シニアライダーの日常・BMW R1200Rと共に

シニアライダーの日常と記憶、愛車BMW R1200Rと行くツーリングの記録。

就活(就職活動)の記憶

来春、娘が大学を卒業し就職しますので、子育てもほぼ終了です。
今年は就職という面では恵まれていて、彼女は大きな困難にも直面せず就職先を決められたようですが、いわゆる就職氷河期の年代層に対しては、何らかのケアの必要性が今議論されているようです。確かに新卒一括採用、終身雇用という慣行がまだまだ根強い現状では、スタート時点の不利を取り戻すのは難しく、2年前に就職した長男も含めウチの子供たちは幸運だったと思います。

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この機会に、自分の時の就活はどうだったのか思い出してみました。

就職・採用活動は個人と企業との契約のための活動ですから、本来自由に行われるべきものだと思うのですが、公正・公平とか、大学教育への影響の排除とか、色々な理由でその活動時期ややり方に制約をかける歴史が今も続いています。

スタートは1953年で、大学・業界団体・関係官庁で「就職協定」ができて、4年生の10月から採用活動開始ということが決まりました。4年生です、3年生ではなく。
それも「採用活動開始」ではなく、「学生の推薦開始」となっていました。学校からの推薦での就職が主流だったことを物語っていますね。
1962年に日経連が廃止を宣言して、1971年までは大学側だけの申し合わせにとどまることとなりましたが、1972年に復活しています。

私が就職活動をしたのは1977年で、解禁時期はそれまで数回の変遷があったものの、前年からまた会社訪問・推薦開始が10月、採用内定・試験開始が11月となっていました。ですから10月に就活始めればいいやとのんびり帰省し、最後の夏休みを謳歌していました。そういえば夏休みの前半3週間くらいかけて、友人とクルマで北海道を無計画で旅したりもしていました。
そして夏休み明けの学校に行ってみたら、多くの仲間が既に就職を決めていて、何だそれはと結構焦りました。大人の世界の建前と本音を初めて見た瞬間かも知れません。いわゆる「青田買い」というやつで、そんな優秀な田んぼではなかったのですが、結構みんな買ってもらってましたね。日経連が1962年に就職協定廃止を一方的に宣言したのも、この「青田買い」の横行に業を煮やして、という事のようです。

この頃の就職活動は、まず4年生になる頃に各社からの会社案内資料がダイレクトメールで自宅に届き始めます。これは大学のランクによってずいぶん多い少ないはあったようで、私のところは少なかった、、。そしてほぼ同時期に「リクルートブック」という厚い冊子が何冊も届きます。今のリクナビの前身である紙媒体ですね。リクルート社による企業と学生のマッチング事業が定着してきた時期でした。
これが私の就職活動のほぼ唯一のツールで、当時は学校の就職課も大きな存在でしたが、そもそも学校に寄りついていないので、就職課には一度も足を踏み入れず、内定報告もしないままでした。

当時の人気企業は重厚長大産業を中心とした大手メーカー、金融、商社等、今とさほど変わらない顔ぶれでしたが、高偏差値の名門大ではありませんから、まずそのクラスは外し、自分みたいな小さな歯車でも存在感が感じられる企業にしようと考えました。私の就職活動の指針は、カッコよく言うと「小さくても将来性があって自分を認めてくれる企業を探す」となった訳です。今となっては、「言うは易し」の一言ですが。

その頃、今よりも大手と中小の待遇格差は大きかったと思いますが、大卒初任給自体は当時もほぼ横並びで変わりませんでした。確かに、オイルショックで高度経済成長が終わりを告げ不況に突入してはいましたが、社会全体にはまだどこか将来への期待・希望というものがあったと思いますし、こういう選択にもそんなに悲壮感はなかったです。現にその7~8年後に始まった平成バブルで、世の中は空前の好景気になりました。

そこから先の選考手順は今とさほど変わらず、会社説明会に行き、適性検査、3~4回の面接を経て内定、という流れでしたが、途中からUターンで四国に帰るということに決めましたので、それを口実に東京には秋以降年明けまでは戻らなかったと思います。今のように何十社も訪問できるわけでもなくゆったりしてましたから、長い秋休みから冬休みが連続したみたいなものでした。
結局、10月1日の解禁日以降1カ月足らずで、実際に入社することになる会社に内定して活動を終了しましたが、この会社は適性検査や面接のやり方が斬新で、今考えると「R社」の提案する最新の手法を取り入れていたんだと思います。
当時主流だった一般常識テストに加えて性格診断的な検査があり、これは今のSPIにつながるものですし、集団面接は、面接前に短いケーススタディを渡され、それについてグループディスカッションするところを、スタート時には部屋の四隅に座っていた面接官が自由に近づいたり離れたりしながら観察する、というものでした。

 

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当時私が訪問した他の会社ではこんな手法を取り入れているところはありませんでしたし、四国の中小企業がこの時期こんな手法で学生を選抜していたことも驚きでした。

内定通知をもらってすぐ入社承諾し、12月には韓国にある生産子会社に内定者視察ということで連れて行ってもらったりしましたから、当時就職難と言われてはいましたが、私も大した苦労はしていませんね。

次は息子、娘の就活や、自分が長く関わった採用側の活動(採活?)についても書いてみたいと思います。

 

 

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