日常の中で、昔から知っているはずの言葉がふと気になることがあります。「当(とう)を得る」もその一つでした。意味は分かっているつもりでしたが、最近ある記事で目にして、そのあと類似の言葉なども改めて調べてみると、成程と思うところが多々ありました。
「当を得る」は、物事の筋道に合っている、道理にかなっているという意味だそうです。「当(とう)」という字には、理屈や条件に合うという意味があり、AIによれば正岡子規の『筆まかせ』や芥川龍之介の『酒虫』にも出てくるそうですが、それ以外にも至る所で使われる言葉だと思います。
似た言葉に「正鵠(せいこく)を得る」があります。「正鵠を射る」とも言われ、こちらは弓矢が的の中心に当たるところから来ているとのことです。「当を得る」と比べると、少し強い言葉だと感じますが、これは正鵠という熟語のせいでしょう。物事の急所をつく、核心を外さないという意味が込められているようです。「正鵠を失わず」という表現もあり、中心を外さないという点では同じですが、こちらのほうが更に強い印象があります。
もう一つ、「図星を指す」という言葉もあります。これも弓道の的の中心を表す「図星」から来ており、相手の急所を言い当てるという意味になります。こちらは日常会話でもよく使われ、少し柔らかい響きがあります。「図星を指されて苦笑いするしかなかった。」というように、どこか味のある表現です。
また「的を射る」という言い方もあります。本来は「正鵠を射る」と同じく、弓矢が的に当たるところから来ているのですが、近年は「的を得る」と言われることも多いようです。辞書では誤用とされることが多いものの、耳にする機会は少なくありません。言葉は使われ方で変わっていく面もあり、どこまでを誤りとするかは難しいところですが、意味を考えると「射る」のほうが筋が通っているように思いました。
言葉の違いを調べていると、日常の中で「当を得ていない」やり取りに出会うことがあります。話がかみ合わず、論点がずれたまま進んでしまう場面や、SNSで元の文脈を外れた批判が飛び交う場面など、言葉が本来向かうべきところから外れてしまうことは少なくありません。そんなとき、どこか落ち着かない気持ちになります。
一方で、「的を射ている」と感じる瞬間もあります。誰かの短い一言が状況をすっと整理してくれたり、複雑な話の核心を一瞬で示してくれたりすることがあります。そうした言葉に出会うと、胸の中が晴れていくような感覚があり、これが言葉が本来の働きをしている瞬間なのだと思います。
また、「図星を指された」と感じる場面もあります。自分では気づいていなかった癖や考え方を、他人にあっさりと言い当てられることがあります。少し恥ずかしく、どこか悔しい気持ちにもなりますが、図星を指されることで初めて気づくことも多く、言葉の力を感じる瞬間でもあります。
こうして言葉を見直してみると、単なる意味の違いだけでは無く、言葉の背景にある感覚や使われ方の違いが見えてきます。「当を得る」という言葉で、物事の筋道を意識するようになりますし、「正鵠を得る」という言葉からは、核心を押さえることの大切さを思い出します。「図星を指す」という言葉を思い出せば、他人の指摘を素直に受け止める余裕が生まれるかも知れませんね。