シニアライダーの日常・R1200Rと共に

シニアライダーの日常と記憶、愛車R1200Rと行くツーリングの記録と四方山話。

医療費と健康保険

先日腰痛のことを記事にしましたが、昔から健康には気を遣うほうでした。神経質と言われるほどだったと思います。

 

40歳からは毎年人間ドックと会社の定期健康診断を欠かさず受診していますから、以降年2回は検査を受けていたことになります。
更に日常でもちょっと気になることがあるとすぐ病院に行って診察・検査を受けていましたので毎年の医療費は馬鹿にならず、会社で年末調整してもらった後、医療費控除の為の確定申告を必ずしていました。子供が幼い頃は何かと病院通いも多くなりましたから、当時医療費は家族あわせると相当なものでした。

 

それは私が小さい頃から、素人判断で市販薬を買わず医者に行ったほうがいい、と聞かされて育ってきたことと、父親が大病を患い医療のおかげで命を永らえたということの影響だと思います。


私の育った四国の田舎町では一人しか医者はおらず、この町の地域医療はこの先生にかかっていました。市販薬を売る薬屋自体も近くにはなく、それならばお医者さんに相談したほうが安心でしかも早い、という事情もあったと思います。内科が専門の先生だったと思うのですが、ちょっとした外科処置も含め、初期対応は何でもやってくれました。私も小さい頃の足首の骨折や、頭の裂傷の処置もすべてこの医院でやってもらいました。昭和30年初めの田舎ではまだまだ民間療法や、怪しげな祈祷のようなものも残っていましたが、私を育ててくれた祖母は小学校の教員だったこともあってか、明治生まれの古い人間の割に進歩的で、そのへんは一切信じていなかったみたいです。また医者に行くことをためらわなかったのは、祖母が教員だったので地方公務員の共済組合という、おそらく当時一番手厚い健康保険制度に入っていたことも大きいでしょうね。

 

私は最初の会社は独自の健康保険組合を持たない中小企業でしたので、政府管掌健康保険組合(政管健保=現在の協会けんぽ)に加入していました。転職と共に、複数の企業で運営する健康保険組合の組合員となり、更に単独で健康保険組合を設立することになってからは、健保組合の運営にも関わることになって健康保険の財政状況についても知ることとなりました。
私が健保加入員となった当初は、医療費の自己負担比率は1割でしたが、それが2割となり現在では3割となっています。健保財政が逼迫してきての結果であることは当然で、それでも厳しい状況です。
何が苦しいかというと、高齢者医療制度への拠出金なのです。国民健保、協会けんぽ、健保組合の中では、比較的加入企業の規模が大きく、財政的にもゆとりがある(とされる)健保組合では、この拠出金が今や4割を超えるまでになっています。
それを賄うために、本来もっと充実させたい保険給付(医療費や手当等、病気になった時の事業)や保健事業(健康診断やメンタルヘルス等、病気にならないための事業)をやりくりしながら何とか運営していて、それがとても不満でした。

 

健保組合の運営方としては、給与が高く(=保険料が高い)、健康な(=医療費を使わない)、独身(=保険料を徴収できない扶養家族がいない)社員が一番ありがたい加入員な訳で、となると、すぐ医者に行く扶養家族持ちの中年加入員である私自身は健保組合にとってはありがたくない存在と言えます。
でも、確かに短期的にはそうなんですが、健保事業の一方の柱である保健事業は、病気にならないための施策を考え、啓蒙していく仕事ですから、それを広く考えると、病気が重篤になる前に早く治す、というのも趣旨には沿っているわけです。人間ドックへの補助なども同様の考え方ですね。

 

財政が厳しいとはいえ、健保組合の加入員は、他の国民健保や協会けんぽの加入員と比べて、まだまだ保険料率や保健事業の面で恵まれているのは事実で、昨年会社を退職する際にそれを実感しました。通常はこの時点で国民健保加入となる訳ですが、国民健保は個人加入ですから、これまでは扶養家族として保険料の支払いが必要なかった家内と娘も個別に保険料が発生し、結構な持ち出しになります。

 

そうこうしている内にも、当時不満を持っていた高齢者医療制度の該当者となる日が近付いている(後期高齢者となる75歳から=基本自己負担1割となる、なのでまだ少し先ですが)訳ですから複雑な想いもありますね。

 

 

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