シニアライダーの日常・R1200Rと共に

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風速は時速の方がわかりやすくないですか?

 

私は以前から、台風などの風速は秒速表示じゃない方がその危険の大きさを直観しやすいのではないか?と考えていました。小さい頃から慣らされていますから、風速は秒速で考える癖はついていますが、どこか現実味が薄いまま受け取っているような感覚がありました。
そんな中で、6月という早い時期に本州を襲った台風6号の報道を見ているうちに、このモヤモヤがまた頭の中に浮かんできました。最近では台風が関東に向かってくることが多く、私が北海道へ車中泊旅に出ようとした時にもまた7号と8号が同時に関東に向かって来ていましたし、台風がより身近になったからなのかも知れませんが、画面に「風速30m」などの数字が並んでいても、やはりその危険度がすぐには思い描けません。

要は、秒速○○mではなく、時速○○kmの方がどれほどの力が加わるのかを想像しやすいのじゃないかということであり、車の速度と同じ尺度で考えられますから、時速100㎞と聞けばどれほど危ない状況なのかを直に感じ取れます。何故そうしないんだろうという違和感が今回あらためて調べてみようと思ったきっかけです。

 

調べてみると、世界の多くの国では、生活者向けの風速表示はやはり時速のようです。欧州では風も車も自転車もすべて時速で語られ、アメリカでも国民は時速(kmではなくマイルですが)で風の強さを理解するのが普通だそうです。中国や韓国、台湾でも、気象機関は専門的に秒速を使うものの、一般向けの報道では時速が主で、国民はそちらで危険度を判断するようです。つまり、生活者が専門家の単位をそのまま受け取る国は、ほとんど無いのです。

 

専門家の世界では、風速の単位は秒速で統一されているそうですが、なぜ日本だけが専門家の単位を一般にまで広げてしまったのかはやはり疑問です。
まず、気象庁が専門家の国際基準に沿って秒速を使い続けたことが大きく影響したとされます。そして他国では、専門家は秒速を使っても報道が生活者向けに時速へ言い換えるのが一般的だそうですが、日本では報道が専門家の単位をそのまま使い、生活者向けの言い換えを行わなかったということです。テレビで「風速30m/s」と繰り返し聞けば、国民も自然とその単位で風の強さを考えるようになるのは当然です。

 

学校教育も同じ方向に働いたとされます。理科の教科書では風速は秒速と書かれ、台風の説明も同じ単位で統一されています。欧州の教科書が生活の単位である時速を使うのとは対照的です。行政・報道・教育が同じ単位を使い続ければ、専門家の単位が生活の単位に変わっていくのは自然な流れですよね。

 

さらに、日本社会には「官が決めた基準をそのまま受け入れる」傾向があるという指摘もあります。制度や標準を生活に持ち込むことに抵抗が少なく、専門家の方式を疑わずに受け入れる姿勢が強いという見方です。生活者向けに言い換える文化が弱いため、専門家の単位がそのまま生活の単位として定着してしまったのではないかと言われています。私が以前から抱えていた「なぜ秒速なのか」という違和感は、この構造と重なるところがあるように思われました。

 

台風が多い国であることも、秒速の浸透を後押ししたとされます。毎年のように数多くの台風が来て、気象庁等の発表に触れる機会が多いため、専門家の単位が生活の中に繰り返し登場し、違和感なく受け入れられたという説明です。こうして、日本では専門家の単位が生活者の単位として定着し、世界でも珍しい「秒速文化」が形づくられたと言われるのだそうです。

 

 

 

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