先日の娘とのツーリングは、建国記念日翌日の金曜日でしたが、娘はここに有給休暇(有休)を入れて4連休としていました。結構な御身分だと思いますが、やはりこの日は競争率が高くて、運良く取れたというのが事実のようです。
有休の取得は労働者の権利ですから、使用者に拒否権はありません。ただし有休の集中などで業務に支障をきたす場合には、取得日の変更を指示する、時季変更権というのを行使できますから、このケースでは発動される可能性も十分あったと思いますね。
それにしても、入社1年目の新入社員にして有休がきちんととれる環境というのは、私なんかの世代からすれば羨ましい限りです。娘の会社は大手でもなく、まして内勤でもない営業なのですが、それでもこの環境が整えられているということは、世間では色々批判されてはいますが、働き方改革も一定の成果を上げているんじゃないかと思います。
とはいえ、娘は年明け以降はずっとリモートでの勤務で、2021年になってから多分1日しか出社していませんので、同居の親の目から見れば、仕事していても遊んでいてもさほど区別はつきません。彼女は、バイク免許取ったりしてはいますが、基本はインドア派で、休みでも誰かに誘われない限り殆んど外に出ないですから。
私が社会人になった頃は、有休はおろか週休二日制さえ定着していませんでしたし、まして私は入社後すぐ韓国駐在に出ていて、当時まだ発展途上だった韓国では、週休二日という言葉も聞かれませんでした。
日本でも日曜日1日だけの休日が普通で、お役所は土曜日半ドンなのが羨ましかったものですが、今の若い人は半ドンという言葉も知らないでしょうね。土曜日に午前中だけの勤務で早帰りすることを言うのですが、江戸時代末期、オランダ語で日曜日を意味するZondag(ゾンターク)がドンタクと訛り、半分休日で半ドンと呼ばれるようになったのだそうです。博多どんたくもこれが語源なんだとか。ただ、当時は正午の時報に大砲を使っており、正午にドンと鳴ったら帰るということで半ドン、という説もあるようです。
とは言え、大企業では週休二日制の導入も始まっており、その先鞭をつけたのは松下電器産業、今のパナソニックで、何と1960年代から導入していたのだそうです。ただしこの時経営者である松下幸之助さんは、単に週2日を休むのではなく、「1日休養、1日教養」を理念としたのだとか。我々凡人には耳の痛い話です。
そして入社後数年経ったころから、中堅・中小企業でも隔週での週休二日制、いわゆる4週6休制が導入され始め、完全週休二日が定着してきたのは、2000年を迎えるころだったと思います。
週休二日制が導入されたとはいえ、仕事が減らないままの休日増なので結局休日出勤やサービス残業となるケースも多く、まずは休日の完全消化を目標とせざるを得ない企業(というより労働組合等の労働側)も多かったですね。これは今でいうブラック企業の典型ですが、当時は多くの会社が黒に近いグレーでやっていたと思います。
という状況ですから、有休の取得などはそのはるか先の目標であり、法定である有休は付与こそされるものの、未消化のまま消えて行くということが常態化した企業も多かったです。私の勤務した会社でもそうで、有休の計画取得を制度化したりしてはいましたが、本気で管理し始めたのはごく最近になってからでした。
しかし元々我々より上の世代には、労働を苦として感じない人たちも多く、労働を贖罪と考える西欧圏(キリスト教圏)の人たちとは、休みに対する考えも大きく違っていたと思います。
昔企業内の研修でスターバックスを教材として取り上げた時、スタバは家庭、職場とは別の安息の場、サードプレイスを目指している、と教わりました。アメリカ人にとっては、家庭も職場も緊張の場(夫婦関係も緊張関係からは逃れられないと講師は言っていました)なので、ということなのですが、かつての日本のサラリーマンにとっては、職場は緊張の場ではなく安息の場だったので、残業・休日出勤も苦にならなかったのかも知れません。家庭はアメリカとご同様のところも多かったかも知れませんが。