シニアライダーの日常・R1200Rと共に

シニアライダーの日常と記憶、愛車R1200Rと行くツーリングの記録と四方山話。

今はスマホ、昔は漫画とタバコ

 

最近カフェとかファミレスとかでよく見かける光景ですが、お互い無言でスマホを眺めている、カップル、複数の仲間たち、そして家族連れ。
家族連れの場合はちょっとバリエーションがあって、まだ幼い子供連れの場合は、少なくとも両親の内一人は子供のお相手でスマホは触っておらず、会話によるコミュニケーションが成立しています。小学生位でまだスマホは買ってもらってないけれどゲームは持っているという場合は、子供はゲーム、親たちはスマホで会話は無し。もっと大きい子供の場合は、無条件各自のスマホに没頭で、やはり言葉でのコミュニケーションは無し。

 

最初にこの光景を見た時にはやはり違和感を感じましたが、考えてみるとその後の我が家も全く同じです。ただ子供たちがまだ小さい頃はまだスマホも普及しておらず、子供たちは携帯型ゲーム機(当時は任天堂ゲームボーイの独壇場だったような気がします。)に夢中でしたが、親たちには会話がありました。
それから会社支給の携帯がスマホとなり、公私混同を避けるため持っていた私用携帯もスマホとなって、私の方が家内より一足先にスマホに見入る状態になりました。その時点で家内はこのような会話のなさをしきりに嘆いていて、ゲーム止めろスマホ見るなとうるさかったです。今では我が家でも冒頭の光景が当たり前となっていますが、そんな中でも家内はやはり家族間の会話がしたいようで、いつも一番先にスマホを閉じて会話を始めるのは彼女です。

 

そこでまた昔と比較してしまうのですが、私が子供の頃の田舎では家族揃って外食という習慣も一般的ではなく、まして四国の田舎にはうどん屋か一膳飯屋、もしくはずっと高級な料亭や鮨屋ばかりで、今のファミレスにあたるような中間的な外食業態は少なかったですから、家族の外食というとうどんやの記憶です。うどんをすすりながら「おいしいね!」という何だか「一杯の掛けそば」みたいな光景が思い出されますが、何せうどんですから注文したらすぐ出てくるし、食べるのもすぐですから会話を楽しむような場面はありません。もしもうちょっと高級な店に出入りできる身分だったら、当然家族での会話も生まれたんでしょうが、それは今でも同じで、高級なフレンチでお互いスマホに見入っているという状況は考えにくいですよね?

 

高校生となり、仲間で喫茶店に入り浸るようになってからはどうだったかというと、勿論スマホはありませんが、それに代わるものがありました。それぞれの店においてある漫画、週刊誌、スポーツ新聞です。それぞれ席に座る前にお気に入りを2~3冊取って、注文したらおもむろに読み始めます。会話の合間に読むというよりは、読んでいる合間に断片的な会話がはさまっていく、という感じでした。今のスマホの使われ方と同じですよね?

 

また話は現代に戻りますが、息子が初めて自分用のパソコンを持った中学生の時、部屋で夜な夜なSkypeのグループ通話が始まり、楽しそうな笑い声が聞こえていました。その時思ったのが、これって我々が喫茶店に集まってダベっていたのと全く同じだなあということです。
画面は映っていても別に見ていないそうで、会話する奴は会話し、ゲームやってる奴や宿題やってる奴や、出たり入ったりつなぎっぱなしでだらだら続けていたみたいです。面白いですよね?

 

最近の若者はコミュニケーション能力が低下しているとか、ネットでしかつながれないとか色々言われていて、それは間違いではないのかも知れませんが、でも我々の時代も上記の通り決してそんな上等なコミュニケーション能力を備えていたわけではありませんでした。集まってしかコミュニケーションが取れなかったので集まっていただけで、当時Skypeがあったら、私嵌ったと思いますし、当時足として必需品だったバイクの出番もずっと減ったかも知れません。

 

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高校の頃大活躍の、愛機ヤマハRX350 このカラーリングでした。


麻雀も今はオンラインで自宅に居ながらいつでもプレイが可能です。私は今ハンゲ(昔はハンゲームと言ってました。)というサイトのオンライン麻雀に再び嵌りつつあり、警戒が必要な状況です。10年以上前に一度嵌ったのですが、当時とは通信回線の安定や速度が段違いで、とても快適な環境になっています。24時間365日対戦相手は必ず見つかりますし、部屋の机に座ってずっとできますから危険極まりないです。

 

当時家庭用の固定電話で2時間も3時間も長電話していた、という話をよく聞きましたが、これも現在のネットコミュニケーションの先祖のような話ですよね?主に女性だったですが、当時の女性はクルマやバイク等の移動手段を持っていない人が多かったこともありますし、夜間の外出禁止等厳しい門限のある人も多かったですから。

 

また、真剣な向き合いが必要な場面(仕事でもプライベートでも)の小道具として、煙草は私にとって欠かせないものでした。一息入れたり、間をはずしたり、考える時間を取りたかったり、という場合には大活躍でしたが、この役割も今はスマホが果してくれています。主にメールの着信があったふり、という使い方ですが。

 

 

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