シニアライダーの日常・R1200Rと共に

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千葉ニュータウンの過去と現在

 

先日コスモスの記事で印西牧の原駅近くの牧の原公園のことを書きました。
印西牧の原は千葉ニュータウンの中でも東側、成田寄りに位置し、二十年近く前までは駅周辺から少し離れると本当に何にもなくて、未整備のまま草が生い茂り放題の分譲地で模型飛行機や模型ヘリコプターを飛ばしている人がいるような場所でした。それが印西牧の原の次の駅、印旛日本医大前で終点となる盲腸線だった北総線が、長年の悲願である成田延伸を果たし、成田空港と直結されたことで急速に発展してきました。様々な施設も充実し、印西市は住みやすさでも常にランキング上位入りするような人気の町になってきて、以前を知る者からすれば隔世の感があります。

 

私が千葉で新居を探していた時、千葉ニュータウンも有力な候補地の一つであり、千葉ニュータウン中央駅近くのマンションにも応募したことがあります。残念ながら抽選に外れ、今のマンションを購入することになったのですが、その当時の千葉ニュータウンは隣の印西牧の原駅だけではなく、文字通りニュータウンの中心地であるこの千葉ニュータウン中央駅周辺もまだまだ寂しい状態でした。このマンションは駅から徒歩12~13分の距離でしたが、夜は女性一人では危険を感じる程周囲は閑散としていました。

 

その時の分譲会社の説明では、確かにニュータウン開発は当初計画から大幅に遅れているが、それゆえ分譲価格も低く抑えられており、今後開発は加速するのでお買い得、とのことでした。しかしその後も開発は遅々として進まず、仮にここに入居していたとすれば住み始めからしばらくはかなり我慢が必要だったと思いますし、何より日常の足である北総線は日本一運賃の高い鉄道として有名ですから、その点は家計を圧迫することにもなったでしょう。
このマンションは駅の北側住居地域に位置する大規模集合住宅でしたが、結局入居から10年以上も経過した後、駅の北口にようやくイオンの大型ショッピングモールが開業するまでは駅前の商業地域には空き地が拡がっていました。当時は駅の南口に今はなきダイエーが大型店舗を構えており、商業の中心地は南側でした。

 

千葉ニュータウンの都市計画そのものはとても良くできていると思いますし、駅周辺から少し離れれば周囲には自然の里山風景も広がっていて、住みやすく子育てにも適した近代的な街だと思います。
近代的と言えば、我が家では例年元旦にクルマで九十九里に初日の出を拝みに行っているのですが、その際には朝4時過ぎにこの千葉ニュータウンを抜けて行きます。ただでさえ人の居ない時刻ですし、20年程前は人口も少なかったので、全く人の気配のしない近代的な街並みが、明るい街灯に照らされて静まり返っている光景は、何か近未来的な印象で、私はとても好きでした。

結局抽選に外れ、何の変哲もない東京近郊の田舎町、と言うのがぴったりの今の場所に住むことになりました。恐らくここが終の棲家となるのでしょうが、住めば都で、決して後悔している訳でもありません。また実は妻の両親が住んでいるのが千葉ニュータウンの一角ですので、望むなら将来そこに移ることも可能ではあります。当然私に決める権限はありませんが、、。

 

 

 

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