出来る時刻でも無かったですから、おとなしく車中泊することにして、そのまま現地に向かいました。
到着してみると十三湖とは違ってこちらは結構な混雑で、ハイエース1台分のスペースを見つけるのがやっとでした。私が目論んでいたカーサイドタープ展開は無理でしたから諦めて正解でした。まあ一番遠いエリアなら何とかなったのですが、この寒さの中、夜中トイレまで延々歩くのは辛すぎますし、クマの心配もあります。皆さん平気でテント泊・バーベキューを楽しんでいましたが、情報のない私は怖いです。


