シニアライダーの日常・R1200Rと共に

シニアライダーの日常と記憶、愛車R1200Rと行くツーリングの記録と四方山話。

16回の引越し、家財道具の膨張

 

同居の長男が家を出て独立する話が進行していて、引越しも話題に上るようになってきました。
私自身、過去何度も引越しはしており、進学、就職、異動、転職、結婚など、人生の節目節目に密接に関わっていますから、結構記憶にも残っています。

 

まず人生最初の引越しは0歳の時で、これは当然記憶にはありませんが、瀬戸内のある島で出生し、すぐに四国の父の実家へというものです。そして最後の引越しは現在の住処へ26年前に越してきたもの。数えてみるとその40年間で16回の引越しをしていました。

 

0歳での引越しはまあ除外するとして、実質的な最初の引越しは大学入学のために上京(と言っても住所は川崎市多摩区でしたが)した時です。
この時の引越し荷物は、布団と、机・テーブル兼用のコタツと、段ボール箱2~3個の衣服・身の回り品だけでした。ライトバン一台で楽々運べる程度の荷物しかありませんでしたね。中でも一番嵩張る布団は、引越用の布団袋に入れて送るのですが、ほぼ当時と同じものが未だに売られていました。懐かしいです。

 

f:id:k0013293:20200721184401j:plain

参照:https://www.monotaro.com/p/2583/4087/

 

当時まだ宅急便サービスはなく、専門の引越し業者はでき始めていたみたいですが、自分で何とかするか、何でも運んでくれた日通等に頼むのが一般的だったと思います。
一方、学生や独身者の小さな引越しは、遠方ならチッキと呼ばれた鉄道小荷物、近距離は友人同士でクルマを調達して、と言うのが中心でした。近場はバイクでも結構運びましたし、下の写真みたいにコタツを抱えて、交通量の多い世田谷通りを走ったこともあります。

 

f:id:k0013293:20200726161058j:plain

参照:http://animalive.me/surprise/motorbike-vietnam-carried

 

最初の引越しで使ったチッキとは、受取証を指すcheckからきたとかticketが訛ったとか言われているようですが、当時老人でも普通にチッキ、チッキと言ってました。
駅に「小荷物窓口」があり、そこで荷物の受け渡しをしました。荷物は厳重に荷造りした上、荷受人・荷送人を書いた紙などを荷物本体に貼ると共に、同じ内容を書いた荷札をくくりつけなければならないとされており、括りつけるために荒縄でしばったりしていました。下の写真は、その荷物に付ける荷札です。
宅急便がメジャーになるにしたがって鉄道による小荷物輸送は減少し、1980年代に廃止されました。当時配達もできたようなのですが、基本は駅留で、駅まで受け取りに行きました。この時、クルマもなく知人もいない中で、上のような布団袋などをどうやって自宅アパートまで運んだのかが今となっては謎です。

 

f:id:k0013293:20200723112402j:plain

参照:参照:https://kotarobs.blog.ss-blog.jp/2008-11-15

 

在学中に一度川崎から都内に引越しましたが、この時は友人に手伝ってもらって、2~3度は往復したものの普通車で十分運べました。卒業するときもやはりハッチバックの自分のクルマに積み込んでそれで引越し完了しましたので、独身時代は殆ど身の回りの物は増えていなかったことになります。
ただ4年間で全く物が増えなかった訳ではなく、机やベッド、小型の冷蔵庫等は後輩に譲ったりして処分しました。元々私も先輩から譲ってもらったものが多かったですから。

 

また就職してすぐに韓国駐在となり、韓国内でも近隣を数回転居しましたが、いずれ帰るという気持ちもあり、その間も持ち物はほとんど増えませんでした。
ところが帰国後数年して転職した前後から、いわゆるバブル景気が盛り上がり、何だかそれと共に物に溢れた生活をするようになって行きました。クルマや時計、ファッション、家具等はより高級になり、数も増えていきました。生活の豊かさをモノではかる時代だったと思います。
 

そして26年前、横浜から千葉まで16回目の引越しの時には、4tトラック一杯に家財道具が溢れていました。上京時は単身で、この時は家族3人だったとは言え、息子はまだ満1歳になったところでしたから、実質夫婦2人分の荷物と言っても良く、信じられないくらいの膨張です。

 

また鉄道小荷物を調べていて、下記の赤帽サービスのことも思い出しました。いわゆるポーターサービスで、当時主だった駅には必ず赤帽さんがいました。ウチは貧乏人ですからほとんどの場合自分たちで運びましたが、ちょっとセレブなご家庭は下の写真のように赤帽さんに運んでもらってましたね。
当時の旅行には沢山の荷物がつきもので、列車内の網棚なども荷物で溢れかえっていた記憶がありますが、何をそんなに持ち歩いていたんでしょうね?
このサービスは2006年まで続いていたとの事で、東京駅では近年ヤマトが請け負う形で復活しているそうです。


f:id:k0013293:20200723112119j:plain

参照:http://www.asahi.com/special/train/2014shinkansen50/rec.html

f:id:k0013293:20200723112420j:plain

参照:参照:https://kotarobs.blog.ss-blog.jp/2008-11-15

 

それにしても、今の住まいに越してきて更に物が増え、バイクガレージの半分まで浸食されている現状は何とかせねばなりません。
ここが終の棲家となる可能性は高いですが、そうと決めたわけではなく、家内と二人、日本中どこで住んでもいいなと話してますので、もし最後の引越しをするなら、それまでには腰を据えての断捨離が必要です。引越ししないとしても、終活のための身辺整理は必要ですしね。

 

 

 

 

プライバシーポリシー お問い合わせ