シニアライダーの日常・R1200Rと共に

シニアライダーの日常と記憶、愛車R1200Rと行くツーリングの記録と四方山話。

我が家の愛猫「ロク」、老いの日々と別れ。(ご注意:長文で、しかも気持ちが滅入るような描写があります。)

 

2023年1月で20歳と7か月、人間に換算すると98歳を超えたお婆ちゃん猫のロクでしたが、1月2日の23時10分頃、天国に旅立ちました。
なかなか文章にする気力が起きず、関係のない記事を3本ほど書いてやり過ごしていたのですが、仏教でいう初七日も過ぎましたので、気持ちの区切りを付けるためにもここで彼女の記録を書いておこうと思います。
彼女が年老いてからの話や死の描写等、愉快な話ではありませんのでご注意ください。

 

実はここのところ彼女はめっきり年老いて来ていました。正直年を越せるか心配な程だったのですが、何とか持ち直してくれて、これなら大丈夫そうという事で元日の初日の出遥拝・初詣も、妻だけは見守りで残りましたが、私と子供たちは予定通り出かけたのです。

 

元日の午後帰宅した私が妻と交代で見守り体勢に入った時も、特にそれまでと変わりはなく、私に寄り添って寝たり、ご飯を食べたりしていました。ところが1月2日の午後急に、てんかんから来るけいれんの発作が起き、8時間余りも苦しんだ末に、その日の23時過ぎ、家族4人に見守られながら息を引き取りました。2002年の6月2日に我が家に来てから、ちょうど20年と7カ月でした。1月2日のブログをアップした時にはその苦しみの最中だったのですが、その時は前日夜中に投稿予約していたものを取り消す余裕もありませんでした。

 

生前最後の写真は1月2日の朝9時半頃、ご飯も食べて、ホットカーペットの上で気持ちよさそうに寝ている姿です。この6時間後にあんなに激しい発作に襲われるとは思ってもいませんでした。

 

 

老齢となり、痩せて足腰もかなり弱くなってきていましたが、かなり年老いたことをはっきり実感したのは、昨年の3月初旬に体調を崩した時です。突然食べたものを吐き戻し、唸り声をあげながらフラフラさまよい出すという事があり、同時に寝床で脱糞もしてしまい、排便については潔癖でトイレ以外ではそれまで粗相をしたことのないロクには初めてのことでした。
その時の獣医さんの診たては、年老いて来て消化能力が落ちてきているところに、消化の悪いものを食べ過ぎて吐き戻してしまい、その際一気に体力が奪われてしまったのだろう、という事でした。
我が家ではそれまで、2種の高齢猫用ドライフードを混ぜ合わせて常時食器に用意しておき、無くなったら足すというやり方だったのですが、それからはやり方を改めてドライフードは細かく砕き、食べ過ぎないように少量ずつ与えることにしました。

 

その後は、彼女の動作もとてもゆっくりになり、ヨタヨタすることも増え、先が長くないことも意識せざるを得なくなりました。それまで彼女の食事は、栄養を考えて高齢猫用のドライフード2種に限り、おやつとしてチュールをあげるくらいだったのですが、それからは食べたそうにするものはよほどのことが無ければ焼き魚でも唐揚げでもハムでも、ほんの少しづつですが食べさせてやることにして、各種キャットフードも好みを見ながら取り揃えました。妻は、先住猫の「クー」が亡くなる直前やはり色んなものを食べたがったのですが、健康に悪いと考えて一切食べさせてやらなかったことを長く後悔していて、ロクにはそんな思いをさせまいと考えたようで、それには私も賛成でした。ロクは、それ以外にチーズ、牛乳、ヨーグルトなども大好きでした。
そして、それまではドライフードと水を多めに用意しておいて、1泊程度なら家族揃っての旅行にも行っていたのですが、それ以降家族揃っての外出は日中なるべく短時間とし、泊りの場合は誰かが残ることにしました。

 

そして本当に最期を意識するようになったのは、12月初旬の夜中に突然全身けいれんの発作が起きたことです。翌日すぐ獣医さんに連れて行ったところ、これはてんかんの発作であり、老齢の猫の場合まれに発症することがあって、以降何度か続く可能性があることと、それがやがて死につながることは覚悟して下さいと告げられました。
それ以降発作は起きなかったのですが、それ以降目が良く見えなくなって、部屋の中を色々なものにぶつかりながら徘徊しはじめ、排尿・排便も色んなところでするようになりましたから、彼女の生活空間はリビングに限定して常に目が届くようにし、部屋中ペットシートを敷き詰めました。それ以降は妻か私が必ず付き添うようにして、24時間目を離さないようにしたのですが、私はともかく、夜添い寝をしていた妻の負担はかなりのものだったと思います。それでもロクの体調は日によっては以前と変わらないくらいまで戻ることもあり、食欲だけは最後の発作の直前まで旺盛でしたから、もし足腰が立たなくなっても、目が見えなくなってもこのまま生きられるのでは?という期待もありました。実際、最期のてんかんの発作さえなければそうなっていたんじゃないかと今でも思います。

 

最期は安楽に死ねず、8時間半もうなったりもがいたりして苦しみぬいたことがとても可哀そうでしたが、今になって考えれば、それがもっと生きたいというロクの意志表示であり、簡単に死ぬもんかという姿勢を私たちに見せてくれたのかも知れない、とも思います。あんたらも簡単に諦めちゃ駄目よと言われたような気がします。

 

1月2日は、年に何日もない家族全員が揃っている時でしたので、みんなで看取ってやることができました。小さい時から兄弟のように育って来た子供たちにとっては、長時間ロクの苦しむ姿を見続けるのは苦痛だったと思うのですが、よく看取ってやってくれたと思います。

 

ロクはお兄ちゃん猫のクーが眠るペット霊園で翌日火葬してもらい、同じ棚に並べてもらいました。クーは64歳で亡くなり、ロクは98歳ですから、クーに「お婆さん、あんた誰?」と言われて怒っているかも知れません。

 

若い頃のクー・ロクです。

気分転換の積りで出かけた初乗りツーリング(もう妻との交代見守りも要らなくなりましたから、、)の時も、一人で田舎道を走っているとついロクのことを思い出して鼻の奥がツーンとしてきたりしました。
城山三郎という作家の晩年の作品に「そうか、もう君はいないのか」というエッセイ集があるのですが、ご想像の通り「君」というのは亡くなった奥様のことです。城山三郎の作品は結構読んだのですが、このエッセイはタイトルだけで内容が想像できるような気がして、未だに手に取る勇気がありません。
今回ロクがいなくなり、ツーリングの時のような日常の場面で、「そうか、もうロクはいないんだ」と思わせられることが多いです。

 

昨日は仏教でいう初七日で、丁度祝日でもありますので、息子も帰って来て4人で墓参りに行って来ました。いつまで経ってもこの思いが消えることはないでしょうが、ここで一つの区切りとして、頑張って生きた彼女を見習って残りの日々を生きようと思います。

 

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