年賀状をどうしようか考えている内に、あっという間に年末です。
会社というしがらみがなくなった今、もう出さなくてもいいんじゃないかと思ってみたり、いややっぱり義理で出してたわけじゃないし、と思い返してみたりです。今まで通りに出すとしても、まだ買いに行ってもいないので、出せるかどうかも危ういです。(12月27日時点)
会社を離れてみると、「出さなくては」という強迫観念的なものもなくなり、ズルズル先延ばしにして今に至る訳ですが、とすると自分では虚礼ではないと思って続けてきたものが、実態は虚礼だったのかも知れません。
近年年賀状の枚数は減り続け、CMに嵐を起用したりして躍起になっていますが、この流れを押しとどめるのは難しいでしょう。2000年始め頃に40億枚を超えていたものが、現在では半減してしまっているとのことです。
そもそも年賀状は、年始回りに伺えない遠方の人に書状でご挨拶する、というのが趣旨で、年始回りは平安時代に始まっており、当時の藤原明衡という貴族が残した文例集に年賀状のことが載っていることから年賀状の起源も平安時代とされています。
減少の理由はやはりネット、SNSの普及でしょう。年賀状を出すということはそれなりのコストと手間がかかり、ネットやSNSにはその点かないません。
また昨今の個人情報保護の流れも年賀状には逆風です。以前なら当たり前のようにあった社内の緊急連絡網や、社員名簿もなくなり、卒業アルバム等にも住所や電話番号は載らない時代ですから、住所を教え合うことから始めないといけません。「年賀状出したいから住所教えて」と言うのも何かわざとらしくて嫌ですよね。
最初にも書いたように私は年賀状を虚礼とは思っていなくて、作ることは大変ですが、苦痛ではありませんでした。(正確には、苦痛ではないと当時は思っていました。)
生まれて初めて年賀状を出した時は、大人になった気分でとても嬉しかったのを覚えています。小学校の先生だったかな?まさか幼稚園ではないと思います。
そして徐々に枚数が増えていき、20年くらい前からは百数十枚でほぼ固定していました。営業部門ではありませんでしたから取引関係の年賀状は少なく、会社では上司、同僚、部下といった人たち、それ以外では小中高の古い友人とその他の比較的新しい友人に親戚、という構成でした。
最初は官製の年賀はがきに一から手書きで、そして図案入りの年賀状を買ってくる時代となり、子供ができてからは家族写真付き、家庭にプリンターが来てからは、筆ぐるめ等のソフトで手作り、といった流れで、宛先までプリントできるようになって随分と楽にはなりました。なのでせめて何か一言は添えようと心がけてはいましたができないことも多かったですね。
今はこれを使っています。
しかし流石いらすとや、この分野にもすでに進出していました。
(こんなこと調べながらブログを書く前に、さっさと年賀状作ればとっくに終わってます、、。)
日頃会えない遠方の人に出すのが本来の年賀状の趣旨だとすれば、会社を辞めた今は、そのすべての人たちがめったに会えない人となった訳で、本当は今年こそ年賀状を出さなくてはいけない年ということになりますね。
追記:上記は12月27日に書いた記事ですが、12月28日やっと年賀状を買ってきて、今現在も鋭意作成中です。元旦(元日の日の出から昼まで、といった意味だそうです。「旦」は日が水平線・地平線から登る様子の象形文字だったんですね。)には間に合いそうにないですが、深く考えず元旦と記載してしまいました。