7月は私の誕生月であり、今年で何と67歳となりました。
60代も半ばをとうに過ぎ、70歳が間近となってきたのですが、正直その実感はありません。精神年齢は30歳あたりから殆ど変わっていないのではないかとさえ思えます。
子供の頃の私にとって、還暦祝いで赤いちゃんちゃんこを着た人は既に相当な高齢者であり、67歳といえば今なら後期高齢者以上の老人に見えたと思います。
当時小学校で一番の高齢者といえば、校長先生か当時校内の小使い室(というか中庭に家族で住める家がありました)に住み込みで働いていた小使いさん(今では差別的として死語となり用務員さんとなっています。お手伝いさんと同類の言葉ですね。)で、小学生の目から見ればそれでも立派なご老人でしたが、まだ現役ということは50代のはずで、今の私より十歳も若いのです。
ちなみに私の祖母も教員で、この校長先生たちとほぼ同年代でしたが、既に教員は辞めていました。当時公立学校の教員を含めた公務員に定年はなく、55歳あたりでいわゆる肩たたき(退職勧奨)が行われ、特に女性教員への肩たたきは強力で、55歳を待たずに行われることも多かったと聞きました。
そして学校以外では、祖母と仲良しの近所のおじさんおばさんが同年代となりますが、昔の農業はとても重労働でしたから、正直校長先生や祖母よりも老けて見えました。
とはいえ50代であれば、その親世代にも健在な方はかなりいらっしゃったはずなのですが、その世代(恐らく70代後半から80代)の方々は既に隠居という形で家庭の実権を譲り、離れの隠居部屋で暮らしていることが多く、あまり印象にありません。
当時の農業は人手を必要としましたから、この御隠居さんたちも当然重要な農作業の担い手であり、楽隠居という訳にはいかないことが多かったでしょうから、体が動く限りは畑や田んぼで姿は見かけたはずなのですが、我々子供にとっては何か違う世界の人たちのような気がしていました。
論語で、三十にして立つ(而立、じりつ)とか四十にして惑わず(不惑、ふわく)とかいうのは有名ですが、60歳は耳順(じじゅん)、70歳は従心(じゅうしん)といいます。聞いたことはありますが、意味は良くわかっていませんでしたのでこの機会に調べてみると、
耳順(じじゅん):
六十にして耳順う(したがう)。
60歳になると、耳に入ってくる言葉は何でも素直に受け入れられるようになった。
従心(じゅうしん):
七十にして心の欲するところに従えども、矩を踰えず(のりをこえず)。
70歳になると、自分がしたいと思うことをやっても人の道を踏み外すことはなくな った。
60歳を過ぎれば人の言葉を素直に聞けるようになり、70歳ともなれば思うがままに生きても道を外れることはなくなる、ということでしょうが、昔近所のおじいさんおばあさんたちが私たち子供にとって違う世界の人のように見えたのは、実はこのような枯れた境地に達していて、ある種仙人みたいに見えていたからなのかも知れません。
では私はと言えば、未だこの境地は遠いというのが実感です。まあこれは孔子という歴史上の偉人の場合ですから、私のように数十年をただうかうかと生きてきただけではたどりつけなくて当然でしょうし、自己弁護ではありますが、昔は人生50年といわれていたことを考えれば、人間の成熟スピードも遅くなっていて普通なのかもしれません。そして私自身にいつこの境地が訪れるのかはわかりませんが、それまではジタバタとあがきながら煩悩だらけの生活を続けそうです。