ロングスリーパー、ショートスリーパーという言葉がありますね。日本語だとそのものズバリ、長眠者、短眠者というそうです。
平均10時間以上寝ないといけない人をロングスリーパーと呼ぶのだそうで、そこまではいかないまでも、私もロングスリーパー傾向の人間であり、65歳になった今も1日8時間以上は寝ないと寝足りない思いがします。
体質的なもの以外に何か理由はあるのかなと考えて思い出したのが、幼い頃から私を育ててくれた祖母が、寝る前になると口癖のように言っていた、
「世の中に 寝るより楽はなかりけり 浮世の馬鹿は 起きて働く」
という狂歌です。
これは蜀山人(大田南畝)の歌と言われていて(詠み人知らずと書いたものもありました。)、勿論当時の私が蜀山人を知っていたはずもありませんが、この歌は憶えやすくて、意味の取り違えようもなく、ずっと記憶に残っていました。この狂歌で寝ることが快楽なんだと刷り込まれのかも知れません。
そして枕を並べて寝る祖母は、寝る前の宣言(?)通り、夜9時から朝6時頃までぐっすり寝ていました。とは言え私のほうが先に寝て、朝は起こされている訳ですから、実際にそれを見ていたわけではありませんが、私が中高生となり、祖母よりも夜更かしするようになってから、少なくとも9時前後には就寝し、すぐに気持ちよさそうに寝入っていたことは現認しています。朝は相変わらず起こされていましたので未確認ですが、確か目覚ましを6時にセットしていたはずで、9時間寝てます。有職未亡人でしたので、若いころは9時間寝るのは難しかったでしょうが。
蜀山人の狂歌の影響はともかくとして、そういう祖母と生活を共にしていたからか、私もすっかり寝る子に育ちました。上記の通り、中高生になってからは人並みに夜更かしになりましたし、曲がりなりにも高校、大学受験という時期もありましたので、そうそうたっぷり8時間寝るというのは難しかったはずですが、そのせいか始終眠かったという記憶があります。とにかく朝は苦手で、しまいに布団を引っ剥がされるまで起きられなかったですね。
中学の時はそれでも品行方正な生徒だったのですが、高校がとても自由な校風で、生徒の自主性に任せるという方針が伝統としてあったのに甘え、遅刻の常習者になってしまいました。それなりの進学校でしたが落ちこぼれは当然居る訳で、当時覚えた麻雀にはまって友人宅に入り浸るようになり、内緒でバイク通学していたので時間を気にせずいつでも帰れることでタガが外れて、見事に落ちこぼれました。
とにかく朝起きられず、高校3年の時は、確か20数日の欠席換算となるだけの遅刻・欠席があったと思います。祖母も半ばあきれて放任状態でしたね。
大学生になってからも、高校当時の仲間が首都圏の大学に集まりましたので、相変わらずの麻雀三昧で、徹夜ばかりしていました。しかし一日の睡眠時間だけは確保したいわけで、徹夜で不足した分は翌日以降の睡眠時間に上乗せして寝るのです。16時間とか18時間とか平気で寝ていましたが、目が覚めて時計を見て、朝6時なのか夕方6時なのか判らない、といったことはしょっちゅうでした。
これが健康上どうかと言えば恐らく益のない事なのでしょうが、朝まで一気に寝られなくなった今となっては当時がうらやましい限りです。
そう考えると朝までぐっすり寝ていた祖母は健康だったんでしょう。101歳まで長生きするはずです。
私の学生時代は極端な事例ですが、平日は5~6時間の睡眠で過ごし、週末一気に寝不足を取り戻す、という人は結構多いんじゃないかと思います。こういう人はバリアブルスリーパーと呼ぶらしく、何でも定義づけされてることにちょっと驚きです。
そして私は、朝まで寝られなくなった今でも通算睡眠時間に拘るのは同じで、いくら細切れになったとしても、一日8時間は寝たいという思いが強く、寝られない日はとても眠い気がして気分も憂鬱です。
話は変わりますが、蜀山人の狂歌にまつわることを最後にもう一つ。
彼には他にも、同じ「世の中に」で始まる、
「世の中に 人の来るこそうるさけれ とはいうものの お前ではなし」
という歌もあるのですが、それに先日紹介した内田百閒が乗っかって、
「世の中に 人の来るこそうるさけれ とはいうものの お前ではなし」(蜀山人)「世の中に 人の来るこそうれしけれ とはいうものの お前ではなし」(亭主)
という張り紙をして、自宅玄関の柱に貼っていたのだとか。しゃれてますよねえ。
百鬼園シリーズの中の、この「百鬼園戦後日記」に出てきた話だと思うのですが、自信はありません、、。