シニアライダーの日常・R1200Rと共に

シニアライダーの日常と記憶、愛車R1200Rと行くツーリングの記録と四方山話。

8月、猛暑です。

 

8月ですから暑いのは当たり前ですが、それにしても昨日一昨日は異常な暑さでした。台風の余波で、その前には関東でも強い雨風に見舞われましたが、それが収まったと思ったら猛烈な暑さがやってきました。何と東京八王子では38℃、千葉でも36℃です、、。
過去の思い出には自分に都合の良い補正がかかっていますので、私の記憶は正確ではないかもしれませんが、昔の夏が今ほど暑くなかったのは間違いないと思います。

 

昭和30年代の日本にはまだエアコンは普及しておらず、当時の映画を見ると大企業のオフィスでさえ窓を開け放って扇風機が廻っています。またあの頃はまだ冷房だけの機能しかありませんでしたから、エアコンではなくクーラーと呼んでましたね。
映画や当時のニュース映像に登場するサラリーマンは、ネクタイは締めない開襟シャツ姿が殆どですが、上着をちゃんと来ている人も多く、いくら今ほどの猛暑ではなかったとしても良く我慢できたものだと思います。
開襟シャツに麻の上下、パナマ帽をかぶって扇子であおいでいる、というのが当時の夏の紳士のイメージです。

 

私が社会人となった頃のオフィスには大分冷房が普及しており、昭和60年代ともなると電車の冷房化も進んでいましたので、真夏でも上着を持ち、ネクタイは必須という感じでした。外回りの職種では半袖ワイシャツの人も多かったですが、逆にオフィスワークの場合は、長袖にしてまくったり下ろしたりしながら体温調整しないと冷房病になりかねない程寒い時がありました。
その後、オイルショックを受けて、省エネルックという、その後のクールビズの源流みたいな運動がありましたが、とてもダサくて全く普及しませんでした。

 

電車は、昭和40年代終わりから50年代初めの学生時代には、お世話になった小田急が当時から比較的冷房率が高くて、それでも半分くらいで、暑い日には一本やり過ごして冷房車を待った記憶があります。国鉄(現JR)はもっと冷房率は低く、地下鉄に至っては殆どが無冷房でした。地下鉄は当時廃熱処理の方法が見いだせなかった、ということを聞いた記憶があります。当時の通勤ラッシュはすさまじく、路線によっては乗車率300%超え(現在は乗車率トップクラスの路線でも200%程度)でしたから、まさに通勤地獄ですね。

 

家庭での冷房の普及が最も遅く、扇風機すらないところも多かったと思います。我が家も30年代初めまでは扇風機もなく、夏は縁側の戸や窓をすべて開け放って、外からの風と団扇だけで過ごしていました。年中戸締りをしなくてもすむような田舎だからこそできたことなのでしょうが、我が家はちょっと高台で風の通り道にあったので、それで何とかしのげていました。しかし四国の瀬戸内側では「瀬戸の夕凪」といって、夏の夕方パタリと風の止まる時間帯があり、その時は暑かったですね。夜でも網戸のままで、蚊帳の中で寝るのですが、風がなくて寝苦しい夜は、寝付くまで横で祖母が団扇の風を送ってくれたのを懐かしく思い出します。
その後私が小学校に通うようになると扇風機が登場し、私が進学・就職で家を出た後にはエアコンも付きましたから、気温の上昇もさることながら、日本の経済成長と共に、田舎の我が家にも電化の波が押し寄せていたということなんでしょう。

 

その後、仕事でハノイ、ホーチミン等のベトナムの各都市に行くようになった時、外は当然南国の暑さなのですが、一歩館内に入るとどこもキンキンに冷房をきかせていて、しばらくすると寒くてたまらないという経験をしました。暑いことを予想して半袖しか持っていかなかったり、改まった席でも上着なんか要らないと言われて、ホテルに置いて来たりして後悔したものです。最初のそんな失敗に懲りて次からはどんな時もちょっと羽織れるものを持ち歩くようにしていましたが、暑い国なので最大限冷やしてお迎えすることが歓迎の意なのでしょうか。

 

 

 

 

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