シニアライダーの日常・R1200Rと共に

シニアライダーの日常と記憶、愛車R1200Rと行くツーリングの記録と四方山話。

R1200Rソロツーリング六日目:熊野三山を巡って、熊野市鬼ヶ城そばの「ホテルなみ」へ

この日は前日の真言密教の聖地高野山から一転、熊野三山という神道の世界です。

龍神温泉から熊野本宮大社、熊野那智大社、熊野速玉大社と回り、熊野市内で宿泊します。

 

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熊野本宮大社まではやはり前日と同じような山中のワインディングロードですが、前日とは違って路面もドライで、とても快適なライディングが楽しめました。

 

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シンボルである八咫烏にちなんだ黒い八咫ポストです。

 

本宮大社へのお参りの後、元々熊野本宮大社のあった大斎原(おおゆのはら)に向かいます。熊野川・音無川・岩田川の合流点にある中洲にあり、当時、約一万一千坪の境内に五棟十二社の社殿、楼門、神楽殿や能舞台など、現在の数倍の規模だったそうです。江戸時代まで中洲への橋がかけられる事はなく、参拝に訪れた人々は歩いて川を渡り、着物の裾を濡らしてから詣でるのがしきたりで、音無川の冷たい水で最後の水垢離を行って身を清め、神域に訪れたのだとか。
ところが明治22年に起こった大水害が本宮大社の社殿を呑み込み、社殿の多くが流出したため、水害を免れた四社を現在の熊野本宮大社がある場所に遷座したのだそうです。

  

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そこから熊野川沿いをずっと下って新宮市を目指します。熊野川は鮮やかなブルーの川面をしていて写真を撮りたかったのですが、停車し損ね、海岸線に出るまで走り続けてしまいました。
太平洋岸に出ればすぐ熊野速玉大社ですが、まずは少し海岸沿いを南下して、熊野那智大社に向かいます。

熊野三山の他の二社では、明治の神仏分離令により仏堂が廃されましたが、那智では観音堂が残され、やがて青岸渡寺として復興したのだそうで、青岸渡寺と熊野那智大社は並んで建っています。

 

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今回近くまでは行けませんでしたが、那智の滝はやはり存在感があり、熊野那智大社の別宮、飛瀧神社の御神体として信仰を集めています。

 

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そこから新宮市に戻り、熊野速玉大社です。
熊野御幸という、昔の天皇・皇室の熊野詣のコースは、田辺市まで紀伊半島西岸沿いを南下し、そこから中辺路を通って熊野本宮大社にお参り。そこから熊野川を下って熊野川河口のこの神社にお参りし、更に熊野那智大社を目指すというものだったそうです。

 

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熊野三山のお参りを終え、太平洋岸を北上し熊野市を目指します。

この国道42号線沿いの景色は、房総半島を走る国道28号線とそっくりです。昔、紀伊半島の漁師が漂流して黒潮に運ばれ、房総半島にたどり着いて土着したとき、故郷の風景を思って那智勝浦⇒勝浦、南紀白浜⇒白浜、等々の地名とした、ということがよくわかります。ですが、本家筋がわざわざ那智勝浦、紀伊勝浦のように地名を明記して、分家であるべき千葉のほうが本家っぽい表示なのは何ででしょう?

今夜の宿は熊野市の太平洋岸にある「ホテルなみ」というところですが、鬼ケ城(おにがじょう)という景勝地の入り口にあります。
桓武天皇の頃、この地に隠れて熊野の海を荒らし廻り、鬼と恐れられた海賊多娥丸(たがまる)を、天皇の命を受けた坂上田村麻呂が征伐したという伝説が残っており、その伝説に基づいて鬼の岩屋と呼ばれていたのが、後に鬼ケ城といわれるようになったのだそうです。確かに鬼の姿のような奇岩があり、盗賊が隠れ住むのに格好の場所でもありそうです。

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そしてチェックインの際にひと騒動がありました。確かに楽〇トラベルで数日前に予約したはずが、フロントでは予約は受けていないと。自信満々で予約確認メールを見せたところ、「お客さま、これ明日のご予約ですが、、、」。
幸い当日空きがあったのでそのまま日付変更で処理をしてもらえましたが、あせったのと恥ずかしいのとで冷や汗かきました。

 

 

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