我々日本人はみんな持っていて、それが当たり前だと思っている本籍・戸籍について考えることがあり、この機会にブログに書いてみることにしました。
私が若い頃は、本籍はやたらと移すもんじゃないといわれていて、住んだこともない、更には一度も行ったこともない先祖の地をそのまま本籍としている人も多くいました。
その意味は、当時結婚や就職などに際して、本籍を調べて、被差別部落、沖縄・奄美出身者や在日韓国・朝鮮人、アイヌと思われる場合に不当に扱ったりすることが頻繁に起きていたので、本籍を変えるということはそんな差別から逃れるためと勘繰られるから、ということなのです。
現在ではプライバシー・個人情報保護や人権という面で、本籍記載の住民票や戸籍謄本・抄本の提出は安易には求めないようになっていますし、当時は普通にあった履歴書の本籍地欄も今ではありませんが、そもそも差別そのものをなくすことが本質です。
私は数年前まで、祖母と暮らしていた四国の実家を本籍としたままでいましたが、祖母の死後家屋を取り壊し、土地も隣人に売却するとなった際に現住所に移しました。でも、そのままでも別に構わないんだそうで、誰も住んでいなくても、他人が所有していても良いとのことです。
現行の戸籍法では、「本籍」と「出身地」「住所」あるいは「家系」などは無関係なので、もっといえば何の縁もゆかりもないところでもOKとなり、今一番多い本籍は皇居で、何千人もの人が登録しているそうです。そういえば私の友人のお子さんも本籍は皇居だといってましたね。ちなみにちょっと古い記事でしたが、2位は大阪城、3位は甲子園球場で、ここで名前の出る甲子園球場恐るべしです。
では本籍には何の意味があるんでしょう?調べてみると、そもそも「本籍地」と「本籍」は違うもので、本籍は「戸籍」のある場所を指し、本籍地は本籍を管理する自治体の事なのだそうです。履歴書の表示は当時確かに「本籍地」となっていて、「〇〇県」という記載例がありました。
また本籍は自由に変えられると書きましたが、未婚の人の場合は親の戸籍の中にいるので自由に本籍を変えることはできず、結婚して新たに戸籍を作った時に初めて本籍を選ぶ権利が生まれます。ただし分籍という制度もあって、20歳を過ぎると自分が筆頭者となる戸籍を作ることもできるんだそうです。はるか昔の法学部生の端くれとして、戸籍法は学んだ(ような気がする)のですが、全く初見の知識みたいで新鮮でした。
そして本籍の意味というか意義ですが、一番重要なのは戸籍で、オンラインもない紙の時代に、この戸籍を管理する本籍と本籍地を決めておくことが、徴税逃れ、徴兵逃れ等を許さないために必須だったということのようです。
昔の家制度は法人と似ていて、戸主はその家の代表取締役、家族は従業員、それくらい権利・義務には大きな差がありましたから、これをきちんと管理する必要もありました。家族の同居・別居は問われませんので、これも本社勤務、支社勤務、出向と考えればわかりやすいです。この家制度を引き継いだのが戸籍と考えればいいのですが、戸主の権利・義務というものは殆ど無くなっていますので、誰が戸主か、その家族はだれか、ということを厳密に管理する戸籍が今でも必要なのかは疑問です。
元々は徴税とか徴兵のためだったのですから、マイナンバーで管理できるのなら戸籍制度そのものを廃止してしまって、国民全員が「どこの馬の骨ともわからない」という状態にするのが、差別を無くすためにも一番良い気がします。
現状戸籍が一番必要となるのは相続の場面ですが、これもマイナンバーで一元管理できていれば、たとえ離婚を繰り返して複数の戸籍に子供が残っているような人の場合でも、相続人を確定することは難しくないですよね?個人の出生から死亡までの全履歴の記録は必要となりますが、全て現住所で各種手続きを完結できますので本籍や本籍地は必要なくなります。そもそも縦割り行政の弊害で、健康保険、運転免許、パスポート、年金、納税、雇用保険等々私たちには数多くの番号が割り振られていて、相互に関連もしていません。そこで戸籍・本籍の出番となっていた訳ですから、もう要らないのでは?
それでも家系を誇りたい人は、お金を出して家系図を作り続ければいいんじゃないでしょうか?(反感を買いそうな発言ですが、、)
現に日本以外で今現在でも戸籍制度を使っているのは、本家である中国と台湾だけだそうですし、、。