シニアライダーの日常・R1200Rと共に

シニアライダーの日常と記憶、愛車R1200Rと行くツーリングの記録と四方山話。

株とのささやかな付き合い

 

株との付き合いはそんなに古い方ではありませんし、当初から今に至るまで積極的に関わっている訳でもありません。
小規模株主として昨年4月頃の新型コロナによる株価暴落から、今度は昨年11月以降の暴騰を見ていて、正直この程度の関わり方で良かったなあと思っています。私にはこの相場を乗り切る才覚はありませんし、このどちらかの局面で破滅していた自信があります。

 

株というものを最初に意識したのは、社会人となってすぐの頃でした。いつの世にも株で一攫千金、といった怪しげな図書は出回っており、その中の一つで、それまで脱石炭の流れで1~2円といったタダ同然の株価に低迷していた鉱山各社の株が、オイルショックの際、一気に千倍近い値を付けた、という記事を読みました。これをとらえて株の魅力を伝えようという今から考えるとやはり怪しい本なのですが、でも株の売買には年齢も経験も学歴も全く関係なく、その点では夢があるなあと思ったことは確かでした。

 

またそれ以前の10代の頃、四国の実家に、「てっぺん野郎」という石原慎太郎の小説本が転がっており、その内容が株で資金を蓄えてのし上がっていく若者を描いたものだったことも、その後株に関する本を買ってみた原因だったと思います。ちょっとエロチックな描写もあり、とても教員だった祖母が買うような本ではありませんし、たまに帰って来る父か、当時同居していた叔父が買ったものだと思うのですが、祖母の目を盗んでこっそり読んだものです。(Amazonで調べても廃版でした。)

 

とはいうものの当時の株の世界はやはり怖いものという印象が強く、足を踏み入れることはありませんでした。そして30代となり、転職した先の直属の上司となった人が、株は科学的に分析して行動すれば決して怖いものではないという信念で、ずっと株取引を続けている人でした。その人からは、株で儲けるということ以前に、株を所有することによって、社会や経済の動向に否応なしに興味を持つことになり、それは仕事にも絶対に有益だから、少額で良いから株を買ってみろと勧められました。

 

仕事上でも役に立つというのはその通りだと思いましたが、やはり証券会社の門をくぐるのは気後れがしてそのままになっている内に、バブルはどんどん膨らみ東京証券市場の平均株価は4万円に迫ろうとしていました。
そんな時、任天堂があのファミリーコンピューターを使ったファミコントレードというのを始めたのです。インターネットもない時代としては画期的な試みだと思うのですが、野村證券と組んで始めたもので、これなら証券会社の店頭に行かなくても株取引が始められます。これだと思って早速キットを購入してやり始めました。多分1989年か1990年頃、バブル崩壊の直前だったと思います。

 

 

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参照:https://twitter.com/twit_MARB/status/1130725292656304129/photo/1

 

こんなキットをファミコンの上に載せて使うもので、当時はもちろん電話回線しかありませんでしたから、通信速度も遅かったんでしょう。でも口座開設したところまでは覚えているのですが、その後の取引の記憶が全くありません。上に書いた通り、バブル崩壊の直前期でしたから、さあ始めようとしたときに株価が暴落し、始めるに始められなかったのかも知れません。
それにしてもこのキット、今持っていれば骨とう品的価値があったかも知れませんね。

 

ですから実際に自分が株を持つことになったのは、結局社員持ち株会が最初でした。毎月の給与と年2回の賞与で積み立てていくと、株価が順調に上昇していたこともあり、60歳の正社員としての一度目の退職時には結構な金額になっていました。その内にネット取引も普通になり、持ち株会のかたわら、小遣い銭程度での株取引もやり始めていましたが、結局私は今に至るまで証券会社の店頭に足を運んだことはありません。
退職後も、持ち株会の株式を精算した資金の一部を合わせて株との付き合いは続いていますが、冒頭書いた通り将来設計に影響が出ない程度のささやかな取引ですので、儲からない代わりに損もないという穏やかな生活です。

  

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