かなり前になりますが、「職人の世界」という題名の記事を書きました。
世界に誇るような高度な技術や伝統を守る職人さんでも、辛く厳しい職人の世界で我が子を苦労させたくないという親心から、子供には高等教育を受けて大企業に就職して欲しいと望むことが多くなってきているようですが、大企業の会社員の世界もそんなユートピアじゃないですよね?という趣旨でした。
今回はもう少し広く、職業観と職業適性について考えてみたいと思います。
私は現役時代から人事の世界で長く仕事をしているのですが、自分のことはさておき、会社員としての適性がないなあと思う社員にも数多く接してきました。ただ、それは人間として劣っているという意味では全くなく、コミュニケーション能力とかマネジメント能力といった、一部の能力に不足があるにすぎないことが殆どでした。ところが、その「ごく一部の能力」が会社(特に私のいた会社はそうでした。)では必須とされるため、そこが弱い人はどうしても評価が低くなり、ローパフォーマーと呼ばれ続けることになります。
そして、ローパフォーマーとされる社員が皆、低学歴の落ちこぼれ学生だったのかと言えば、そんなことは全くありません。高偏差値大学を優秀な成績で卒業してきた人の中にも、一定数そういう人がいました。
学校では勉強の順位やスポーツの技能で評価され、しかも就職に際しては勉強の比重が圧倒的に高いですから、会社に入った途端に「別の能力」で評価され、そこでつまずく人が出るのも当然のことだと思います。
いい学校=偏差値の高い学校、いい会社=名門と言われる会社や大企業、という画一的な価値観はいまだに根強く残っているように感じますが、その一方で、学校ではコミュニケーション能力やマネジメント能力を磨く訓練はほとんどしてくれません。いい学校へ入ったからいい会社に入れる、まではかろうじてゆるい相関があるとしても(今はそれも危ういですが)、入社してからは結局、そこで求められる能力が身についていなければ評価は上がらず、本人は苦しい思いをすることになります。
そして、企業の評価の仕方にも問題があります。企業はどうしても「会社員としての標準像」を前提に評価を行いますが、その標準像に合わない人は、どれほど別の能力に優れていても評価されにくく、本人の努力とは関係なく低評価が続くことがあります。人事の現場にいると、本人の能力というより「会社の枠組みとの相性」で評価が決まってしまう場面を何度も見てきました。
こうした状況を見ると、親世代が自分の職業を卑下し、大企業勤めを神格化するという構図が、子供たちの進路選択を狭めているのではないかと感じます。職人の世界が厳しいのは事実かも知れませんが、会社員の世界もまた別の厳しさがあり、どちらが優れているとか劣っているという話ではありません。大切なのは、子供がどのような特性を持ち、どのような環境で力を発揮できるのかを見極めることであって、親の価値観だけで進路を決めつけることではないと思います。
親が自分の職業を卑下しないこと、大企業勤めを過度に持ち上げないこと、そこからすべてが始まるのだろうと感じます。どんな職業にも向き不向きがあり、どんな仕事にも厳しさとやりがいがあり、そこに優劣はありません。子供が自分の特性に合った道を選べるようにするためには、まず親自身が「職業の序列」という古い価値観から自由になることが必要なのだろうと思いました。他人ごとではなく、かくいう私にもその価値観は根強く残っているのですが。