シニアライダーの日常・R1200Rと共に

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千葉県議会議員選挙

統一地方選挙の前半戦の投票が先週9日の日曜日にあり、千葉県でも県議会議員選挙の投票日でした。

 

最近では国政も含めあらゆる選挙で投票率の低下が顕著となっていて、特に関心の低い地方選挙では惨憺たる数値です。今回の千葉県議会議員選挙でも、結果的に投票率は35.99%、前回(2019年)を0.27%下回り、またも過去最低を更新したみたいです。有権者の内の3人に2人は選挙に行っていないことになり、選挙権のあり方自体を考える時期なのかとも思いますが、選挙のやり方にも問題はありそうです。

 

県議会の活動状況は「ちば県議会だより」という広報誌が年3~4回新聞に折り込まれてきますし、県のホームページでも閲覧できるのですが、正直ちゃんと見たことはありません。千葉県は前職の森田健作知事が悪目立ちしていましたが、県議会についてはマスコミに取り上げられることも少なく、関心も持てないままでした。
ですから、私自身投票についても選挙公報が配られて初めて候補者を意識し、そこから泥縄で誰がいいかを考え始めるという、義務感だけでの投票になってしまっています。

 

マスコミに良く取り上げられる、各種の都道府県人気度ランキング等で、○○県民であることへの誇り、とか関心を煽られる傾向がありますので、私も千葉県民であることを意識はしますが、千葉県に限らず市区町村と国の間で都道府県の存在感自体は薄いのも確かだと思います。現実に、千葉県民として、埼玉県民よりメリットがあるとか、茨城県民に比べてデメリットを感じるとかいうこともないですし、、。

 

それならば、こういった際に良く議論される道州制を導入して、地方にもっと権限を委譲すれば、その地方独自の制度等も導入されて特色が生まれ、帰属意識も高まるのじゃないかと思うのですが、横並び意識の強い日本では、やはり道州が横睨みをし合ってアメリカの州政府のような独自性は生まれないような気もします。アメリカは州ごとに死刑制度であったり、中絶の禁止であったり、違う国かと思うくらい独自性がありますが、日本ではいくら権限を与えられてもそうはならなそうです。

 

また、今回の県議会議員選挙の少し前、わが街でも市議会議員選挙が実施されたのですが、その際の投票率は今回の県議会議員選挙より更に低い34.8%でした。市町村ともなると都道府県よりは生活への密着感はあり、もう少し投票率が高くなっても良さそうなものですが、そこにはもう一つ別の問題があったと思います。

 

それは、対象となる候補者の余りの多さです。今回の市議会議員選挙では、定数40名強に対し60数名が立候補していました。市全体を一括で、60数名の中から1名を選ぶのが今回の選挙なのですが、普通の市民生活を送っている人にとって、この60数名は恐らくほとんど全てが未知の人だと思います。今回の県議会議員選挙での私と同じように、その60数名を選挙公報で初めて知り、さあそこから1名選べと言われて、投票に行く気がする人が果たして何人いるでしょうか?
この3名の中から1名を選べと言われるのに比べて、60名の中から1名を選べと言われるのでは、1票をとても軽く感じてしまいます。定員40数名にまで大きくなった市であっても、ブロック分け等のやり方はできないものなのでしょうか?関心の低い選挙に対して更に関心を失わせる結果になっています。

 

私は一昨年春から去年の春まで町会の役員をやっていましたから、地元選出の市議会議員とは面識もあり、それなりの興味は持てる環境ではあったのですが、それでも上に書いたような感想が正直なところでしたし、選挙公報が来るのも遅すぎで、それ以外の候補者に対する予備知識も直前まで得られないままでした。どうせ選挙公報なんて読まないだろうと考えているのかと勘繰りたくもなります。

 

以前私は、ネット投票とかで投票率を高める工夫をすべきだというブログを書いたこともあるのですが、今回のガーシー議員の騒動等を見ていると、投票し易くしていくことが果たして良いことなのかという疑問すら感じてきました。
3人の内の2人まで増えてきた選挙権放棄の人も、投票しないという意思を表しているとみるべきなのかも知れませんが、戦後すぐの、まだ熱を持った民主主義教育の下で育ってきた世代としては、正直納得しづらいところがあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

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