シニアライダーの日常・R1200Rと共に

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祖母の命日に墓参り(2/3):阿蘇中岳と五木観光

 

前日祖母・祖父の墓参りを終え、この日は終日観光です。とはいえ、昨年亡くなった私の父を含め、叔父・叔母たち兄弟にとって阿蘇は父親の故郷ですし、当時は北九州の門司に暮らしていましたから帰省も比較的容易で、阿蘇はとても身近なところだったようです。ですから周辺の観光地にも殆ど行っていて、改めてどこに行きたいというのはないのです。

 

でも阿蘇に来たからにはやはり一度は山に登らないと、ということでまず観光の中心でもある中岳を目指しました。一般的には阿蘇五岳(高岳、根子岳、中岳、烏帽子岳、杵島岳)を中心にした連山、時には阿蘇五岳の中でもこれから登る中岳単体のことを阿蘇山と呼ぶことが多いですが、阿蘇山とは正式には外輪山や火口原をも含めた全体の呼び名で、地元の人も阿蘇五岳や中岳のことは「山」とか「お山」と呼ぶことが多いようです。

 

食事をとってから9時過ぎにゆっくり出発し、JR阿蘇駅前から始まる阿蘇吉田線をデリカで登り始めます。
阿蘇駅は以前は坊中駅といい、僧坊や宿坊が立ち並んだ阿蘇登山の拠点でした。阿蘇山は信仰の山でもありましたから、登山=参拝という意味でもあったようです。
この阿蘇吉田線は阿蘇登山道路という有料道路として開通し、私が幼い頃は定期観光バスも頻繁に走っていて、当時の登山の足はもっぱらこの観光バスでした。

 



上の写真は阿蘇五岳・草千里と熊本市街の両方を見渡せる展望台からの眺めですが、本当にいい天気で気持ちが良かったです。
草千里より少し先の阿蘇山上広場は阿蘇山ロープウェーの阿蘇山西駅があった場所で、ここまでバス、クルマで登って来て、ここからロープウェーで火口にある火口西駅まで行けました。その後並行する阿蘇山公園道路という有料道路もできてクルマで火口まで行けるようになりましたが、それまではこのロープウェーか徒歩しか火口に行く方法はありませんでした。
近年火山活動が活発化して運休が度重なっていたところに、2016年の熊本地震、その後の大噴火で致命的なダメージを受け、廃止となってしまいました。
写真の建物がロープウェーの阿蘇山西駅ターミナルで、背後の山上に小さく見えるのが火口西駅だったのですが、索道も既に撤去され、かなり廃墟化が進行していますね。幼い日の賑やかだったイメージが重なり寂しい思いです。
ちなみにこちらの山頂駅が火口西駅で、今回私たちが宿泊している仙酔峡というところにあった仙酔峡ロープウェイ(こちらはウェーではなくウェイ、双方こだわりがあったようですね)の山頂駅が火口東駅でした。その両駅の間にはマウントカーという特別仕様のバスが走っていて、これに乗るのも楽しみでしたね。

 

往時のマウントカー:4travel.jpさんのページよりお借りしました。

 

この時点でまだ10時半頃でしたので、叔父の提案に従い、「五木の子守歌」で有名な五木に行ってみる事にしました。子守歌は有名でも、その他に何があるという訳でもない鄙びた山村らしいのですが、別にメジャーな観光地を求めている訳ではありませんので、、。

 

阿蘇からは国道57号線を熊本に向かい、熊本ICで九州縦貫自動車道に乗って松橋ICまで、そこからは国道3号線を南下して、氷川町というところから県道25号線でひたすら山の中をナビの指示通りに進みます。阿蘇山上からの距離が約110km、所要時間は2時間半程度でした。
五木村に入るところの大きな橋ではバンジージャンプをやっていて、河原に下りたところでそれを眺めることができました。その時やっていたのは全員若い(と思います)女性のグループで、楽しそうにワイワイやっていましたが私には絶対無理です。15,000円も払って飛ぶ人の気が知れませんし、その10倍もらっても嫌ですが、でも50倍なら飛ぶかも、、。

 

 

昼食は五木村歴史文化交流館というところのカフェで定食を食べ、道の駅などをのんびりひやかした後帰ることにしたのですが、往路は幹線道路ばかりで余り面白くなかったので、帰りは国道445号線という山中を北上する国道を通って、通潤橋で有名な山都町に抜けるルートにしました。途中には平家の落人が隠れ住んだ五家荘という集落もあります。

 

 

五木村の中心部を出てR445を走り始めてすぐ、これが普通の国道ではないことがわかりました。いわゆる「酷道」で、普通車のすれ違いすら苦労するような狭いクネクネ道が延々と続きます。以前四国ツーリングで走った有名な「酷道ヨサク(R439)」にも匹敵するような道でした。私はバイクでもクルマでもこんな道の方が好きですのであまり苦にはならなかったのですが、同乗の叔父・叔母は全員御年80歳以上90歳近くの方々ですので、左右に揺られ続け、対向車が来るたびに急ブレーキというのが心配でしたが、皆さんお達者でかえってそれを楽しんでいたようなのは助かりました。正直ルート選定を誤ったかなと後悔していたのです。

 

 

五家荘平家の里の近くにあった「梅の木轟公園吊橋」というところで見物を兼ねて一休みした以外はひたすらR445を走り続けてようやく通潤橋までたどり着き、ここで最後の休憩です。「つのなす」という植物をここで初めて見ましたが、「フォックスフェイス」と聞いて納得です。確かにキツネに見えます。

 

ホテルに帰り着いたのが17時半、帰りは4時間近くかかってしまい、お元気とはいえ高齢の叔父・叔母には申し訳ないことをしました。レンタカーのデリカD:5は急坂も路面の悪いところも難なく踏破してくれて頼もしかったですし、私自身はとても楽しかったのですが、、。

 

 

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