シニアライダーの日常・R1200Rと共に

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息子の引越し:千葉県民から東京都民に

 

息子が家を出て都内で暮らすことになり、徐々に荷物を運び始めました。

 

27歳にして初めて親元を離れる訳ですが、どんな気持ちなんでしょう?やっぱりワクワクしてるんでしょうかね?私は彼より8歳若く一人暮らしを始めましたが、四国から東京(川崎ですが)に出てきた、ということも相まってとんでもない解放感とワクワクがありました。

 

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彼の場合は、大学は自宅通学可能なところで、職場も1時間余りで通えますから、これまで独立する必要がなく、経済的にも楽だったとは思います。親の方としても自宅から通える大学だったことは経済的にとても助かったし有難かったですね。

 

一方で子供の自立と言う面ではどうなんでしょうか?20代後半まで親元暮らしと言うのは、日本ではさほど珍しくはないですが、西欧では一般的ではなく、ともすれば親離れできない若者とも見られかねないと聞きます。日本であまりそういう声が大きくならないのは、農耕民族としての大家族主義の名残があるんですかね?アジア圏の民族にはその傾向が強そうです。
 

薄給の息子は、今回の家探しに当たっては家賃の安さが最優先で、そうすると東京都の東部、江戸川、葛飾、足立といった下町地域が候補となったようです。東京の地価・家賃は完全に西高東低で、西部の山の手、東部の下町という印象ですよね?
ただ、江戸時代の下町はせいぜい江東、墨田、台東、荒川くらいまでで、その外側の江戸川、葛飾、足立は江戸ではなかったんでしょうし、同様に西側の山の手も、今では世田谷、杉並等が代表的なイメージですが、当時は四谷の大木戸より西は江戸ではありませんから、文京、千代田、中央、港あたりが山の手だったんでしょう。皇居(江戸城)を囲む、文字通りの山手に武家屋敷を配し、東側の平地に町人街を作ったのでしょうが、当時の治水レベルでは下町には常に水害のリスクがありましたから、必然的に地価・家賃も安く、庶民の街となっていったんだと思います。関東大震災や、東京大空襲で繰り返し壊滅的な被害を受けたことも大きかったでしょうね。

 

英語でもダウンタウンの対語はアップタウンだそうですから、日本に限らずセレブの住居は山手、という理解で良いのでしょうか?ただ日本語訳ではダウンタウンは商業地・繁華街、アップタウンは住宅街ですから、ちょっとニュアンスは違いそうです。またサンパウロのスラムは山の斜面に沿って上へ上へと延びていると聞いたこともあり、必ずしも高低差だけが要素ではなさそうですね。

 

私自身は川崎の多摩区からスタートし、多摩川を渡った世田谷で学生時代を過ごしていました。当時は新宿、渋谷より西が生活圏で、学校は山手線内でしたが、東部は殆ど未知の地域でした。それが、就職して韓国に転出したのち、再度東京に戻ってきた時の勤務地が日本橋人形町という完全な下町で、しかも会社が借りてくれた社宅が水天宮の裏側の隅田川沿い、昔で言う大川端で、平岩弓枝の「御宿かわせみ」の世界でした。そこから墨田区に転居し、深川や木場が生活圏、一気に江戸風情の感じられる生活となりました。学生時代に住んだ世田谷区松原はそれなりの高級な住宅街で、最寄りの井の頭線も良い雰囲気でしたが、自分には下町の方が合っていた気がします。

 

 

合本 御宿かわせみ(一)~(三十四)【文春e-Books】
 

 

 

色々検討した結果、息子は足立区の住民となることを決め、今日も準備に出かけています。これまで3LDKの我が家で成人4人が暮らすのは正直窮屈なことも多く、息子が家を出ることで残った3人の居住スペースが拡がって快適になるのは間違いありません。しかし親として一抹の寂しさを感じるのも確かで、ちょっと複雑な心境です。本来母親の方が息子には執着が強いと聞きますが、家内は内心はどうあれ割と平静を保っています。私の方が子離れできていないんですかね?

 

 

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